「……ヴェイド・ウォーカーだ」

　男の鋭い瞳が眼光を放ち、その睨みは蛇の如く妖しい。彼は敵に静かに近づき、蛇の様に相手をジリジリと精神的、肉体的に恐怖に貶め、殺す。故に、彼は『灰眼の蛇影者』と呼ばれる。

　持ち味であるしなやかな剣さばきは、対戦した相手に剣が巻きつくような錯覚を起こす。その剣を退ける手などありはしないのだ。

　そのすぐ隣で、ヴェイドと獲物を取り合うように白刃が閃いた。

「ひっ、たすけっ……」

「ごめんね。君、邪魔」

　地面に伏せた男は、痙攣さえもしない。自分が事切れたことを知らずして、死んでいるのである。血と土で汚れ、乱れた戦場には全く似つかわしくない優しい笑い声を発するのは。

「カルキ・フェルドリア」

　剣の技術に長けた天才。始終笑顔で、相手を瞬時に細身の剣で斬ることから『紫眼の刹烈者』と呼ばれる。最も美しい騎士との呼び声も高い。

「相手は斬られたことに気が付かず死ぬらしい」

　そんなテハヤの言葉に、ローは顔を引き攣らせた。

　カルキの微笑みを向けられた男達は、一様に震え上がる。柔らかな笑みだというのに、戦場でそれを向けられることほど恐ろしいものはない。底知れぬ恐怖が彼らの背筋を這い上がる。

「うーん、手応えないねー」

　ここが戦場とは思えぬ異様に明るいテンションで、そうケラケラと笑う男が一人。育ちの良さそうな風貌で、随分と血の似合わない男だ。頰に散った赤が不気味なほど浮いている。

「奴はミルガ・オーデム」

　そのずば抜けて高い身体能力を生かした、中剣を用いた空中戦を得意とする騎士で、複雑な地形が得意な変わり種。その圧倒的運動センスと常人には真似の出来ない跳躍による攻撃から、『翠眼の飛跳者』と呼ばれる。

「奴の跳躍に注意しろ！　ありえんところから攻撃が来るはずだ！」

　ローの背後で、ひゅんっ、と切り裂くような音が鳴り、旋風が耳を掠めた。

「だから。遅いってば」

　気付けば、後方で血飛沫が舞う。

「ジェノヴァ・イーゼルだ！　まずい、逃げろ！」

　唖然とするローに、テハヤは叫ぶ。

　

「速すぎる……」

　ローは自分の命が危機的状況にあるということを忘れ、思わずその剣さばきに見入っていた。美しい。そう言わざるをえない。気付いた時には、彼は既に敵の間合いに居る。

　ジェノヴァという男は小柄で俊敏。珍しい二刀流の遣い手で、短剣を用いた接近戦が得意。戦場を風のごとく駆けまわる様から、『蒼眼の旋風者』と呼ばれている。彼が通った後は、ハリケーンでも通過したかのように、ばたばたと男達が倒れていた。

「お前等、一人ノルマ三十な。今回は夕食の赤ワイン賭けようぜ」

　低く、蠱惑的な声。

　テハヤがぎょっとした顔をして振り返る。

「な、なぜ奴がここに……」

「あいつは？」

「……レイ・フューアンブルー・シュリアス。ウルバヌス国の第二王子だ」

「王子？　だと？」

　ローは絶句した。そして、ゆっくりと剣を引き抜く、紅眼の男を眺める。血に濡れた麗しいその姿は妖艶であり、神々しくもある。彼が微笑むと、今にも獲物の喉笛に噛みつきそうな歯が覗き、纏う獰猛な気迫がローの首を締めるようであった。唾を飲むと、喉が鳴った。額から顎へ、汗が雫となって落下する。

「第二王子がなぜ、こんなところに」

「考えても仕方ねえ。今すぐに撤退だ。勝ち目はねえ」

　彼らをまとめ、指揮しているかなりの切れ者。国政の方にも頭角を現している天才。荒れ狂う猛々しい紅の瞳が、男達を貫き、身の内から底知れぬ焦燥を焦がす。その奥にチロリと炎蛇が見えそうな、艶かしくもある瞳。彼は黒髪を靡かせ、豪快な剣さばきで目の前の敵を一刀両断。薙ぐようにして斬り倒し、道を作るようにして此方へと歩みを進めている。

　彼は、こう呼ばれる。

『朱眼の覇者』

　と。

　王宮剣術を基礎とし、幾重もの実戦で叩き上げられた剣の技術を武器とする、無駄のない正当な剣さばき。荒々しく、動きが読めない彼の剣は、若くして既に指折りの剣士であった。

「おい……」

　焦燥と諦念が入り混じって、呟きとなり、ローの口からぽとりと自嘲気味に落とされた。

「こいつらに会っちまった時点で、運が悪かったってことさ」

　気付けば、その場に立っていたのは、ローとテハヤ、そして七人の騎士だけになっていた。

　カン、と虚しい音を立て、転がったのは、ローの剣だった。彼の渾身の一撃を、大剣を持つライアが片手でいなしたのだ。いなされただけのはずなのに、予想以上の強い力を受けて、ローの手は震えていた。

「ぐあっ」

　突然、背後から強烈な蹴りを受け、ローは前のめりに地面に突っ込んだ。呼吸が詰まり、ぐ、と潰れかけた喉が音を鳴らす。彼を倒したその足はそのまま、ローの背中を地面に押し付けている。湿った土に、体がめり込んだ。痛みに顔を歪めながら見上げれば、感情を映さない、深海のような双眸が瞬きもせずにローを見ていた。ローは咄嗟に息を殺す。それはまぎれもない、怯え、だった。

　まさか、この俺が？　こんな、若僧に？

　昔から散々悪さはしてきた。それなりに強い相手であっても、法に触れた取引でも、こなしてきたつもりだった。そうやって生きてきた。それなのに何なのだろうか。この胸を這い上がってくるような震えは。何故だろうか。この怯えを打ち消せないのは。

「お前に、いいことを一つ教えてやる」

　地面に跪いた屈辱的な姿勢のまま、土に汚れた顔をあげた。王子の端正な顔が、憫笑にも似た笑いを浮かべ、見下ろしている。否、王子というより、 悪魔の笑みである。

「ここに居た奴ら、窃盗に加えて、この国で殺人を犯したんだぜ」

　氷点下の冷たい視線が降り注ぐ。この国の王子だという男は、冷笑を貼り付けたまま、己の刃に付いた血に視線を落とした。徐に革の布を取り出し、剣を滴る血を拭いながら、またローとの距離を縮める。

「知らなかったようだな。ま、そいつ等が何の目的で殺人までしたのかは知らんが、ここでお前を静粛する事実に何等変わりはない」

　仲間の顔が走馬灯のように次々に浮かんで行っては、消えていった。仲間達の死に様が脳裏をよぎる。唇を強く噛んだ拍子に、鈍い痛みと共に口の中に苦い鉄の味がじわりと広がった。

「まあ、粗方、あいつらとはそこまで深い間柄じゃないんだろ？　剣の腕とここの回り、統率の取れ方が違う」

　男は傾けた頭を人差し指でコツコツと叩く。それはとても単純な仕草なのだが、彼にはたまらなく似合った。

　実際、男の言う通りだった。彼等は俺とテハヤがたまたま立ち寄った隣国の、貧しい村の男達だ。最初は連れて行く気など、毛頭なかった。住む家も無く、衣服や食べ物も乏しい彼等は、何とか食い扶持を探さねばならないと躍起だった。そこに偶然通りかかったローとテハヤが人手を欲しているときた。すぐに利害の一致で、行動を共にするようになったのだ。

　特に大した計画はなかった。確かに、ただの気まぐれだった。それでも、皆で過ごした日々は意外にも楽しかった。単なる友達ごっこ、家族ごっこだったとしても、それで良かった。

「だから、どうした」

　そう言って強く王子を睨み返す。それがローにできる、精一杯の抵抗だった。食いしばった歯の狭間から、ギリ、と音が洩れる。

「俺の友を穢すな」

「穢すな……？」

　王子は柔らかな笑みを湛えたまま、乾いた声で、ははっ、と笑った。そして、彼はすっと声を潜める。

「勘違いも甚（はなは）だしいな。俺達の国の、善良な市民を穢したのは誰だ？」

　彼の口元から笑みが剥がれ落ちた瞬間、ローの全身を戦慄が駆け巡った。まるで、冷たい刃を心臓に突きつけられているような錯覚だ。もう、なにも考えられやしない。視線を、彼の形の良い唇に注ぐのみだ。

「最後の光景だ。よく目に焼き付けておくといい」

　友の名を呼ぶ男の絶叫が、森の深くに吸い込まれていった。

「君は、テハヤ、だったか」

　振り返った王子を、テハヤは憎しみに支配された目で、強く睨んだ。

「よくもローを！」

　怒気に煮え滾る目を血走らせ、慟哭するテハヤを、青年ヴェイドが押さえつけていた。テハヤの目の前には、ただの肉塊と化した友の姿。地面に突っ伏し、逆方向に曲がった屍の首には、少年の細い腕が巻きついている。その腕が白いせいか、暗闇にやけにくっきりと浮かび上がっていた。

「お前には、とりあえず牢に入ってもらおう」

「……くっ」

「おっと。その手はとらせないよ？」

　手慣れた様子でカルキが素早く布をテハヤの口に突っ込み、自害を阻む。

「ふむふむ、毒は仕込んでないみたいだね」

　カルキはそのまま、テハヤの顎を片手で掴んで強引に口の中を確認し、確認し終えると乱暴に離した。その勢いでテハヤは顎を地面で打つ。血が流れるも、もはやその痛みなど感じなくなっていた。