神様、お願い
ある時、女の働く職場に「おれは神だ」と言う者が現れた。
女は大きな商業施設のお客様サポートセンターで受付をしていた。勤務は長く、もう十数年になる。
大体は迷子の案内だったり落し物、道案内が大半であるが、ごくたまに提供したサービスについてクレームを受けることもある。
会話の中で「お客様は神様だろ」と暴言を吐かれたこともあるが、対面一言目に「おれは神だ」と言う客は初めてだった。
女は目を丸くして客を見つめていた。
上司から厚く信用されている彼女は教育係もしており、後輩に「お客様の目をじっと長く見つめるのは失礼にあたることがあります」と指導することもあったが、あまりにも驚いたので数秒、彼の目を見つめてしまった。
しかし彼女もプロである。
すぐにハッとし、にこやかな笑みを作ってから「失礼しました。それで、ご用件は。」と落ち着いた口調で尋ねた。
神と名乗る男は言う。
「願いを叶えにきた。誰でもいいが、まず手始めにあんたの願いを叶えてやる。」
表情がまるで読めない。だがからかっている様子はない、彼はいたって真面目なようだ。
女は表面上は落ち着き払っていたが、頭の中ではどうすべきか考えを巡らせていた。
このやりとりが聞こえていた数人がカウンターを遠巻きに眺めている。このままでは良くない。大事になる前に穏便に収拾させねばならない。
何を言おうか考えてる時に、男が口を開いた。
「そうだな、確かにおれは目立っているな。あんたの願いを叶えたらすぐにでも立ち去るよ。」と神は言う。
女はぐるぐる考える。後輩も横から心配そうにこちらを見てくる。
その中でふと、ずっと昔から抱えていた願いが浮かんだ。常に頭の片隅にあった願い。
すかさず男は言う。
「そうか、それがあんたの願いか。叶えられるぞ。どうする、今すぐにでも叶えてやろうか?」
女は不思議に思った。自分は声を出しただろうか。
「声を出さずともお前の考えていることはわかる。おれは神だからな。」
それを聞いて女は覚悟を決めた。
「本当に、叶えてくださるんですか?」
後輩が隣で眉をひそめたのが分かった。
当然の反応だろう。今まで真面目に働いてきた先輩が突然、自称ではあるが神と名乗る男に願いを叶えてもらおうとしているのだ。
でも私は自分でも他の誰にも叶えられない願いを持っている。神にでもすがるしかない叶う望みがごく少ない願いだ。
もしこの男が神でないとしても私の考えを読めるのだ。普通の人ではないだろう。
だからこそ、頼める。
「そうだ、いいぜ。おれに頼みなよ。今すぐ叶えてやれるぞ。」
女は唾をごくんと飲み込む。
「ええ、ぜひ。今すぐにでもお願いします。」
女はカウンターから出て行く。そして神の前に立つ。そして、深く直角のお辞儀をする。
「では、お願いします。」
「よし、お前の願いを叶えてやろう。」
直後、その場の周囲が鮮血に染まった。
かの有名な大型商業施設はその日、阿鼻叫喚の叫びになった。
神と名乗る男は女の首を切り落としたのだ。
ニュース速報にもなり、夕刊新聞の一面記事を飾り多くの人を震えあがらせた事件となった。
神と名乗る男は抵抗することもなくあっさり警察に捕まったが、捕まる際に
「おれは神だ。だからあの女の願いを叶えてやった。そうすると今度は周りが同時に同じ事を願い始めた。お前たちも同じ事を願ってる。だから叶えてやる。さあ、おれを捕まえていいぜ。」
と言い、自ら両手首を警察に差し出したそうだ。
警察は男を捕まえたあと、殺された女と男の関係を全て洗い出した。
しかし接点は全くなく、あの大型商業施設のカウンターでの接触が初めてだった。
警察は頭を抱えた。
男に対して何度も取り調べをしたが「おれは神だ。おれはただ、あの女の願いを叶えてやっただけ。」と言うだけ。それ以上のことは何も語らなかった。
そして事件の後、女の遺体は検死に回されたのだが首の切断面が恐ろしく綺麗だったことがわかった。
普通の人はたとえ刃渡が長くとも首の骨のところで引っかかり、断面がガタガタになることが多い。
ただ女の首の断面はまるでギロチンや昔の処刑のプロが施したように、まっすぐに綺麗に切られていた。
男はあの時凶器を何も持っていなかった。
たとえ持っていたとしても、一般人はあれほど綺麗に首を切ることができない。
それについて警察が尋ねても、
「ふん、おれは神だからな。」
としか言わなかった。
ーーーーーー
女の隣にいた後輩は、あれから仕事を長く休んでいた。
事件が収束した後、あのカウンターに立つだけで嘔吐や震え、冷や汗などが出て仕事に支障を来たしてしまっていた。
上司からは休職するよう言われ、かといって家に1人でじっとしているのも耐えられないので実家に身を寄せていた。
その日も夜に何度もあの光景が頭に再生され、不安と焦燥に駆られている時、ふと気づいた。
先輩が死ぬ時、すごく満足したような表情だったような。
先輩の切られた首がカウンターの方に転がってきたあの瞬間、私は先輩の顔を真正面から見た。
苦しい表情ではなく、確かに非常に満足したような満ち足りたような表情だった。
何度も何度も頭の中で光景が流れたせいでいつのまにか鮮明に思い出せるようになっていた。
目の前で事件が起きたショックの方が大きく、今まで気づかなかった。
そして思った。
私、先輩のこと何も知らなかった。
首を切られて満足そうに死んでいくなんて、一体どんな人生を送ってきたんだろうか。
後輩はそれから先輩を知るために1人で遺したものや先輩と親しかった人に話を聞くことにした。
そして私はあれから調べ上げ、先輩の持ち物の広辞苑の一つがくり抜かれた中に鍵付きの日記帳があることに気づいた。
鍵の暗証番号は4ケタで、暗証番号は先輩のお母さんの誕生日だった。
しにたい。
ずっと、しにたい。
前に首を吊ろうとしたけど、上手く行かなかった。
手首も切った。血はいっぱい出たけどすぐに止まった。
まだそっちに行っちゃダメ?
もう十分生きてきたと思うんだけどな。
せめて誰か私をころして欲しい。
早く、お母さんのところに逝きたい。
神様、お願い。
ショート・ストーリーズ @Saki_
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