第4話
ソファに座り、ぼんやりとテレビを眺めていた。
似内と名乗る青年が来る時間に間に合うようには起床できた。いや、いつ眠っていつ起きたのかも覚えていないので、「起床した」という表現があっているのかはわからない。頭に靄がかかっているようだ。
キッチンのシンクには洗っていない食器が放置されているし、洗濯機には3日分の洗濯物が溜まっている。
窓の外付けシャッターも開けたままだし、玄関ドアの鍵を閉めたかも覚えていない。
あの青年と会って、家に帰ってから、自分がどうしていたのか、あまり覚えていない。多分何もしていないんだと思う。
空気が停滞した重い部屋で、ただ1人そこに居ただけだ。
何かの番組が終わって、何かの番組が始まった。
『衝撃の予言から3ヶ月、街の混乱は一時に比べると落ち着きを取り戻したように見えますが、未だ住宅への侵入・店舗への強盗が相次いでいます。自分の安全は、自分で守りましょう』
『本日の出生数・伝染者数を見ていきましょう。全国では本日ーー』
キャスターが淡々と告げる。この人たちにも感情はあって、胸の内では何かを思いながらそれを読んでいるのだろうが、無機質に読み上げられる数字はどこか冷たい感じがした。
数年前から、ただでさえ減少傾向にあった出生数が急激に減少し始めた。男性の精子数・濃度がほぼ0になり、自然妊娠が奇跡と呼ばれるようになった。
その理由は、人類の摂取物、生活習慣、種の退化、さまざまな憶測を呼んだが、どれも確かな証拠はなかった。
そして、世界保健機関からある予言が発表された。
『このまま世界の出生数が減り続ければ、人類は100年も持たずに絶滅するだろう』
この発表に世界は震え上がり、怒りの矛先を探した。
それは、奇跡を起こし、子を授かった人間にも向けられた。
少しでも出生率を上げられそうな薬があればそれを各国で奪い合い、軍事的・政治的対立が乱発された。
そんな中、日本は呑気なもので、暴動に対しては自衛を呼びかけ、子を持つ重要性を国民に説き、健康を呼びかけ、少しでも多くの奇跡が起こるよう願うのみだった。
兄を失い、妻を失い、世界も失うかもしれない。
まあ、何も残らないなら、それはそれでいいのかもしれないな。
自嘲気味に笑ったところで、チャイムが鳴った。
「こんちは」
扉を開けると、間の抜けた表情で似内が立っていた。
リビングに通し、向かい合わせに座る。
「怜さん、シャッター閉めないの?」
「ああ、そうだな。閉めようか」
ノロノロとした動きでシャッターを閉めていると、似内が口火を切った。
「大丈夫?怜さん」
「大丈夫に見えるなら、多分大丈夫なんじゃないか」
「そうだよね、ごめん」
「何を謝っている?」
「俺のせいかなって思って」
「ああ、あの日は相当腹が立ったが、今のこれはお前のせいではない」
今の気持ちの出どころは何処か、探してみた。しかし、頭が回らないのですぐにやめた。
「多分、世界に絶望しているんだろう」
シャッターを閉めたついでに水を2杯淹れ、片方を似内に差し出しながら向かい合って座った。
「で、仕切り直してまでしたいのはどんな話なんだ?」
「まあ、その話をする前に、何で俺が詩乃さんの消失を知ってるか説明しなきゃいけないよね」
「ああ、そうだった。そもそも僕と詩乃のことはどれくらい調べたんだ?」
「全部、って言いたいところだけど、実はそんなに調べたわけじゃないよ。よく知っているのは怜さんのことだけ。まあ知っているとは言っても怜さんの子供の頃のことだけだよ、だから本当に今回のことは………なんだけ…………………で……詩乃さんも…………会え……………だから……兄さ…………てない……………」
なんだ、なんだろう。おかしい。
よく眠れていなくて頭は回っていないが、これはおかしい。こいつは昔からの知り合いではないし、この年齢の子供を持つ知り合いにも覚えがない。
よく考えたら最初からおかしかった。あの夜、なぜ見ず知らずの人間から声を掛けられて立ち止まった?そいつが安全だという保証がどこにあった?こいつの何を見て僕は不覚にも安心した?なぜだ。理由がある気がするのに、わからない。
何かを喋り続けている似内を左手で制止した。
「ち、ちょっと待て。ま、まずなぜ僕の昔のことを知っている?お前はただのジャーナリストだろ?」
「いや、違うよ?」
背中に針を刺されたように椅子から飛び上がり、キッチンに走った。急に立ち上がったせいか軽く目眩を起こしたがフラつきながらも辿り着く。後ろから追いかける気配はない。シンク下の引き出しを引き、三徳包丁を出した。両手で持ったそれを似内に向けた。
強盗か?目的はなんだ?自分に何か心当たりは?肩で息をしながら浅く考えるが、当然結論には至らない。
鼓動が早まり、胸が痛くなってきた。
ぼやける視界の中で似内は何かを言っている。よく聞こえない。
輪郭が不確かな目前の男は、何かを言っている。よく聞こえない。
そのぼんやり聞こえる声色が、誰かに似ている気がしたが、よく分からない。
体を揺さぶられるような感覚と、遠くで僕の名前を何度も呼ぶ声が聞こえた。
「怜さん!ちょっと怜さん!」
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