第15話 俺を形作っていたモノ
「さて、僕はお店の掃除に戻らないと。お二人はどうぞ、ゆっくりしていて下さい」
「ああ佐々木さん、お掃除の事は考えなくていいよ。うちのスタッフさん達に任せておいてね」
「そうですか? 恐縮です。本音を言うと、とても一人では片付けられそうになくて……」
佐々木さんは、へへと照れ笑いしながら肩をすくめた。島田のおっさんというゲームの中でのキャラクターを演じるだけでなく、ちゃんとセットの片付けまで、喫茶店の店主っぽく引き受けようとするあたり、真面目な人だと思う。
「僕らはこの後、探偵事務所に移動しようと思うけど、佐々木さんはどうする?」
「従業員専用の控え室がありますから、そこを借ります」
その控え室とは、この二階の従業員控え室ではなく、有沢が所属する施設の、スタッフルームのことだろう。
「まぁ僕らが戻る場所も、探偵事務所とは名ばかりのスタッフルームその1って感じなんだけどね」
有沢が俺に振り向いた。
「飲み終わった? 博士。そいじゃ、車で第二ビルに戻ろうか。探偵事務所は、ビルの中にあるんだ」
「わかった、戻ろう」
「そうだ、佐々木さんも一緒に乗ろうよ。どうせ第二ビルのスタッフルームに行くんでしょ?」
「あ、いいんですか? ありがとうございます」
と言うことで、佐々木さん同伴で第二ビルに向かうことになった。有沢の運転は相変わらず不安定で、そして「近道だから」と言い張って入っていった道は、不穏極まりなかった。
有沢がハンドルを右に切る。枯れた草木が目立つようになってきた。何やら工場地帯に入ったのか、煙突からもうもうと鮮やかな色彩の煙が立ち昇っている。
全体的に不健康な景色だ。周囲の自然が枯れているのは、近場の工場の薬品が漏れ出しているとかじゃないか?
こんな不気味な場所で、有沢が車を路肩に停めた。
「どうした」
「ちょっと道を確認する。この辺に道案内の看板があったはずなんだけどなぁ」
「おいおい、まさか迷ったのか?」
「下りて確認してみる。あっそうだ、佐々木さんも同行お願い。ここに来たことあるでしょ」
「あ、はい、最初にここに来たときに、案内されましたから、少しは見覚えがありますよ」
有沢と佐々木さんが外に出た。俺は車内で待つことにした。
突然、車のドアから、ガチャッと野太い金属音が鳴った。ぼろい車だし、奇妙な音が鳴るのは別段不思議なことでは無いのだろうが、あまりにも大きな音だった。
有沢の手には、小さなリモコンが。あいつが外からピッと鍵をかけてきたのかと思ったが、そのリモコンのボタンの多さに、俺はハッとなった。
よくわからないが、このまま車内にいては危険だと、俺の生存本能が告げている!
ドアノブに手をかけたがドアが開かない! 反対側のドアノブにも手をかけたが、これも開かない!
俺は窓を拳で叩きながら、助手席や運転席のドアノブにも腕を伸ばした。
「出せ! おい出せよ! お前達、何考えてるんだ! なんで閉じ込めるんだ!」
俺の剣幕に驚いたのか、佐々木さんがおろおろしているが、車に近寄ってくる様子は無い。
有沢が別のボタンをポチッと押すと、クーラーの冷風が入る代わりに、プシューッと白い煙幕が、瞬く間に俺の視界を奪った。
ラジオの代わりに、外にいる有沢の声が入ってくる。
「今日一日のノルマは達成したんだ。いろいろ問題はあったけれど、ゲームの主人公が敵キャラからの挑戦を、受けて立つところまでシナリオが運べたから、今日のゲームは、もうおしまい」
俺はどこかに脱出できる場所はないかと、車内中を殴ったり蹴ったり、大暴れしてみたが、やがて体が動かなくなって、後部座席の椅子に倒れていた。
クッソ、佐々木さんもグルだったのか……もう絶対に、社員食堂には入らないからな!
「またラーメン屋さんに行ったんですか?」
「ええ、引き止めたんですけど、聞いてくれなくて。最近お気に入りの店ができたとかで。この辺、ラーメン屋多いですから」
「そう、ですか……」
白い廊下で、コック帽をかぶっている男性が、研究員風の男としゃべっている。あの後ろ姿と声は、後輩だ。登山部で、登山途中に肩を脱臼して、俺がしぶしぶ一緒に下山してやったやつだ。
「噂ですが、博士は朝から晩まで、夜食もラーメンだと聞いています。ラーメンがお好きなのはわかりますけど、糖質ばかりでは体を壊してしまいますよ」
「僕だって、先輩の体が心配ですよ。ですが、いくら社内食堂へ寄ってくれと言っても、聞いてくれないんです。最初はただのわがままだと思ってたんですけど、なんだか、僕との会話内容そのものを覚えていないみたいで……」
なんだって? それはもう、認知症の域じゃないか。このラーメン好きの博士ってやつは、俺の事みたいだな……俺まだ四十歳にもなってないのに、頭ヤバイことになってるじゃないか。
「そうですか……博士は最近、研究予算が削られそうになっていることに、神経質になっているとの噂を聞きました。栄養の偏った食事のせいで、イライラしやすくなっているんだと思っていましたが、記憶まで混濁しているなんて……今の博士から、楽しみを奪うなんて、とてもできませんね」
「引き止められない僕にも責任はありますけど、ラーメンを食べに行ってる時だけが、先輩が幸せそうな顔するんですよね〜。たぶん、好物を食べることだけが、研究以外の唯一の楽しみなんだと思います」
実際ラーメン屋めぐりしか趣味がないが、人に言われると、なかなかに恥ずかしい。
俺は二人の様子を、どこで見たんだったかな。確か、ラーメン屋に行こうとしたら、急に腹が下って……トイレから出てきたら、あの二人が廊下で喋っているのを見かけたんだ。俺は思わず廊下の角に、身を隠していた。
ああ、あのコック帽の人は……社員食堂で働いてる、佐々木さんだ。野菜やヘルシーメニューを考えるのが得意で、肉料理や油物は苦手なんだよな。痩せる健康メニューばかりだから、女性社員には人気があるそうだが、おどおどしていて男性社員からはウケが悪い。社内でも浮いてるんじゃないか。
一度も話した事はないが、俺の健康を心配しているようだな。社員への健康的な食生活を提供するために雇われている人間ならば、今一番不規則な食事をしている社員のことは、気になるのかもしれないな。
危ない。これ以上近づくと危険だ。それでも――
「先輩! 危ないっすよ! マジで落雷したらどうするんですか!」
「近くで見たいんだ!」
「はあああ!?」
「大丈夫、大丈夫だから!」
絶え間なく轟く雷雲の下、ほとんど互いの声も聞き取れなくて、実際はもっと声を張り上げていたし、同じセリフを三回ぐらい繰り返していた。
「なに無責任なこと言ってるんですか! 寝不足が過ぎて頭おかしくなってるんですか!?」
雷、落雷、雷雲、稲光、膨大なエネルギー
「戻りますよ! もう! ガキじゃないんですから!」
そうだ。もっとも身近で膨大な、大自然から生じるエネルギー。頭上で無料で轟いている、エコの究極体!
俺はあれが欲しい。ゴミ捨て場のゲーム機体を修理して、同じゲームを何度も繰り返し遊んだ。本屋の店主が頑固ババアで、立ち読みすら許してもらえなかった、あの貧乏な子供時代。
親が生活苦に耐えかねて、テレビも扇風機も、電気スタンドも、ゲーム機も、売ってお金に換えた、あの日。
俺は無限にゲームができる電力が欲しかった。ゲーム機は、また素材を拾って作れる。ゲームそのものを作るセンスは無いから、せめて、電気が、電力が――
あるじゃないか。すぐそばに。
六月の低気圧、空が真っ黒い雲に覆われたあの日。今にも落雷しそうな高台に昇り、俺は空に向かって、稲光り輝く天空へと、両手をのばした。
コレが欲しいと。
全身ずぶ濡れで、西洋風のゴシックな扉の前に立っていた。
備品の透明なレインコートを着てはいるが、暴風雨の中、子供のように駆けずり回っていた俺は、あらゆる部位から数珠つなぎに水滴を垂らしていた。
扉が開いて、現れたのは、有沢だった。
「少し休憩しよう。コーヒーなら僕が淹れる」
優しい声だった。
「どうしたの? 入らないの?」
「あ、ああ……入る」
もたつく俺の手を取って、有沢は部屋に引き入れてくれた。天井には黒ユリのシャンデリア、部屋の奥には火のついた暖炉。大きな窓からは、稲光が点滅する。
有沢は俺を、黒い四人掛けの豪華なソファに座らせると、コーヒーを淹れに離れた。
ぼんやりする……不快ではないが、気分が悪い。少し、横になることにした。なんだか、いろんなことに既視感を覚える……。
【はい】 【いいえ】
ん……? なんだ? なんだこの選択肢。
流れてきたのは、一昔前の懐かしいピコピコ音源のテーマソングだ。
【迷探偵!? 進めライトニングボルト・ジュニア】
ああ……この当時、彼女のファッションセンスは時空を飛び越えていたんじゃないかと疑うほどに、いつまでも色褪せなかった。今ではゴス系のファッション雑誌もあるほどメジャーだ。
彼女の名前は、有沢姫乃。ミーハーで、ライトニングの助手になった理由は金髪外人だからという、意味不明な少女だったな。
でも、不思議と嫌じゃなかった。ライトニングがもたついて、それに伴って生じるプレイヤーのストレスを、軽快な生意気トークを交えて解消してくれる、ヒント係。攻略本という概念がなかったガキにとって、親近感を覚えるのに時間はかからなかった。
今、有沢と部屋で二人きりでいる。彼女も俺と同じものを飲んでいるみたいだ。アンティーク調の揺り椅子に深く腰掛け、カップを傾けている。
何か気の利いたことを話せたらいいんだがな。頭がぼーっとして、何も考えられない。ブラックコーヒーの黒い水面に、二択の選択肢が浮かんでは消える。
【僕と お話する?】
【はい】
【いいえ】 〇
【それじゃあ セーブする?】
【はい】 〇
【いいえ】
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