冬には珍しい晴天となった昼下がり。慎ましくも賑わうはずの大通り。その一角は、不穏な騒めきに支配されていた。

「これで4人目か？」

「通りの商店の娘さんだってね。かわいそうに……」

「街の教会から祓魔師が来ていたけど、彼は何をしているんだ？」

「祓魔師でも狩人でもなんでもいいわ。早く退治してくれないかしら。」

人々が注目する──しかし誰ひとりとして直視はしない──路地の奥、自警団の団員たちの足元には、布をかけられた遺体があった。

「通していただきたい。」

凛とした女性の声が、野次馬を振り向かせる。陽に輝く飴色の髪に、珍しい金色の目。

「分団長、こちらです。」

団員の1人が人の波を掻き分け、彼女を遺体の元へと案内する。再び路地を塞いだ野次馬は、少しだけ安堵の色を見せた。

「彼女なら、きっとなんとかしてくださるわ。」

「頼りになる御方だからな。」

「また町を護ってくださるだろう。」

陽の届かない凍えるような野地裏で、分団長は膝をつき、無惨に喰い殺された女性に祈りを捧げた。

「君の死は、決して無駄にはならない。」

祈りの最後にそう付け加え、遺体にそっと触れる。石畳みよりずっと冷たい腕に、金色の目が揺らいだ。

　その様子を見つめる人影が1つ。目深にフードを被り、黒いローブから覗く両手には、手袋をしている。通りがかった女性が、頭1つ大きいその人影に息を呑み、踵を返す。男性を連れてその場に戻ったときには既に、その人影は消えていた。

　自警団の本部には、とある夫婦が訪れていた。

「見たんです、私……」

女性は何か恐ろしいことを思い出したのか、震えながら訴える。その肩を、男性が安心させようと抱き寄せた。

「分団長、妻の話を聞いていただけますか？」

「もちろん。奥さん、どうか落ち着いて。ここに君を恐怖させるものなどないよ。」

女性は頷いて、口を開いた。

「昨日、人狼が出た路地の近くで、怪しい人を見たんです。」

「どんな格好をしていたかな？」

分団長は優しく問いかける。

「はい……黒いローブを着ていて、背は、主人と同じくらいで……あっ、あと肌が、口元まで布で覆われていて、少ししか見えませんでしたけど、とても白かったです。まるで、人間じゃないみたいで……」

そこまで言うと、また女性は身体を強張らせた。男性が肩を摩って落ち着かせようと努める。

「他に、何か気が付いたことは？」

「それ以上は……ごめんなさい。」

「いや、話してくれてありがとう。君の勇気は、きっとこの町を救うだろう。」

　分団長は夫婦を見送り、団員に指示を出すと、立て掛けてあった片手剣を手に取った。

「怪しい、黒いローブ……」

少し刃を出し、そこに写る金色の目を見つめる。納めると、心地の良い音が鳴る。彼女は剣を佩き、夕闇が迫る町へと赴いた。

　静まり返った町に、1人分の靴音が響く。金色の目が、路地の先に何かを見つけた。闇に溶け入るような、黒いローブ。曲がり角に一度身を潜め、ひと呼吸置いてから、黒いローブと対峙する。

「止まれ！」

分団長の声が路地に響く。背を向けていた黒いローブは、その歩みを止めた。影のようにぼんやりと佇んだその人物は、フードを深く被り直した。分団長はフードの下の顔を確認しようと目を凝らしたが、わずかに覗いた異様に白い肌が見えただけだった。

「私はウェンデルガルト。自警団の分団長の1人だ。君、この町の人間ではないね？」

黒いローブは声を発さずにいる。

「今この町では、狼男による被害が発生している。夜間の外出は原則禁止だ。被害に遭いたくなければ、今すぐ宿に戻れ。それとも──」

分団長は剣を抜く。

「──獲物を探していたのか？」

構えると同時に一歩前に出した靴が、石畳みを鳴らした。

「先日、狼男の被害が出た路地の近くで、黒いローブの男が目撃されている。そう、いま君が着ているようなね。詳しい話を聞く必要がありそうだ。大人しく」

分団長が言い終わるよりも前に、黒いローブが走り出す。

「待て！」

入り組んだ路地を、黒いローブが素早く駆け抜ける。静かな足音を分団長は追うが、角（かど）をいくつも曲がるうちに、その姿を見失ってしまった。

　警戒しながら路地を出る分団長を、屋根の上から見つめる、赤い目。肩に留まっていた青い蝶が飛び立つと、黒いローブはそれを追って屋根の上を静かに跳び、森へと消えていった。

　紙の上をペンが走る音を、ノックの音が遮る。

「どうぞ。」

「失礼します。分団長、新しい祓魔師の方がお見えです。」

「新しい？呼んだ覚えはないが。」

「それが、旅人だそうで……」

「……まぁ良い、お通ししろ。」

しばらくして分団長の部屋を訪れたのは、眉目秀麗な男だった。長身で恰幅の良いその男は、司祭服を身に着けている。

「お会いできて光栄です、ウェンデルガルト分団長。」

「祓魔師の方だそうで。何か？」

分団長は彼を一瞥すると、またペンを走らせた。

「〝何か？〟とは。ははっ、冷然たる物言いですねぇ。」

「申し訳ないが、私は忙しい。用件は手短に済ませていただきたい。」

「なぜ忙しいのですか？」

ペンが止まる。

「貴方に関係が？」

「もちろん私は祓魔師ゆえ、この町で起きている事件の解決を、お手伝いできればと。」

ペンが苛立ちを示すように置かれ、カタン、と机を打つ。分団長は顔を上げた。

「つまり、この町で何が起きているのか知っていながら、貴方は私に〝なぜ忙しいのか〟と、そう聞いたわけだね？」

「これは失敬。応えることには慣れておりますが、問い掛けることには慣れておりませんので。」

不気味なほど整った祓魔師の笑みに、分団長はため息を呑み込み、立ち上がった。

「どうぞ。」

「失礼いたします。」

扉の前で立ったままの祓魔師を長椅子に促し、分団長も対面に座った。

「旅人だそうで。」

「えぇ。各地を巡り、先々で祓魔を請け負っております。」

「珍しい祓魔師もいたものだ。それで？流れ者の貴方に、この町を救えるのか？」

「おやぁ、これは手厳しい。ですが、腕には自信があります。」

「教区教会から派遣された祓魔師でさえ、なんの成果も上げていないのに？」

「あぁ、礼拝堂に籠っていた彼ですか。祓魔許可証は確認されましたか？」

「……いや。教会籍は確認したが。」

「申し上げ難いのですが、おそらくは〝見做し〟──つまり、正式な祓魔師ではないでしょう。」

「そうだったのか。」

「えぇ、はい。自警団内部の害ある霊現（れいげん）にさえ気づかない有様ですから。」

分団長の視線が、祓魔師に鋭く刺さる。

「あぁ！既に祓っておりますよ。悪戯程度しかできないような、弱いものでしたが。」

「……その分の代金も、支払った方がよろしいかな？」

「いぃえ、本当に簡単なものでしたので。分団長様のお時間を頂けるだけで、充分でございます。」

分団長は訝しげに祓魔師を見た。

「許可証を確認しても？」

「えぇ、こちらです。」

祓魔師は懐から小さな手帳を取り出し、机の上に置いた。上質な革装には紋章が刺繍されている。冠と鍵、そして流星。分団長は手帳を手に取った。開くと、表紙の裏に祓魔許可証が書かれていた。

『祓魔師　シルヴァーノ・インノチェンティ』

それらしい物ではあるが、分団長にはこれの真贋を確かめる術が無かった。彼女は見極めるように祓魔師を見る。その先で、祓魔師は整った笑みを崩さない。手帳を閉じた分団長は、それを祓魔師に返した。

「まぁ良いだろう、この町での活動を許可しよう。各所への連絡はしておく。もし成果を上げられれば、報酬も支払おう。ただし、混乱を招くようなことはしないでいただきたい。」

「もちろんでございます。」

そう返した祓魔師は、立ち上がらず、微笑んだまま分団長を見続けている。

「他に何か？」

「資料は見せていただけないので？」

祓魔師の視線が、やや左に逸れる。その先には分団長の執務机があり、事件の資料が置かれていた。おそらく、部屋に入った時から目を付けていたのだろう。

「君、聖職者らしくないと言われないかい？」

「よく言われます。」

臆面もなくそう答えた祓魔師に、分団長は隠すことなく、ため息を吐き出した。