第16話 ライトニングボルト博士
「落雷時の電圧は二百万から十億ボルト、電流は千から五十アンペア。まるで夢のようなエネルギーですが、あまりに短時間で集まるため、電池などに充電できずにいたんです」
依頼人代表の武田さんは、早速お母さんに説明し始めていた。
「この電力を貯めることができるなら、ごく平凡な家庭なら一ヶ月か二ヶ月くらい生活できると思います」
「あら、それはお得な話ね」
スーツを着たお母さんは、一人掛けソファに座って足を組んでいる。依頼人代表の武田さんは、その少し斜めの位置にある、お客さん用の一人掛けソファに座っていた。
「これまで雷の電力を、電池に入れることに成功した科学者はいません。ですが、雷門博士が、電池の雛形の作製に成功しまして」
武田さんはテーブルに資料を並べ出した。
「雷門一郎、海外での愛称はライトニングボルト、一部では、希望の朝日とかけてライジングボルトなんて造語で呼ばれてる、それぐらい期待された人なんです」
お茶汲みしていた僕はせっかく紅茶を置こうと思ったのに、テーブルの上を占拠されちゃって、仕方なく端っこに置いた。
「落雷により生じた電力は、莫大な量ですが、一秒とたたず消えてしまいます。消える前に一瞬で全電力を貯める電池ができれば、世界的にも大変な価値のあるエネルギー源となります」
「去年の新聞に、その記事が載ってたわね。電池が完成したら、今世紀最大の発明品になるだろう、って」
「はい……十個中、二個が成功しましたが、まだ試作段階で、安定してエネルギーを充電できないのです。おまけに、電池は一度使うと故障してしまい、修理に専門の職人が大勢いります。研究費と職人の人件費がすごくかかって、博士も焦っているのか、ここ何年も不眠不休の状態なんです」
「睡眠は、うたた寝程度で、ひどい時は立ったまま寝ていた時もあったそうね」
「あ、事前にお送りした資料を読んでくださったのですね。その通りなんです。あの電池を設計できるのも、職人にわかりやすく説明できるのも、実験を繰り返して電池を改良できるのも、雷門博士だけなんです。あの人が倒れたり、不摂生な生活で脳梗塞にでもなったら、あの人は入院している病院も抜け出して研究しそうな勢いなんです。もう狂気ですよ……。最近は僕の名前まで忘れる始末なんです。ずっと一緒に研究していた僕をですよ?」
「その症状については、私も深刻に捉えているわ。医師の診察結果はまだなんだけど、過度なストレスによる記憶障害の可能性があるの。このままじゃ研究にも支障が出ちゃうし、健康面もそうとう危ないわ。三食におやつに夜食もラーメンなんでしょ?」
「はい。しかも、超こってり系の。一日に摂取している野菜は、ラーメンに入っているシナチクとネギだけ。せめて、野菜ジュースだけでも飲めって言ってるんですが、聞いてもらえなくて」
「名前すら忘れてる人からの指図だものね」
「そう言われると、へこみますね」
雷門博士は軽い記憶障害に陥っているせいで、部下と揉め事が増えてしまい、最近は言動がパワハラめいているとも、武田さんは付け足した。
お母さんは雷門博士らしき顔写真が貼り付けられた書類を手に取って「うーん」と困った子供をまた一人見つけたみたいな、軽いうなり声を上げた。
「このままじゃ博士が孤立しちゃうわね……価値がある脳味噌でも、性格が悪くなったら、有能な部下からの裏切りに遭うし、庇ってくれる人もいなくなっちゃう」
「僕だけは支えていきたいのですが、こう、何度も名前を尋ねられるのは辛いものがありますね……」
「今日昨日の間柄じゃないのにね」
ふふふ、と微笑むお母さん。だけど、目の前の武田さんが本気で落ち込んでるのを見て、苦笑した。
「わかったわ。相当ひどいことになってるってことがね」
「ありがとうございます、来てよかったです」
「あなたを含めて、他大勢の研究員からの著名も充分集まってるし、博士ったら人気者ね」
お母さんの胸ポケットのスマホが、振動した。お母さんは素早くポケットから抜き取ると、用件を確認してまたポケットに戻した。
「よかったわ、スタッフたちの予定が全員取れた。彼らも忙しいから、急な仕事をねじ込んでしまうと、スケジュールを合わせるだけでも一苦労なのよね」
その急な仕事っていうのは、武田さんの依頼なんだけどね。
「この子は、私の娘なの。私は十分ほど部屋を抜けるから、その間この子と喋ってて」
お母さんはスマホで電話をかけると、スタッフと打ち合わせをする予定日を決めるために、専門用語満載で話しながら歩きだした。
僕はおっかなびっくり、さっきまでお母さんがいた椅子に座った。途端に武田さんも、緊張し始める。年上の貫禄ある女王様みたいなお母さんの前だと、どんな横暴な依頼人も、迷信にすがる子供みたいな態度になるんだけど、僕の前だと、この人は緊張するみたいだね。
武田さんはまず、僕のお母さんをすごい勢いで褒め始めたよ。全面的に信頼しているみたいだ。良かった、仕事上うさん臭く思われがちだから。
その後のトークは、ほとんど武田さんによる、雷と博士の自慢話だった。
「稲妻は光速で、雷鳴は音速で伝わりますので、空が光ってから雷鳴が轟くまでの時間を計れば、雷の発生場所がだいたい把握できます」
「それなら知ってる。日本の中学生が、理科の授業で習うよね」
「はい。ですが、だいたいでは困りますので、博士が作った人工知能があらゆる落雷のデータを参照し、より正確な位置がばっちし掴めるようになりました」
「へ〜そうなんだ、すごいね」
僕はテーブルの下から、博士の記事をまとめたぶ厚いファイルを取り出して、武田さんの話に合わせて、ページをめくって読んでいた。仕事前には手持ちの資料をぜんぶ読んで、頭に叩きこんではいるんだけど、やっぱり熱意ある人からの話を聞きながら読み直すと、もっと理解が深まるよ。
ここに来る人は、そういった人が多いから、よけいに助かる。
「博士が発明した傑作の一つに、ジェル避雷針があります」
「ジェル? ぶにゃぶにゃしてるの?」
武田さんはジェル避雷針のサンプルとして、ジッパー付きのビニール袋に入った黄色のトロッとした液体を見せてくれた。
「雷が地上に落下したとき、放電される熱量は2、3万℃という、とてつもない高温になります。つまり、このジェル避雷針は高温に強くて、雨風にも強くなければいけません」
「ふぅん、そんな丈夫そうな液体に見えないけどなぁ」
「容器に納まっているときは、水と大差ない見た目をしていますが、外気に含まれる特定の気体と、調合した薬剤の配分により、固まる時間を調整できるジェルなんです」
「へ〜、外に出ると硬くなるんだ。でも、ジェルに雷が落ちてくれるのかな」
「そこなんですよ、博士のすごいところは。雷の発生原理には、様々な説があり、今も様々な研究が続けられています。もしも全てが解明し、低コストで人工的に雷雲が作れたら、こんなにエコロジーな電気エネルギーは他にありませんよね」
「そうだね。エネルギー発掘とかしなくて済むね。もしかして、博士は人工的に雷雲を作っちゃうの?」
「いえ、その研究は他の方々がしています。博士は、今すぐ大量の電気が欲しい人なんです」
「今すぐ……」
「博士の計画は、世界で常に雷が発生しやすい状態にある地域を人工知能で管理させ、放電間近になった雷雲へ向けて、ジェルを人工知能で調合して真上にどんどん伸ばしてゆきます」
「運だよね、落雷するの」
「いいえ、博士は、その雷雲が好みそうな避雷針を、ジェルで瞬時に形作る研究をしています」
「好みの避雷針?」
「簡単に言うと、ジェルの中に稲妻の通り道となるプラズマを発生させるんです。企業秘密なので、詳しいことは言えません。それに、まだ五回しか成功していなくて」
「成功例があるんだから、すごいよ」
僕が励ますと、武田さんは「ですよね!!」と言って笑顔になった。
「このジェルに、もしかしたら雷の電力を閉じこめることが、できるかもしれないんです。そうすれば電池に一気に電力を充電させなくても、じっくり充電させることができるかもしれません。雷門博士の発明品は試作段階ですが、あらゆる可能性に満ち溢れているんです! もう、毎日がワクワクですよ!」
武田さんは専門的な用語を極力省いて、僕にもわかりやすく話してくれるから、よけいに博士を天才たらしめる存在に印象づけてゆく。
なるほど、これはお母さんが数多の予約を先送りにしてまで引き受けるわけだよ。博士は将来有望過ぎるからね。
「楽しそうだね。次は武田さんが過労で倒れないようにね」
「あ、はい、善処します」
苦笑しながらガシガシと頭を片手で掻きむしる武田さん。きみもお風呂入ってる……?
あ、お母さんが戻ってきたよ。僕は椅子から立ち上がって、席をお母さんに譲った。
武田さんが、ほっとした顔になる。
「今回は、僕なんかの依頼に応えていただきまして、その、なんか、恐縮です。ありがとうございます」
「あら、どうしてあなたがかしこまるの? 博士に失礼よ?」
「あ、アハハ、そうですね。あなた方は、うちの博士に世界的価値を見い出してくれたから、他の予約もあるのに、優先してくださったんですもんね」
「それは外でしゃべっちゃダメよ?」
「あ、はい、もちろんです。博士だけ贔屓にされたなんて思われたら、いざ大きな賞をもらうときに、不利に働いてしまうかもしれませんからね」
博士の健康を心から心配する、大勢の著名と理由、さらに著名した本人も来訪。今日このビル内には、世界中のお偉い様が、代表で百五十人ぐらい来てるよ。入りきらないから、別室で待ってもらってるんだ。お母さんが向かったのは、きっとその別室だと思う。
慕われてるね、ライトニングボルト博士。
そしてよっぽど生活習慣が乱れてるんだね、こんなに大勢の他人に心配されるなんて。悪臭、ただよってたのかも。
記事の切り抜きや、ネットで集めた情報のプリントアウトには、博士を称賛する文章ばかりで、彼のどこに問題があるのかは、今日ここに来た武田さんの話と、送られた資料を読まない限り、わかんなかったかも。
まあ、この時の僕には、まさかお母さんが博士の件を丸投げしてくるなんて、夢にも思ってなかったから、ちょっと他人事って感じで、そんなに心配してなかったかな。
だってお風呂にも入ってない、アラフォーメタボおじさんだし。親身になれって言うほうが無理だよ。
うちの施設に入所する三日前に、肩を撃たれたりしてなかったら、今も親身にはなれなかったかもしれないや。
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