第一章
撃滅の七刃
東の森の、更に以南。その深く暗い森に流れる川沿いで、大柄な男達が歓喜に沸きつつ、焚き火を囲んでいた。日に焼け、傷跡を多く残す肌をさらす男達の周りには、大量の大きな麻袋が乱雑に転がり、開いた袋口からは金や宝石が溢れ出ている。それは、彼等の薄汚れた風貌には、随分と不釣り合いな品々であった。
「ロー、乾杯しようじゃねえか」
「おぉ、テハヤか」
並々と酒の注がれた瓶を二つ手に持ったギドが、ローの隣にどかりと腰を下ろした。双方とも、筋肉隆々とした巨漢であった。テハヤという男が不揃いな歯見せて笑いながら、ローの肩を嬉々として叩く。
「ここまでうまくいくとは正直期待していなかったんだが、運がよかったぜ」
「そうだな」
コツン、と合わせた瓶が小さな音をたて、縁から泡が散った。
「お前が町一つ奪いに行くっつった時は、正直驚いたけどな」
テハヤは苦笑する。
「最近は皆まともに稼げていなかったからな」
ローはそうぼやくと、酒を
盗賊である彼等は、ウルバヌス国の地方のある町を襲い、金品を根こそぎ奪ってきたところであった。
「……しっかし、国外れの田舎のくせに、なんでこんな金目のものがごっそりあるんだか」
「流石は富の国ウルバヌス、ということか」
ウルバヌス国は、貿易やら技術革新やらを興すことで財力を蓄えている。大陸でも随一の大国ウルバヌスの町を襲うことは、一か八かの賭けであった。この時代、富の国なれば必然的に軍の国でもあり、また逆も然り。強盗の界隈でも、ウルバヌスで盗みを働くことは、死を
不安を払拭するかの如く、手に持っていたくすんだ色の瓶を、ローは豪快に煽る。口の端から漏れた冷たいビールの水滴が、つた、と顎に沿うように流れた。
「ここで浮かれてらんねぇな。ここまで追っ手も来ないとは思うが念のため、もう暫く休んだら移動するか」
「それはできねぇな」
突然投げ返された言葉に、彼ら盗賊は一同、面貌に焦燥感を走らせた。
「だ、誰だ」
皆、咄嗟に自分の武器に手をかけてその場で立ち上がり、目を鋭くさせて周囲を見渡す。
迂闊だった。気配がしなかったのだ。
「……来る」
目を凝らしていた先の薄靄がかかった暗闇から、数人の白い軍服を纏った男達が現れた。
「まさか、あれだけの人数が居ながら気配を消していたってのか!」
人数に応じて必然的に気配は濃くなり、察知に容易いはずなのだが、それを全く感じさせない気配の消し方は、常人のなせる
「ねー、腹へった。朝飯の余りまだあったっけ」
「……黙れ」
「おい、締まりが悪くなるだろ!」
「その発言がもうアウトだと思うよ」
しかしそんな男達の心境に反して、突然現れた彼等はなんとも気の抜ける声音で、
「何分割けばいい? 俺これからチェスする予定があるんだけど」
「それ、休憩ですよね」
「まあまあ。すぐ終わらせて帰ろう? ね?」
霧でぼんやりとぼやけた視界の中に、ゆらり、
場違いな雰囲気の彼等に、男達の動きは意を突かれて固まった。それも束の間、みるみるうちに、男達の血の気が引く。
「じょ、冗談じゃねぇよ。まさか、奴らって……」
"
ぽつり、と呟いた誰かの言葉に、男達の表情は一気に強張り、四肢が自然と震え、中には膝をつく者すらいた。
それは大陸にその名を轟かす、ウルバヌス国の精鋭部隊の呼称。
彼らの左胸を飾る、銀のバッジが鋭く光を反射した。
「おいおい、随分な人数だな。報告に来た奴は数が数えられねえのか。えらい違えじゃねえか」
黒髪から覗く紅眼が際立つ男が、軽く眉を顰めた。しかし、口調は寧ろ楽しそうで、さして嫌がってはいない。
風を纏って翻る彼のマントが、眩しいほどの白さを放つ。
「流石、リーカス。お前の予想は外れねぇな」
「当たり前です」
彼が愉快そうに声を弾ませて言えば、側に立つ黒縁の眼鏡をかけた、リーカスという男が即答した。
「さて、と。どうしようか」
赤眼の男はそう歌うように告げると、にやっと不敵に笑む。冷徹で、甘やかで、それでいて張り詰めた気配には一才の隙がない。
引き下がらないとばかりにローが彼を睨んでも、いかにも余裕綽々といった様子で、彼はその視線を受け止めている。
「ここ、俺らの
僅かに細めた彼の紅い瞳が光を宿す。その視線は身が震えるほどの威圧感と、暴力的なまでの迫力を伴って、ローを縛りつける。
「出て行ってもらおうか」
半ば錯乱状態に陥ったローの仲間が、大声を上げながら彼らに突っ込んで行った。
「こんなところで! 冗談じゃねえ!」
目を血走らせ、刃物を手にした男が迫っていても、彼らは誰一人として動かない。その瞬間、ローの脳裏に名状し難い不安を過ぎる。
紅の瞳が、「来いよ」と、そう言っているように聞こえる。
「待てっ」
制止の声を上げるも、虚しく。伸ばした手は空を掻き、血飛沫をあげた男の瞳が刹那にして色を失ってゆく様を、ローはしっかりと目撃した。
ドサリと男が崩れ落ちたのを皮切りに、彼等と盗賊の男達の衝突が始まった。次々に倒れて行く仲間の姿を見て、ローはその悔しさとやり切れなさに唇を強く噛み締めた。圧倒的な力量の差は、言わずもがな、見て取れる。
「ロー。俺そういえば、彼奴らのことを少し詳しく聞いたことがあるんだ」
ローとテハヤが互いの背中を合わせて剣を構えた時、テハヤがぽつりとそう言った。突撃派のローに対して慎重派のテハヤは、仕事前になると屡々、酒場や城下町に足を運び、強盗先の情報を仕入れていた。ロー達の手柄の半分は彼の情報のお陰だと言えるだろう。
「そうなのか」
一人、また一人と、悲鳴をあげて地面に伏してゆく姿を直視出来ず、ローは目を背ける。
「もう、俺達は逃げられないのかもしれない……」
「そんな!」
「一人一人が、一個師団分の力を持つと言っても過言じゃないんだ……」
奪ってきた金品を掴み取り、一目散に逃げようとした男の前には、大きな影が立ち塞がった。光を浴びた燃えるようなオレンジ色が、彼の怯えに揺れる瞳に映り込む。
「ここを通すわけにはいかねぇな?」
断末魔をあげ、絶命した男の前に立つのは、きりりとした目鼻立ちの、いかにも闊達そうな男前。
「ライア・ヘイリス……『黄眼の守護者』だ」
「黄眼の守護者?」
「渾名だよ」
一国の軍の守護神たる男、ライア・ヘイリス。燃えるようなオレンジの瞳が鋭く光る。大きな口から覗く、綺麗に揃った歯は、地面を染める色に反して輝くほどに白い。唸り声をあげて敵を切る大剣は、男の身長ほどある剣で、相当の重さがあるようだった。あれほどの重さの剣は、単に大柄な男というだけでは振れやしない。持って生まれた長身と天賦の才、そして鍛え抜かれた強さを持つ者のみが扱うことを許される、騎士の大剣である。
突如、ローとテハヤの目の前で、鮮やかな血煙が舞った。寸分違わず胸を射抜かれ、側にいた男達ががくぐもった声をあげて生き絶える。その先には。
「なめてもらっては困ります」
「奴はリーカス・ケイだ」
黒縁の眼鏡を、彼はすらりと長い指で押し上げる。主に軍師の役割を担い、撃滅の七刃の頭脳とも謳われる、王国屈指の秀才。『黒眼の叡智者』と呼ばれるほど秀才なだけではなく、正確な弓矢の技術を兼ね備えた、エリートである。
「ああっ……いやだ……あ゛ぁぁぁ!」
絶望と恐怖に満ちた絶叫があがった。その拍子に鴉達が木々から一斉に飛び立つ。
また一人、男が他に伏した。身体は傷だらけで、至る所から流血した死体が、無惨な姿で転がっている。
「うるせぇんだよ」
心底忌々しげに舌打ちする音が聞こえた。
今まで見たこのないような、テハヤの怯えた表情を見て、ローは一気に血の気が引いた。
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