譚ノ六

 己の心は何処にあるのか

 何度も繰り返した問い

 何の為の道往きか

 今こそ思い出す時




****




 意識を失った、かと思うと意識がはっきりとした頃には道往きを始めていた。

 先日はベンチに座ったまま一歩も動かなかったというのに、どういうことかその先の山道へ―――山頂へと向けて歩を進めている。

 まるで自分が夢遊病か幽霊にでもなった気分だ。


「先日はベンチから動かなかったというのに、今日は足取りが軽いじゃないか」


 何か良いことでもあったかと問われたが特に良いことがあった覚えもないので何となく、と言葉を濁した。

 まただ。

 彼女はいつの間に自分の隣に立ち、歩いているのだろうか。


「なぁ」

「何だい?」


 意識を失いかけた時、何か自分に言わなかったかと伽藍が問うと、紫月はにっこりと微笑みをたたえて「さて」とすっとぼけた。

 何か言ったのだろう。

 それもきっと、伽藍にとって大事なことを。


「三度目になるけれどもね、キミは何処まで往くんだい?」

「……分からない。だが、一廻りしたいのだと思う」


 結局、自分のことはこれ以上思い出せない。

 けれども目的だけははっきりとさせたくて、考えて考えて、この道往きを全うしようと考えた。


「それなら最後の最期まで付き合おうじゃないか。何、山頂まであと十五分程。そこから下山するのも寄り道する必要はないから、じき下りられるからね」


 暗い山道を歩いていく。

 山頂はあっという間だった。

 山頂だと示す看板は残念ながら夜の闇に沈んで見えないが、残りはほとんど下りばかりだ。

 ここもまた暗闇に沈んでよく見えない。

 まるで闇に飲み込まれてしまいそうな錯覚を覚える。

 何故、自分はこんな夜に道往きをしているのだろうか。今は考えるだけ無駄だ。

 下へ近づく程に、鳥居の数は減っていく。

 脇道には手入れもされなくなり朽ちてゆくのを待つばかりの鳥居もぽつりぽつりと立っていたり、小さいものは折り重なっていたりしている。

 いずれ自分達もああなるのか。


「―――自分達……?」


 自分の言っていることに違和感を覚えて首を捻る。


「どうしたんだい?」

「いや……」


 何でもない、と首を振る。

 やがて出口に辿り着いた。

 終わったのだ。

 自分の道往きは。


「さぁ、伽藍。キミ達の道往きはこれで終わりさ。還ろう」


 在るべき場所へ。

 そう言った紫月の言葉が理解できなくて、伽藍はまた首を捻った。


「俺は一体―――」

「還るべき道を見失い、長くこの山に誘われ彷徨う哀れな“迷鬼”。キミ達はもう“人”じゃないんだよ」


 あぁ、そうだ。自分達は彷徨っていたのだ。

 何処へ往けばよいのか分からなくて、その内に数が増えて、自分達が誰であったのかさえ忘却の彼方へ消えてしまってもただ道を往くことだけを思い出した時に歩く。

 そんな存在になってしまっていた。


「俺を……皆を、喰らうのか?」

「そうだよ。ボクは“鬼喰”だから。キミ達の“迷鬼”。ボクが喰らってあげよう。この堂々巡りの環から解放されるために」

「俺は……俺達は、元から“人”じゃなかったんだな……」

「いつの頃かは“人”だったのかもね。長く彷徨っている内に、様々な迷いを受け入れキミ達はそんな色んな想いが形作ったモノ―――皆で一つの“迷鬼”。さぁ、キミ達の道往きはもう終わりだよ」


 紫月はさらに笑みを深くした。

 纏めた長い黒髪が、蝶と花柄が散る漆黒の着物の袖が……月明かりの下、風に踊る。

 そして唇の前まで持ち上げた掌に彼女が息を吹きかける。

 瞬間―――月を覆い隠すほどの黒い何かが何匹も舞い上がった。

 黒い、蝶だった。

 蝶達は舞い上がったかと思えば伽藍の上へと降り注いだ。

 視界が黒い蝶で塗りつぶされる。

 無意識に、慌てて腕や足を振って、蝶達を引きはがそうと動く。

だが蝶達は離れなかった。振り払えば振り払う程、数をなして自分達に群がってくる。

 まるで喰い潰されていくようだった。

 自分が……自分達がどんどんと小さくなっていくのを感じる。

 何がどうなっているのかさえ分からない。

 ただはっきりと、紫月の声だけは聞こえた。


「ごちそうさま」


 と。

 そして、最後の一人に至る全ての意識が閉じていった。

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