第55話 山で遭難した時は


 力無く乗せられたロビンの手を引いて、割れ目から少し離れた場所に移動する。

 ここなら雪が落ちてこないはず――と安心できた時間は短かかった。


 ロイに噛み付かれたロビンの手を改めて治療しているうちに、また地響きが起きて。

 私達がさっきまでいた場所に固い雪が落ちてきて、天井の割れ目が一層大きくなった。


(これは……移動した方が、良いかも)

 

 一体何処で何が起きているんだろう? この調子だと、天井そのものがそう遠くない内に崩れてきそうだ。

 気のせいか、さっきよりちょっと川の水量が増えてる気もする。


 こんな場所で、いつ戻って来るか分からないラインヴァイス達を待ち続けるのは危ない――と、私の脳内で警鐘が鳴っている。


(安全な場所に移動……って言っても、川原の先はどちらも氷の壁が覆ってる。川に沿って上るか、下るか、の二択よね……)


 そういえば以前、テレビで『遭難した時は、山を下らずに山頂を目指した方がいい』って話を見た事がある。


 山に迷った末に川を見つけた時(下っていけば、いずれは平地につくはず)と考える遭難者は多いらしい。


 テレビに出てた山の専門家っぽい人が『その考え自体は間違っていません。ですが、そのいずれはいつ来るのか分からない』『途中で滝や崖に行き当たってしまったて、先に進めなくなる事も多い』『悪天候だと雨水で川のかさが一気に増して危ない』と強めに否定していた。


 『逆に山を上がっていけば、山頂に辿り着いて登山道も見つかりやすくなって、救助する側も見つけやすいんです。日本の山で遭難した時は、迷わず上を目指しましょう』とも言っていた。


(遭難だったら、そうなんだろうけど……)


 カルロス卿やグランコリエの兵士達に見つかったら殺されるこの状況で、見つかりやすい方向に進むのは正解とは言い難い。

 心なしか、地響きも上流の方から響いてる気がする。


 今の状況でどちらがマシかと言えば、どう考えても川を下る方だろう。


(それに……川を下っていけば、私達だけで城塞から出られるかもしれないし)


 昨日、寝る前にクラウスがグランコリエの話をしてくれた。麓近くにある、大きな要塞。その横にある堤防の話も。


 この川がそこに繋がってるかどうかは分からないけど、川は城塞の下を潜り抜けられるようになってるはず。


(……ラインヴァイスはカルロス卿達に追い掛け回されてる。いつ助けに来てくれるか分からない)


 ここに留まるより、私達だけで脱出する事も考えた方が良い――これは、私とロイだけだったらできない発想だった。


 でもロビンを一応説得できた今、浮遊術、透明化、魔力隠しが使える。


 滝や崖に行き当たったとしても浮遊術で降りて進めるし、上手くいけば私達だけで城塞を抜けられるかもしれない。


(もしこの地響きの原因がラインヴァイス達とカルロス卿達の戦闘によるものだったら、ラインヴァイス達が私達を助けに来れるのはずっと先になりそうだし……)


 助けに来れるようになった時、私達がいるべき場所に居なかったら魔力探知で私達を探そうとするはず。


(……うん。下っていこう)

 

 決断したところでまた、地響きが鳴る。

 天井を見上げて雪が降ってこない事を確認した後ロビンを見やると、ロビンは力の無い目で私を見据えていた。


「な……何?」

「い、いや……何でもない」


 ロビンはそう言って顔を逸らす。

 この人、改めて治療していた時もそうだけど陰鬱な雰囲気が漂っていて、とても雑談や相談ができそうな状況じゃない。


 自分一人でこれからの行動を決めるプレッシャーを感じながら、それでもここに留まるよりはマシなはず、と立ち上がる。


「……ロビン、とりあえず、川に沿って山を下ろうと思うの。魔力隠しと透明化、けてくれる?」

「……分かった」


 反対されるかと思ったけど、ロビンは短く答えた後立ち上がって、私が望んだ魔法をかけてくれた。


(ん……?)


 立ち上がったロビンの足が震えている事に気づく。

 魔法は安定してるみたいだけど、私達に着いてこようとする彼女の歩き方もぎこちない。


「……ロイ、しばらくロビン乗せてあげて」

「グウゥ……」


 ロイから不満げな返事が返ってくる。『襲ってきた奴に何で優しくするの?』と言いたげな眼差し付きで。


「帰ったら良いお肉あげるから」

「……バウッ!」


 不服そうなロイをお肉で釣ると眼をキラキラさせて良い返事をしてくれたので、ロビンの手を引いてロイの方に誘導する。


「そうだ、私のマントも使うと良いわ」


 着込んでいるマントを外して、ロビンに手渡す。

 ロビンの震えが寒さからくるものなら、これで緩和されるはずだ。


 こっちもひんやりした空気に晒されつつも、耐えられない程じゃない。

 歩き続けてたらそのうち体も温まって気にならなくなるだろう。


「……お前は、私の事が憎くないのか?」

「それはお互い様でしょ? さっき言った通り、私はここを無事に脱出できたら、今回の事は全部水に流そうと思ってる。貴方もそうしてくれたらありがたいんだけど」

「……そうか。人を助け、治癒し、罪悪感を緩和する……お前はそうやって、男の心を手に入れてきたのだな……」


 この手の暴言には慣れているし、何処に兵士がいるか分からない状況で大声出せないのも分かってるけど――カチンとくるものはくる訳で。


「……人を助けるのに、男も女もなくない? っていうか貴方、女でしょ?」


 声を押し殺して問いただすと、ロビンは目を丸くして驚いた。


「な……貴様、何故それを……!」

「気を失ってる貴方が伸し掛かってきて、押し返そうとした時に胸に気づいたの」

「えっ……」


 ロビンは驚いたように胸に手をあてるから、私もついそこを見てしまう。 

 そこには明らかな膨らみがあった。以前ロビンと対面した時にはなかった、膨らみが。


 今にして思えば詰め物パッドって可能性もあったけど――ロビンが『何故それを』って言ってるから、彼女が女なのは間違いない。


「まあ、貴方が女だろうと男だろうと、どっちでもいいわ。誰だって弱ってる人がいたら、老若男女関係なく助けた方がいいかな? って悩むもんでしょ? ……それとも、この世界の人は倒れてる人がいたら男か女かで助けるの決めるの?」

「…………助けて、益になるか、どうかで決める」

「ほら、老若男女関係ない」


 ロビンが紡いだ返答に即突っ込むと、彼女は押し黙った。

 その姿にちょっとスッとしつつ、言葉を続ける。


「……私も、貴方を助けて益になるかどうか考えて決めた部分は大きいわ。そういう事考えないと、自分を殺そうとした人を助けるなんてできなかったから」


 そこで一旦言葉を切って――ちょっと悩んでから、再び言葉を紡ぐ。


「……でも、人を見殺しにしたくなかったって気持ちもある。それに近づいたら殺されないかな、大丈夫かなって、色々悩んで貴方を助けたの。そういうの一切考慮せずに悪い方向に捉えないでほしい」


 『気分悪いから』という心のど真ん中にある不満は喉の奥に留めた、それ以外の素直な気持ちを吐露する。

 ロビンは呆気にとられたような顔をした後、ハッと我に返ったように言葉を紡いだ。

 

「…………すまない。悪気があった訳じゃない。お前の、そういう態度が男を惹きつけるのだろうな、と思っただけなんだ。だが、お前の前で言うのは配慮に欠けていたな……」


 言い訳が全然言い訳になってない気もするけど――弱弱しい声に反論する気も沸かない。

 ちゃんと謝ってくれただけよしとし――


「本当にすまない……本当に……」

「も、もういいから……さっさとロイに乗って。いつまでもここで長話してられないから」


 重ね重ね謝るロビンの声が涙交じりで、ちょっと罪悪感が刺激される。

 私に促されたロビンは大人しくロイに乗るも、姿勢を維持し続ける気力がないのか、そのままロイにもたれかかった。


(……一体この人に何が起きたの?)


 私を殺す気満々だったロビンが、何でこんな鬱々とした状態になっているのか、さっぱり分からない。

 ここを生きて脱出できれば家も家族も守れる、って言ってるのに暗い顔は変わらないままだ。


(まあ、敵意バシバシでつっかかられるよりはいいか……)


 ここまで配慮しても変わらないなら、きっと私には変えられないんだろう。

 これまで散々説得や和解を失敗している私が、悪感情を持ってる相手を一時的にでも説得できた事自体、奇跡に近い。


 多くを望んではいけない。魔法とか使ってほしい時に使ってくれるだけで、ありがたいと思おう。


 そう考えを切り替えて、私達は川沿いを歩きはじめた。


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