第4話

◆◆死者の街◆◆


何とか死者の街に入った瞬間。ジェイドとスミレはよく知る顔に出会った。

そこに立っていたのは、セオドア・レインズその影人だった。

「ソフィア、セヴェン、…スミレもだ。お前たちは先に行け。こいつの相手は…俺がする」

セオドアは横を通り過ぎていくソフィア達に目もくれない。

ただ、スミレが横切った一瞬、反応したように見えただけだった。

ジェイドが槍を抜いて構える。同時にセオドアも構えた。

セオドアは黙ったままだ。

…!―!!!―――!―!!

そして、一瞬の瞬きの内に、とてつもない速度で彼らは槍を突き合わせる。

だがすぐに、その力の差が表に出てくる。

ジェイドが一瞬のうちに3度槍を突く。それに対してセオドアはいつも1度か2度多く突いてきていた。

それを回避するため動くことで、ジェイドは見る間に追い込まれていく。

かつて白制服を、IDAでも屈指の実力を持つ者の証を着ていた彼だ。

ジェイドの槍の扱いも、炎を使う戦い方も、元々は彼から仕込んでもらったものだ。

単純な、体術的な戦闘能力は、ジェイドを遥かに凌いでいる。

(もし俺が、もっと強ければ―――)

(あの時に、こいつを振り切れるほどの強さがあれば――)

まだ、ぬぐい切れない後悔の欠片がジェイドの中に去来する。

過去の自分に、セオドア以上の力があれば、巻き込んで死なせてしまうことはなかったのだ、と。

けれど―――時計の針は戻らない。死んだ者は眠っていなければならない。

ジェイドは覚悟を決める。それは目の前の猛攻によって散る覚悟ではない。終わらせるための覚悟を。

セオドアは大きく槍を振りかぶり逆手にし、力を込めきって振り下ろそうとする。

一気呵成に勝負を決めようとする、セオドアの戦法の癖だ。

かつてのジェイドなら反応できたとしても、その圧倒的な破壊力に屈するしかない一撃。

その一瞬にジェイドは自分の力の全てを込めた。

ほんの少しでいい、そのセオドアの槍が届く前に。彼を超える力を―――

………

……

…白銀の炎を纏った槍が三度、セオドアに叩き込まれた。

セオドアの槍は奔るジェイドのの炎によって完全に灼かれきって、何にも当たること無く散っていく。

冷たい色の灼熱に、セオドアの、影人の体が消されていく。

だのに彼の顔はどこか安堵しているように見えた。

その表情に、ジェイドは察した。

(お前は、俺に殺されるためにでてきたのか)

そもそも本当に、こいつにセオドアの人格があるというの言うのなら、俺やスミレに害を為す旅団に協力するはずがない。

相反していたのか。自身を造ったリューネの命令と、セオドア・レインズとしての人格がとる行動の狭間で。

思えば、最初に会った時その槍を持って気絶させようとするよりも、もっといい方法があったはずだ。あの時はジェイドは影人のセオドアの事を殆ど疑っていなかった

―――そう、リューネによってこの世に作られた影人は、生きていない死者なのだ―――

リューネの都合で世に復元され、そして都合の良いように消される。決して、「共に生きてはくれない存在」だ。

だからこそ生前知りえなかった、ジェイドの新たな力にセオドアは倒れたのだ。

「(悪かったな…)」

微かなセオドアの囁きが、届いた気がした。

(眠ってくれ…誰にも邪魔されずに…何も心配せずに)

それにジェイドは小さな祈りで応えた。

白銀の炎に送られる、哀れな魂を見送りながら。



◆◆死者の街 レテ◆◆


死者の街、心臓部。回収した膨大なデータにアクセスし、処理するための巨大端末がある所である。

人々の記録が流れ着く場所。「レテ」とそうリューネは名付けていた。

そしてようやく、ソフィア達はそこにたどり着く。

「ようやくここまで着いたわ!観念しなさいリューネ!」

「…まさかここまで来るなんて、本当に思ってもいませんでした。入れないように処置はしていたのですが…」

驚愕と焦りを隠せない顔で、リューネがソフィアに相対する。

「さあ?ただ、優れたシャーマンは今の時代にもいるのよ」

「急いでいたのは分かるが、明らかに魔力を使って回路を壊したのは失敗だったね。おかげでどこを直せばいいかすぐ分かった。さあ、シェリーヌ先生を俺たちに返してもらうよ」

煽るようにセヴェンが得意の憎まれ口でリューネに向かって言った。

「セヴェン君…何故、君が?エルジオンでも珍しいシャーマンである君の事は、私も当然知ってはいましたが…学園の人間、まして教師のために動くような子とは思えなかったのに…」

「別に、教師でも認めたくなるようなのはいるさ。それに師匠ヅラして少女を騙し、魔力の器に仕立てようなんて奴は、バカ教師よりも気に食わないんだよ」

言ってセヴェンはスミレの方に視線を向けた。

スミレはどこか物憂げにリューネの事を見つめていた。

「…説明してよ。師匠」

その震える声にリューネが諦めるように言い始める。

「………フラワリ―も、元々は花の墨の魔力を扱える人間を造るための物でした」

「この魔導書の魔力を使えるのは偶然にその登場人物と同じ名を持つものだけ。だから本当に少しだけ、その力をそうでない人間に注入しました」

「極々弱い力なら、扱えるだろうと、そう睨んでいたが目論見は外れてしまいました。弱すぎて個人の生命力や今や人に殆ど宿っていない魔力にさえかき消されてしまう」

「ですが、私やスミレ達のようにシャーマンとしての素質を持つ者は、違った。」

「極々僅かなそれを保ち、自らの中で少しづつ育てることが出来たのです」

「そればかりか、僅かに増えたそれを、他者に分け与えてその他者の中でも増やせるように」

「―――そう、自身の魔力に適応させることができるのです」

「花の墨の魔力の注入に伴う苦痛は、さながらアレルギーに代表されるような抗体反応のようなものなのですよ。僅かなはずの人間自身の魔力が、自分にとって異質な花の墨の魔力を拒絶するために身を灼かれるような事になる」

「だけど前提として多様な色の魔力を扱うシャーマンの中には、少量ならば自身の魔力によってかき消される前に受け入れ、人間へ適合させるよう変化の力を持っている者がいた」

「誰よりも多くの個人に認識され、何度も触れ合う事になる仕事。それこそがスミレ達にアイドル活動なんてことをさせた理由です」

「あとは、やる事は簡単でした。」

「私の持つ魔導書の魔力を使って、スミレ達を介した魔力を僅かづつ、彼女たちのファンに注入し、そして増えたそれを回収してスミレ達に戻す。それを繰り返していくだけですから」

「単純に引き出すだけではない、その魔力を内包する人間を造る。そしてさらに増幅させる人間を造る。まるで誰かさんのように」

「―――そう、ジェイド君のように、花の墨の魔力を自身の中で高めることが出来る存在を造る。…それが旅団にとってフラワリ―の存在意義でした」

説明を終えると共に、リューネが一つ大きなため息をつく。

その目は決してスミレの方を見ないようにしているようだった。

「今更あなたがスミレ達にしてきたことをとやかく言うつもりはないわ」

ソフィアが口を開く。自身の目的を果たすために。

「リューネ、今私があなたに求める事は3つよ。1つ、シェリーヌを開放しなさい。2つ、この施設を破棄し二度と私たちに関わらないと誓いなさい。そして3つ目…あなたが持っている、捻じ曲げられた私の本を返しなさい!」

「どれも受け入れられませんね。あと、シェリーヌさんには自身の意思でここに来て頂いているのですが…」

リューネは揚げ足を取るようにソフィアの要求に反発した。

「ソフィア様、何故私の邪魔をするのですか?何故分かってくれないのですか?」

「太古より生きてきた貴女なら分かるでしょう。置いて行かれる、人に先立たれる苦しみが」

「ジェイド君にしてもそうです。彼はきっとあなたより先に死んでしまいますのに…恐くはないのですか?」

「死は、別れは、等しくやってくる。だからといって、それが嫌だと抗うことで、何故誅されなければいけないのですか!」

リューネの言葉を聞き終えたソフィアは、彼女の目を真っすぐに見て言葉を紡ぐ。

「ニムロスにも云ったのだけど」

「―――どんなものも、時間とともに朽ち果てやがてなくなる。」

どんなに綺麗な花であっても、やがては散ってしまう。

どんなに共に在り続けたい、などと願っても、いつかは人は去ってしまう。

「―――だからこそひとは、その儚さを愛し古きを懐かしむ。」

散る存在だからこそ、刹那の美しさを心に刻み付けることが出来る。

いつか去っていく存在だからこそ、誰かとの思い出には何にも代えられない輝きがある。

別れがあるから、だからこその意味がある。

そしてだからこそ彼女は、ソフィアは人の物語を書き記した。去っていく者の物語だからこそ、輝きを持つのだから。

「―だけど、貴方が造ろうとしているものは」

「花を踏みにじるように、人の思い出を穢して、共同の幻想を繕う世界」

「そんなものを、認めるわけにはいかないのよ!」

たとえ暫時の出会いとしても、別れを受け入れて前に進む

それが生きるという事なのだから。

「私は、いつか、私の命を支える墨の、最後の物語はジェイドのそれと決めている!」

「いつかジェイドが自分から去った後でも、共に繋がることが出来ると知っているのよ!」

「だから―――何も恐くなんてない!」

ソフィアの叫びに、リューネは苦い顔で眉を顰める。

いかにもな不快感を取り繕えないという表情だ。

「それに、そもそもの話になるけど」

ソフィアがさらに続けてリューネに詰問する。

「あなたはシェリーヌを協力者として連れ出したと主張しているけど―――」

「あなたが言う「協力」はシェリーヌと彼女と関わりの深い学生たちの脳から無理やり記憶を取り出させること―――そうでしょう?」

「なっ?!」

ソフィアの指摘にセヴェンとスミレは驚きを隠せない。

リューネはIDAで起きる事そのデータを全て手中にしている。

そんなリューネが必要としているものは、監視の届かない所で、常は何を考えていたのか、何を見ていたのかである。そんなものは個人の脳の中にしかないのだ。

リューネが求めるだけの記憶のアクセスをしようとしたらシェリーヌや学生達の脳はどうなってしまうのか。

先だって彼女が言っていたように、悲惨な結果になる事は、想像に安くない。恐らく死ぬか、良くて後遺症が残る程脳にダメージを受けるに決まっている。

行きつく先は、死者の街を作るために、死体から記憶を引きずりだすつもりだろう。

「それにジェイドのことも、協力と言いながら、墨の魔力を極限まで使わせるつもりでしょう。彼の命が尽きるまで」

「…ばれていましたか…。彼らには可能な限り、平和的に知らないままでいて欲しかったのですが」

「旅団のやり方を、どれだけ私があなた達に対して、したくもない理解をしてきていると思っているの?」

「さあ、御終いにしましょう。あなたが見ているのはどうしようもない、悪夢なのよ。人が人として、偽りの死から逃れた世界で生きることなどありえないのだから」



――そんな事だろうと、思っていた通りだったな――

そう言って、追いついたジェイドが、どこからかソフィア達の前に現れた。

そこまでやるとは思っていなかったセヴェンとスミレとは対照的な事を云う。

「ジェイド!遅かったじゃない!」

「まあ、野暮用があってな。それよりお前―」

リューネの方を睨み、ジェイドが言う

「いい加減に観念しろ。ここを守っていたセオドアは…もういない…」

なるべくスミレの方に聞こえないように、ジェイドが話す。

「セオドア君を倒してきたの?ジェイド君が?」

「なかなか手こずったがな。けれどもうお前を守るものはいない」

「手こずった…?それは困ったね」

「本当に、困ったことだね…」

「あんなものは…この死者の街にいる戦闘影人の…」

「ほんの一かけらでしか、ないというのに!!」

言い放つと同時に、一斉に大量の影人達が現れ、ジェイド達を挟み打った。

………

……

…「90分、かあ。意外と長く保ったね。学生さんにとっては、長い授業一回分位かな?」

倒しても、倒しても、合成人間をベースに、それも歴戦の戦士の魂が入っている影人の群れは彼らを討たんと湧いてくる。

いくらジェイドが強大な力を振るえても、これではどうしようもない・

ひとたび制御をしくじれば、工業都市廃墟一帯ごと消し飛ばしてしまう。身体の方が、ついて行かない。

「なんだよ休み時間でもくれるのか?だったら前もって連絡しておいてくれよ」

息を切らせながら、ジェイドがリューネに悪態をつく。

「ええ、永久にお休みなさいよ」

言いながら、リューネが影人達に一斉攻撃の命令を下した。

ここまでか…そう思った瞬間だった。


――― 一番槍は、私がもらうわね ―――


少女の声と共に、突進してくる槍の波動に複数の影人達が吹き飛ばされた。

現れたのは学園治安機構、IDEAの白制服、ヒスメナだった。

彼女だけではないイスカも、クロードも、主だった白制服のIDEAが皆そこにいた。

「IDEAの人たちはあてにならないんじゃなかったの?」

ソフィアが疑問の声を上げる。

「…ジェイド君からこんなものが送られてきてね」

そう言ってイスカは携帯端末の画面を彼女に見せた。

そこにはジェイドの戦闘記録、リューネの、シェリーヌとIDAの学生達を犠牲にすることになる旨の発言。

それが妄言でないと示すだけの設備。

諸々の証左となるものをそろえてこっそりIDEAに送っていたのだ。

「感謝するぞジェイド。お前のおかげで、学園に害を為す不埒な輩を遠慮なく叩ける」

「礼にはおよばん、IDEAの、お前たちの影として働いただけだ」

クロードに対してジェイドはそういって無骨な答えを返した。

その場サキもいた。一人の少女を連れている。

彼女は、アニタはジェイドに向かって言い放つ

「来たよ!私たちの先生を…シェリーヌ先生を助けるために!」



◆◆死者の街 客室◆◆


偽りでも構わない。

虚しい思いをするかもしれない。

そうだとしても、また逢いたい。

未だに部屋の中、シェリーヌは自分の行動が正しいのかどうか考え込んでいる。

たそがれて、もういっそ眠ってしまおうか。

そう思った矢先に、周囲を揺るがす音が部屋まで響いてきた。

すっかり眠気が覚めて、慌てて適当にモニターを映して音の原因を探る。

――!!

そこに広がる光景に、息を呑む。

生徒たちが、居る。

合成人間で出来た、影人達と戦っている。

助けなければ!

と、思うよりも前に、体が彼らのために走ろうとしていた。

そんな自身の行動に、直観的な何かがシェリーヌの中で奔った。

彼らを、生徒を守ろうとしたその刹那、

さっきまで、『シェリーヌ』と似ているだけの顔を映していた鏡。

その鏡の中には今、シェリーヌだけではなく―――『シェリーヌ』も、映っていた。

彼女は全てを理解し駆けだした。

為すべきことを為すために。



◆◆死者の街 レテ◆◆


IDEAの加勢が加わったとはいえ、戦況は未だ影人達の方がはるかに有利だった。

彼らは一体一体が、伝説と言っていい戦士と同じ力を持っている。当然と言えば当然の話だ。

誰もがこのままジリ貧になる事を覚悟し始めたその時

―――!!

爆ぜるような鞭の響きと共に、影人の群れが飛んで行った。

現れるその人の影に、ジェイド達が一気に活気づく。

「シェリーヌ先生!!」

「アニタ、ダメじゃないこんな所に来るなんて」

そう言ってシェリーヌはアニタを窘める。

「まったく、「帰ったら」教育し直さなきゃ。補習授業はキツイわよ。覚悟しておきなさい」

「―――!!うんっ先生っ絶対だからね!」

シェリーヌは学園に帰ってくる。その意思を感じてアニタは涙を浮かべて返事をした。

「ところで―――」

どうしてIDEAの学生達まで来ているのか、その理由をジェイドに問いただす。

「何てこと、考えるのかしら!」

その経緯を聞いたシェリーヌが憤慨する。

「脳から記憶をちょくちょく好き勝手に呼び出されて、耐えられる子なんてそうそう居ないわ。」

「アタシのしごきに耐えられる、可愛い下僕達ならともかく」

「こっちに目をやるな、頼むから」

ジェイドがシェリーヌに向かって心から懇願する。下僕だとか冗談じゃない。

「…どうしてですか、貴女…。シェリーヌさん」

「知りたくはなかったのですか、『シェリーヌ』さんが何を思って生きていたのかを!

「ここにあるデータを、影人を、私の力を使えば、貴女の協力があれば、『シェリーヌ』さんの魂を復元だってできるのに!」

そう言って、リューネは信じられないという顔でシェリーヌを問い詰める。

「馬鹿ね、データなんて、人の脳の中の記録なんか漁ったって、魂が見つかる訳ないわ」

「『あの子』の想いは、生徒達――この子達の中に継がれている」

「この子達と繋がっている。その時にこそ、『あの子』の魂を感じるのよ」

「あの頃の『シェリーヌ』がどう在りたいと思っていたのかも、きっと今なら分かる…」

「そんな事を教えてくれた生徒たちが、私を助けにきたというのなら!」

「こんな機械に、集めた記憶になんて頼らなくたって、『あの子』がどうするかなんて分かってる!」

「そう、『シェリーヌ』の魂は私の中にある!こんな所なんかじゃない!!」

シェリーヌの叫びがリューネを直撃する。



「もういい!!影人共、やってしまえ!!」

怒りの色を隠せないリューネが、一斉にシェリーヌ単体を襲うよう号令をかける。

これで終いだと、リューネは気を晴らしたような気持ちになった。だが

一瞬の静寂の後、シェリーヌは平然と立っている。

崩れていくのは襲い掛かった影人達の方だ。


―――シェリーヌが着ているドレス、それが凄まじい程の雷を纏っていた―――。


かつてシェリーヌが、合成人間達とどう戦ってきたか、その答えは鞭と、今、彼女が来ているドレスにあった。

深紅のドレスは返り血が目立たないようにするためだが、装飾の全てには、遥かな古代、西方ゼルべリア大陸の精霊の力が込められていた力の結晶が使われていた。

かつて西方のノポウ族が勝手に拾いあげ、巡り巡ってミグレイナに、そして今、衣類の装飾に使う宝石としてシェリーヌが使っていた。

【サウザンド・クイーン】の本来の戦い方。

その力は拳を通し、雷を纏う大蛇となってあちらこちらを滅多矢鱈に暴れ回る。

一歩間違えれば味方も諸共にしかねない、非常に危ない力を、シェリーヌは15歳の頃から使いこなしていたのだ。

「どれほど貴女が戦えるとしても無駄ですよ!戦闘用の影人は、まだ100体は居るんです!」

突きつけるように、リューネがシェリーヌに語る。

「あと100体は居るですって?ふふっ、困ったわ、意外と甘い事をいうのね。」

高名な戦士の力を持った存在100体が、襲い掛かる。普通なら絶望しかない状況を、シェリーヌは鼻で笑っている。

「【サウザンド・クイーン】と呼ばれたこのアタシを、千の下僕の頂点に立ったこのアタシを跪かせたいのなら――その10倍は用意しなさいっ!」

鞭を振るいながらシェリーヌが吠える。そこからは、一方的としか言いようがなかった。

ソフィアは特別なクオーツをはめることで、出力を上げた合成人間のことを思い出していた。

それと同じように、特注のドレスから生まれる雷撃は手袋を通し、鞭を通して合成人間がベースの影人達を鎧袖一触にする。リューネによる不完全な影人への変化では、まだ合成人間としての性質が残っているのだ。あらゆる機能を機械に頼る合成人間の体にとって、電撃は何よりの痛手である。

「憐れな子達ね。いいわよ。天国まで、イカせてアゲル!」

そう言ってあっという間に粗方の影人を駆逐してしまった。

死屍累々に積まれた合成人間のボディの上に足を乗せ、女王のように君臨するシェリーヌの高笑いが響いた。

「…我々は、もしかして…とんでもない人を助け出そうとしていたのかな?」

イスカが周りに問いかける。

答え切れない様子のジェイドは、黙ってイスカから目をそらした。

クロードも頭を抱えている。

ヒスメナに至っては普段の優美な振る舞いを忘れて、半分口を開けてただ立ち尽くしていた。



「もうやめよう、師匠。」

静まり始めていた空気を破ったのはスミレだった。

「こんなことで、一体誰が救われるの?」

「だまってよ!スミレ!」

「何千年も、人々救い続けようとした私の行為を!やめろですって?!」

「スミレ、貴女は自分のせいで死なせた子供を生き返らせろと責められたことはある?!奥義を受け継ぐ前に、師が死んでしまった者の嘆きが分かる?!そんな事で、罪人よりも責められ続ける気持ちが分かる!?」

「煉獄界からも去ってしまった人までを、求められる気持ちが、貴女に分かるというの?!」

「そんなの、分かんないよ!!」

「開き直るつもり!?何も分かってないのなら、下がっててよ!スミレ!」

激昂したリューネがスミレに命じる。それでもスミレは言葉を続ける。

「これがどれだけの人に望まれるのかも分かんないし、でも師匠のしている事で救われる思いになる人もきっといるのかもしれないこともしれないとも思ってる」

「でも、それはジェイド君の命やシェリーヌ先生、この学園の生徒の皆の思い出を使って成り立つものなんでしょう?」

「だったらこれだけは言える!」

「死んだ人をこの世に呼ぶために、今を生きている人間を犠牲にするなんて絶対に間違っているっ!」

「!!」

真っすぐに、決して崩れない強い意志を秘めた瞳のままに、リューネに向かって言い放った。

ジェイドはその瞳にセオドアに似たものを感じていた。

学園を守る、白制服だったセオドアのそれに。

………

……

…幾ばくかの間、俯いていた顔を上げる。

「ソフィア様も…ジェイド君も…消耗している今なら…勝機はあり…ます…ね」

そう言ってリューネは彼らの方を向き直った。

その金色をした瞳の奥は、暗く輝いている。

直ぐにジェイド達はその危険を察知した。示し合わせたかのように、固まらないよう散っておく。

追い詰められて、半ば自暴自棄になり、全ての力を持って暴れ回ろうとする者の瞳だ。

魔導書が持つ墨の花の魔力。その全てをリューネは無理やり開放した。



魔力が周囲の合成人間の遺骸をリューネの元に集めていく。

積み上げられた遺骸の上に一輪の花が咲くように、リューネが君臨した。

数多の死体で出来た根を踏みにじって狂い咲く花に見えた一方で、多くの亡者に持ち上げられた哀れな女神のようだった。

「もういい、誰も彼も、救われたくないと言うのなら…」

「一人残らず物言わぬ死体にして、その記憶を全部引きずり出して使ってやる!!」

彼女を支えている合成人間を数体引きちぎり、ジェイド達に向かって放る。

立ち上がった合成人間が、いや、それによってなされた影人が彼らに向かって襲い掛かる。

リューネから伸びた弦が付いていること以外は、さして外観は変わらない。だが、どれもこれも、先程までの戦闘力とケタ違いだ。

恐らくリューネ本体から花の墨の魔力を供給されているのだ。

圧倒的な戦力を持つ存在に、懸命にジェイド達は対処する。

からがらで、ようやく一体倒した。だがその時、リューネによって傷つき倒れた個体が回収される。

そしてリューネの根として戻り、傷を墨の魔力で癒されている。

その間、代わりの影人がリューネから放たれジェイド達の相手をする。

ローテーションを組むように、常にジェイド達の前には疲弊のない影人が立ちふさがっていた。

ジェイド達も傷ついた者は後衛に回り治療をするが、彼らとの回復力の差は歴然だ。

「くっ!これじゃいつまでたっても、どうにもならん!」

「慌てないの、少し落ち着きなさい。」

こんな状況だというのに、シェリーヌは余裕を全く崩していない。

「どうすんだよ先生!手があるのか!」

「ええ勿論。だけど、一瞬でいいの。全ての影人がリューネに戻っている必要があるわ」

問いかけるセヴェンにシェリーヌはぶれずに答える。

「まずしばらく時間を稼いで頂戴。なるべくあの影人のローテーションを保つように、それでいてこちらの戦力も欠かさないように」

「そして――いい、私が合図したら一斉に攻撃、あの影人を全滅させて、全てリューネに回収させなさい」

言うのは簡単だが、要はある程度力を残しながら耐え続けろという事だ。この戦況下で。

「無茶苦茶なオーダーだな、本当に大丈夫なのか?」

「…イケナイ先生だけど、今だけは信じてね」

冗談めかした口調でをシェリーヌが頼んだ。



…いつまでかかるのだろうか、いい加減ジェイド達の体力も限界に近い。

まだかと懇願するようにシェリーヌの姿を追っていると、

「今よ!一斉に叩いて!!」

彼女からの号令がかかる。

ジェイドも、イスカも、クロードも、ヒスメナも、セヴェンも、サキも、そしてソフィアも戦えるものは全員が、その言葉に従って総力を出して影人達を攻撃する。

甲斐あって影人達は皆行動不能になった。そして瞬時にリューネが場にいる影人を回収する。今、この瞬間は、全ての影人はリューネの下だ。

「OKよ皆。イケない子達に―――「罰点付け」は済んだわ。さあ、離れて!!」

シェリーヌが何をするつもりなのか、目の前の影人と戦う事に精一杯だったジェイド達には理解しきれていない。

だが確実にとんでもないことになる予感に全員が最後の力を振り絞って、一呼吸の内に後退する。

影人達が皆リューネ本体に戻ったことを確認し、シェリーヌはドレスの出力を最大まであげた。

最大まで出力された雷撃はシェリーヌの操る鞭でも制御不能だ。それこそ敵も味方も区別なく暴れまわるだろう。

だが、マーキングされた先へ一直線に走る性質がある。それを利用すれば、一方向に最大出力を叩き込めるのだ。

ジェイド達が影人を相手取る最中、シェリーヌはマーキングとなる装飾を体から外し、彼らに食い込ませていた。

ジェイド達全員が自分の後ろに隠れたあと、リューネより遥かに高い所まで飛び上がり、雷を纏った鞭を振り下ろした。

全ての合成人間、それに向かって束となるように鞭から雷撃が疾走した。

偽りの魂、人の記憶を弄んだ罪、それに対する天罰の雷が、リューネの頭から降り注がれる。

その光景はまるで雷で綴られた大蛇が、花弁を腐った根ごと呑み込んでいくようだった。



…後に残ったのは影人としての役割から解放された合成人間の遺骸たちと、立つ力も残っていないリューネ、そして墨の魔力を使い果たした正典のみだった。

「師匠!!」

駆け寄るスミレに、一瞬だけリューネが反応する。

しかし敗者に言い訳などないと語るように、彼女は横たわったまま押し黙っていた。

「ひとつ、お前に確認したい事がある」

困惑するスミレの前に立ち、ジェイドが問いかける。

「何故、俺を巻き込もうとした?そうしなければ、ソフィアにも感づかれる事もなく、もう少し上手く事を運べたはずだ」

「そもそもスミレを使う予定だったのだろう。だからこそのフラワリ―…花の少女の如く在る者なんだろう?」

リューネが造り、ジェイドを襲わせたセオドアもそうだ。スミレから、その脳にアクセスして記憶を引き出していれば、もしかしたらスミレにとっても違和感のないセオドアとなっていただろう。

「例えば兄を…セオドアを復活させるためだとか、或いはもっと曖昧でも、多くの人の役に立つことだと言っておけば、スミレはきっとお前に協力を惜しまなかっただろう」

ジェイドの言葉を受けてリューネは顔を彼から背けた。

「…正典の、墨の魔導書の力を内包するには、およそ人間の想像もつかない苦痛を伴う」

ジェイドが、花の墨の魔力にまつわる痛々しい話を始める。

「かつて俺が、守るべき家族を置いて…犠牲にしてでも逃げ出してしまうほどに」

一度サキの方を向き、懺悔のように語り始める。

「そのことはお前も知っているはずだ。」

かつてジェイドを襲った旅団の一員から、連中も魔導書の力を人に注入しようとしてきた経緯は聞いていた。そしてその過程で命を落とすものもいる事も。

「幾ら、フラワリーとして活動させることで、墨の魔力に人間への適合性を持たせつつ、スミレ達に器としての素質を伸ばしきったとしても、高まり切った花の墨の魔力を受け入れきれる保証なんてない…違うか?」

「師匠?…まさか私を犠牲にしないように――」

「……既に出来てるものから使った方が、早くて確実と思っただけよ…」

スミレの言葉を遮ってリューネが答える。

本心からなのか、本心を隠しているのか、どちらなのかはジェイドにもソフィアにも分からない。

その刹那、静寂を壊す爆音が辺りから響き始めた。

「まだ、何か無駄なあがきをっ!?」

ソフィアがリューネを睨み、問いただす。

しかしリューネは、それにかぶりを振って否定した。

「一都市中のAIにアクセスして、編纂して、演算して、フィードバックして人間の記憶データを常に適用し続ける」

「なんて、どれだけのエネルギーを必要とすると思いますか?どれだけの熱が出てしまうと思います?」

「システムを活かすだけで、ここは常に超規格外のオーバーヒートをしていたのです。そしてそれを花の墨の魔力で散らしていた」

「けれどもう、墨の魔力は使い切られてしまった」

そう言って残った僅かな力でリューネは本をソフィアに向かって投げ渡した。



死者の記憶、その狂熱が全てを飲み込んでいく。

「どうする?!このままじゃ、皆、全滅しちゃう!!」

「…落ち着きなさい、スミレ」

横たわったまま息も絶え絶えのリューネがスミレをなだめる。

「あなた達が皆IDAの人間で良か…ったわ。LOMとここを繋ぐ道は、今は開けてある…よ」

「最初にジェイド…君が、この死者の街に来た時、そこと同じように…LOMへと繋がる境界から…」

花の墨の魔力は尽きても、リューネ自身の魔力でなんとかなるだろうと言って脱出を促す。

「急ぎなさい…私が用意した境界も…きっとここが…崩れきったら無く…なってしまう」

師匠を残せないとスミレがぐずる。

そんなスミレを何とか説得しようとセヴェンとソフィアが喚いている。

「スミレ…仲間の言葉には耳を傾け…尊重しなさいと…教えたでしょう?最後位、ちゃんと守ってよ…」

その言葉を聞いて、一瞬の戸惑いの後、スミレは決意した。

脱出のために駆け出していく。

全員が去ったのを確認し、

「誤算は――」

「スミレ、あなたが――」

「いつか大切だった誰かに少し、似ていたことね――」

そう呟いて、リューネは瞳を閉じた。


◆◆境界の領域◆◆


死者の街とLOMの世界を繋ぐ境界。そこをジェイド達は駆けていく。

殿を勤めるのは実力者二人、ジェイドとシェリーヌだ。

一刻も早くここから出なくてはならない。

だが、道中でとんでもないものを見つけてしまった。

少女だ。

いつか見かけた、LOMのイベントで、姉のようになりたいと話していた少女だった。

少しバグっていた少女、あれはプレイヤーじゃなくて、デフラグの欠片だったのか。

最初は一瞬、憐れなプレイヤーが紛れ込んでしまったのかと思った。

だが、冷静に考えると10歳にも満たない子供のプレイヤーはまずいないだろう。

デフラグの欠片。かつてサキが出会ったものと同質の存在。いつか消える刹那の思い。

その存在に至って、ジェイド達は、誰の想いの欠片か気づく。

シェイドがオークション会場で、始めてリューネの顔を見た時に感じた既視感は、この少女のためだったのか。

あの女が、リューネが、自分の記憶を取り出さない、人格の実験をしていない、なんてことはあり得ないのだ。

LOMを介して会った時、リューネはシャーマンとして前任者がいると言っていた。

その前任者が、少女の言うところの――

彼女にも、かつて大切な人がいたとしたならば―――

死んだ人をこの世に具現化させることに、あそこまでリューネが拘っていたのは―――

「ジェイド君、アナタ達は先に行きなさい。私は、この子に教えてあげないといけないことがあるから」

ジェイドもこの場はシェリーヌに、「先生」に任せる方が良いと察したのだろう。頷いて先に脱出する。



「こんな所で迷い込んで…どうしたの、アナタ」

目線を少女に合わせてシェリーヌが問いかける。

「うん…私ね、私がどこで、何をしているのか、わかんなくなっちゃったの」

「お姉ちゃんを探していたはずなんだけど…何でだろう?…ここはどこなの?」

「そう…大丈夫?つらくはない?」

うん、と素直そうに少女は頷く。

「でもね、私のやることはわかってるんだよ!」

「皆がこわくないように、かなしくなららいように!すくってあげるの!」

「それが私のやくわりで、いきている理由なんだって!」

そう無邪気な声を少女は上げる。

けれどシェリーヌは首を振る。

「…本当にそうなの?」

え?と少女は首をかしげる。

「ねぇ、お為ごかしじゃない…アナタの本心を聞かせて。」

受け入れるようにシェリーヌは少女を抱きしめる。

「さあ…全てを曝け出しなさい…」

「――――!」

そこからは堰を切ったように泣きじゃくりながら少女は叫んだ。

「私はただ!お姉ちゃんに、また逢いたかっただけ!」

「役割とか、どうでもいいの!」

「沢山の人たちの思い出を集めて、沢山の人たちを生き返らせることができたのなら!沢山の人を救ったなら!」

「いつかお姉ちゃんに会えるって!またお姉ちゃんとお話出来るって!」

「お姉ちゃんのいるところに、繋がるって!」

煉獄界からも去った存在に、もう一度触れられると願い縋っていた幼い心。

それが彼女の本心だった。

「ねえ…もう会えないのかな…」

少女は涙を拭う事もなくシェリーヌに向けて顔を上げる。

「大丈夫よ、ほら全てを曝け出した今のアナタになら、きっと見えるから…」

「そんなに大切な人だったのなら、きっとアナタの中にも居てくれたから…」

そう言ってシェリーヌは少女のために指し示す。

そこには―――

「お姉ちゃん!!」

彼女が思い描く、その姉の姿はシェリーヌにも見えていた。

野に咲くスミレの花のように儚げで、それなのに力強い青い輝き。

そこに向かって少女は駆けていく。一度だけ、シェリーヌに向かって頭を下げるために振り返り、そして彼女の前から姿を消した。

数千年囚われた妄執から、リューネはやっと解放される。

それを見届けてシェリーヌは、元の世界につながる道へ向かって走り出した。

継いだ魂を、生きて繋いでいくために。



―――おやすみなさい。良い夢を―――



◆◆IDA 校舎内◆◆


ソフィアは回収した、空の正典を矯めつ眇めつしている。

魔力が失われたそれには物語だけが残されていた。そこには救いの巫女、リューネが人々を諭し、導き、全ての苦しみから解放させるという旅団の都合のいい内容にされている。

意を決して、ソフィアは自身の力を持ってそれを花の少女の物語、本来の物語に戻す。

人々のため、不器用に頑張る少女とそれを後ろで支えている姉の、小さな人間の物語に。



一方でシェリーヌは自分が出していた休職届の後始末にバタバタしていた。

前回に続き、また届け出を反故にしたこと。それについて事務方からさんざんと嫌味を言われたようで、流石の彼女も少し堪えているようだ。

ため息をついて、校舎の中に入っていく。

気持ちを切り替えて今日一日を始める。

彼女の生徒達、それと『シェリーヌ』と共に―――



皆が日常に戻る中、ジェイドは彼の学友にLOMのイベントについて報告をしていた。

「――というわけだ。ゲームの世界とはいえ、男のお前がスミレのアバターになる事はできん。諦めろ」

「いやっまだ手はあるっ!こうなったら運営側の誰かをとっ捕まえて、とてもお天道様の下では言えない脅迫の限りを尽くしてでも―――」

馬鹿かこいつは。ただ、こんな奴は、下手な天才より阿呆なことをやる。そのくせに、普段は地の頭がいいという凶悪な奴だ。今言っている事も本気でやってしまいそうだ。

ある意味リューネ以上の危険人物である。こいつ自身がお天道様の下に出してはいけない存在だ。

そういえば、一つこいつに関して疑問があった。

「なあ、LOMでスミレのアバターになれるってのは、かなりのシークレットのはずだよな。何故お前がその情報を知っていたんだ?」

ジェイドが事の発端に関して訊ねる。恐らくその件に関しては運営側も厳重に情報を漏らさないようにしていたはずだ。それが先に知られていればこいつのようにイベントに殺到するやつらの密度はかなり酷いことになっていただろう。

「…そもそも、俺も妹から聞いたんだよ。だのに、あのクソ妹の奴!ああもう思い出しても腹が立つ!!」

「お前の妹が?」

「おかしいな…LOMにいたやつらも、ゲーム内でスミレの姿になれるなんてことを知ってたやつは居なかった。」

「お前の妹はどうしてその事を、スミレになれる事を知っていたんだ?」

問いかけた瞬間、

「スミレとかいう、素敵な名前が…私の友人の名前が聞こえたのだけれど―――」

澄んだ少女の声がジェイド達に向かって投げられた。続いて

「まさかまた、ロクでもない事してるんじゃないでしょうね、このクソ兄貴!」

歩み寄り、怒りを含んだ声でジェイドの学友に向かって言い放つ。

その瞬間、ジェイドは事の顛末を理解した。

(そうか、こいつが妹なら、そりゃ知ってるわけだ…)

その少女はジェイドも知っている顔だった。

確認するように、横を向く。そこに掲示されている、フラワリ―のライブ情報。そこでスミレの隣で笑っている人物と、今ジェイドのすぐ傍で、鬼のような表情で怒声をあげる少女は同一人物だった。

フラワリ―のメンバーをアバターにする。その話をLOMの運営がする時に、彼女にも話が通っていたとしても、なんらおかしい事はないだろう。

納得するジェイドの一方で彼らは、ジェイドの事など完全に忘れて互いに罵り合っていた。仲の悪い兄妹だろうと思っていたが、ここまでとは。

アイドルがそんな事言っていいのだろうか、聞くに堪えない単語も度々飛び出している。正直な所、耳をふさいで去ってしまいたい。

脳から記憶にアクセスされた時以上の頭痛を覚え、手で額を覆って数秒の間目を閉じる。

思えば、こいつにしろセオドアにしろ、やつらと妹の事なんてジェイドは何も知らない。

何も知らないジェイドだが、言っておきたい事がある。

ジェイドは、騒がしい兄妹の、どうしようもない兄の方を横目でにらみながら

「ひとつ、お前に言っておくがな…」

「―――お前も、妹の事は大切にしてやれよ…」

溜息交じりに、シェリーヌからの教えを伝えてやった。

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月の女王と眠れる者たちの影 羽地6号 @haneti-kaku

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