第54話 純白と真紅の神化(※クラウス視点)


 不穏な空の下、地面も木も全て厚い雪で覆われた白銀の世界を飛び続ける。


 数十分ずっと飛び続けても変わりばえしない風景にちょっと嫌気がさしてきたところで、白い大地に青暗い割れ目が姿を現した。


(魔力探知で橙の魔力を感知できた辺りと同じ……多分、あそこだ)


  氷突鳥アイスペッカーはその名の通り、氷を突いて作った巣の中で厳しい冬を過ごす――昔見た図鑑に記された通り、割れ目の両側に氷突鳥が開けたらしい、小さな穴がたくさんあった。


 橙の魔力を探す為に小規模な魔力探知を発動させながら、幅2メートルくらいの狭い割れ目の間を浮遊していく。

 

(わざわざ寒い時期をこんな極寒の地で過ごすなんて、不思議な鳥だな……これだけ厳しい環境なら、天敵に遭遇する心配はないだろうけど……)


 それ以外のメリットを考えてながら十数分――メリットは思いつかなかったけど、目的の氷突鳥の穴を見つける事が出来た。


 穴に向けて強制睡眠スリープをかけた後、亜空間からナイフを出して、固くなった雪を削る。

 穴を広げるように突いて崩れた雪を掻き出すのを続けるうちに、小鳥らしき毛玉がいくつも見えてきた。


 そっと手を伸ばし、何匹もいる中から一つだけ掴んで、取り出す。

 手の平に収まった、目が覚める程鮮やかな青の小鳥は目を閉じて眠っていた。


 温かいお腹が小さな呼吸を繰り返す。可愛らしい見た目と相まって庇護欲が刺激される。


(この鳥、仲間達と離れ離れになるんだな……)


 そう言えば呪いを解いた後、この鳥をどうするかは聞いてない。

 わざわざ始末するとは思い難いけど、世話するとも思えない。

 解呪した後は多分、その辺の庭にでも放るのだろう。


 でも、目を覚ましたら一人ぼっちで、本来いるべき場所にもいない――小鳥は絶対混乱するだろう。

 

(氷突鳥の群れに戻れる日が来るまで、マリアライト女侯にこの鳥の面倒見るように言おう……こっちの都合で捕まえて解呪後は放置なんて、可哀想だ)


 人の都合に振り回されるこの鳥に哀れみを感じながら、浄化術をかける。

 その後、亜空間から鳥籠を出して小鳥を入れて、鍵をかけた。


(よし、後は飛鳥とラインヴァイスと合流するだけだ)


 飛鳥も、この鳥見たら可愛いって言うかな? 笑顔を想像しながら、割れ目から上がり、眼を閉じてラインヴァイスがいる位置を確認する。

 色神と依り代は繋がってるから、離れていても大体何処にいるか分かる。


(あれ? かなり近くにいる……?)


 というか、僕の方に近づいてきてる? なんで――

 そう疑問に思って目を開いた時、空に橙色の光がチカチカ光っているのが見えた。


 その光がすぐに大きな火炎球ファイアボールだと分かったのは、その光も、僕の方に近づいてきたから。


 そして複数の火炎球を避けるように動く、白い点――それも徐々に馴染み深い鳥に形に変わっていく。

 それを追いかけるように飛ぶ赤い点も、嫌な思い出のある竜の形になる。



『クラウス、何処!? バレた!! 竜にバレた!!』



 ラインヴァイスの短い念話に状況を悟り、透明化と魔力隠しを込めた魔石を亜空間にしまう。

 僕の姿を認識したラインヴァイスは、一直線にこちらに向かってきた。


 火炎球を避けて――そして、もの凄い勢いで飛んできた赤の斧もギリギリ避けてラインヴァイスの背に乗ると、すぐに飛鳥がいない事に気づく。


「ラインヴァイス! 飛鳥は!?」

『だ、大丈夫! 飛鳥、安全なところにいる! 連れ回すの危ないから、置いてきた!』


 確かに、火炎球や斧が飛び交う中で逃げていたら危ないし、生きた心地もしなかっただろう。

 飛鳥が怖い思いしてなくて、良かった――と安心しているうちにラインヴァイスが旋回して真紅の巨竜カーディナルロートに対峙する。


 そして、戻ってくる赤の斧を難なく受け止めたカルロス卿と目が合った。


『クラウス……馬鹿鳥の背にお前がおらんかったのは、別行動しとったからか』


 目を細めて怪訝な目で僕達を見るカルロス卿の表情からは怒りを感じない。

 けど拡声魔法を通して伝わる言葉の節々や怒気を孕んだ声調から、物凄く怒ってる事が伝わってくる。

 

『……お前、どうしてこの馬鹿鳥を止めんかった? お前は好奇心で動くような人間ではなかろう?』

『……すみません』


 怒られるような事をしたのはこっちだ。謝るしかない。


 でも、謝れば許してもらえる――なんて可能性が微塵もない事を、カルロス卿とカーディナルロートから放たれる、燃えるような真紅の魔力が教えてくれる。


『……まあよい。どう言い訳されようと、無断でこの地に踏み入った以上、殺す事に変わらんからな。だが、ワシは一方的に追い詰めるのは好かん。時間やるから、さっさと白の弓を出せ』


 それは、温情――と言うより、単に戦いたいだけ、なんだろうけど。

 どちらにせよ時間が貰えたのはありがたい。


 ただ、弓を使うには両手を空けないといけない。

 氷突鳥を入れた鳥籠を拘束球フェッセルンで包んだところで、ラインヴァイスの念話が響いた。


『クラウス、今のうちに我も神化する……! こいつらささっと眠らせて、早く飛鳥と合流して、皆の記憶消す……!』


 どう考えても卑怯な手段だけど、戦いを避けるにはそうするしかない。

 ラインヴァイスの提案に『分かった』と短く念話を返す。


『どうした? さっさと白の弓を……うおっ!?』


 カルロス卿の苛立ちの声はラインヴァイスの輝きに搔き消された。



 僕も目を開けていられずギュッと目を瞑ったけど、それでも眩しさを感じる強い光――それは、徐々に落ち着いていく。



 恐る恐る目を開いて、ラインヴァイスを確認すると――そこにはさっきまでとは違う純白の大鳥がいた。

 

 スラッと長くなった首。大きく羽ばたかせる、開けた両翼。

 尾羽はずっと長くなって、それを超える艶やかな飾り羽――


 見た事ない鳥だけど――地球で、飛鳥が連れてってくれた<動物園>で見た『クジャク』によく似ている。


『これが我の真の姿! 我、天界の門を守り、世界を導く崇高美麗な守護鳥! 馬鹿鳥じゃない!!』


 せっかく格好良くて威厳ある姿になったのに、ラインヴァイスの怒りの主張で威厳が吹っ飛ぶ。

 馬鹿鳥と呼ばれる事がよっぽど嫌らしい。


「ほう、神化か……! こりゃ少しは歯応えがありそうじゃの……!」


 ラインヴァイスの姿と溢れる純白の魔力に全く臆する事なく、赤の斧を構えたカルロス卿が感心したように笑う。


「ふふふ、何だかワクワクしてきたな……のう、カーディナルロート? こりゃワシらも本気出さんと、逃げられてしまうかもしれん!」


 僕の魔力量はカルロス卿より何倍も多い。

 神化したラインヴァイスだって、カーディナルロートよりずっと魔力が強いのに。


(何でこの人、嬉しそうに話してるんだろう……?)


 僕の戸惑いなど露知らず、赤の斧を両手で掴んだカルロス卿は静かに目を閉じて、魔力を集中させだした。

 カーディナルロートも目を閉じて静かに空中に留まっている。


 彼らから放たれる、熱を帯びた魔力に、ゾク、と悪寒が走る。



 危ない――全身が、そう言ってる。



「ラインヴァイス、さっさと眠らせるよ……!」

『了解!』


 陣術と唱術を重ねがけした強制睡眠スリープを発動させる。

 ラインヴァイスはカーディナルロートに、僕はカルロス卿に向けて。


 それぞれ、ここら一帯にいる生き物を眠らせる程の魔力を込めたそれを、一人ずつに放った。


 ――はずなのに。


 彼らを包む真紅の魔力が、それを阻んだ。


『な、なんで!? 前は、これで上手くいった! 我の神化、竜の神化より凄い! なのに、何で!?』


 ラインヴァイスの戸惑いの声が頭に響く。

 その間にもカルロス卿の魔力とカーディナルロートの魔力が膨れ上がって――真紅の閃光と熱波に襲われる。



 防御壁を張ってもなお熱い、その熱波と光が通り過ぎた後には――僕がこれまで見てきた真紅の巨竜とは違う、真紅の巨竜がいた。



 同じ<竜>ではあるけれど、一層大きくなって、ゴツゴツと隆起した鱗に、凶悪な尖った爪。

 そして、二つに分かれた首から延びる、二つの頭部――巨大な竜ならぬ、巨大な双頭竜が、そこにいた。更に――


「……そりゃあ、悪かったのう……ワシがこの姿になると、カーディナルロートの神化も強化されるみたいでなぁ。お前らの状態変化魔法小賢しい魔法を跳ねのけるだけの抗魔力も備わっとるみたいじゃ」

「カルロス、卿……?」


 変化したのは竜だけじゃなかった。先程より少しくぐもった声は、大声を張り上げてる訳でもないのに、風に負けずにはっきりと聞こえてくる。


 その声の主の肌はところどころ竜のような赤い鱗に侵食されて、こちらを見据える目も、人というよりは、竜のそれに近い。

 そして、額に突き出た、二本の赤い角――


「うん……? この姿に驚いて声も出んか? ワシはめちゃくちゃカッコいいと思っとるんだが、お前のようにナヨナヨしとる奴には、この良さが分からんかも知れんの」


 見せつけたいのか、わざわざ肩に掛けたサッシュを外して胸をはだけさせる。

 筋骨隆々な胸板も、ところどころ鱗に覆われている。


 その姿に、ヴィガリスタの乱に出てくるリアルガー家の公爵兄妹――<真紅の兄妹>の伝説が頭を過ぎる。


 ベイリディアによって引き起こされた戦争の最中、多大な魔力を持つ真紅の兄妹はその身を竜に変えて、ベイリディアに魅了されて魔人化したセレンディバイト公と戦った、という伝説――


 人が竜に変わるなんて、ありえない。

 勇ましい戦いっぷりに背びれ尾びれがついた眉唾ものの伝説だと、思っていたけど――額に突き出た二本の赤い角が、伝説は一切盛っていなかった事を示してくる。


「……まさか、貴方が赤の鬼神と呼ばれるのは……」


 オーガの如く、魔物や賊を豪快に屠り尽くす――その戦い様から、付いた名だと、教えられたけど。

 真っ直ぐ突き出る竜の角は、鬼のそれにも見える。


「人前では極力この姿を見せんようにしとるのじゃが、そうも言ってられん時もあってな……そのせいで『赤の鬼神』なんて大層な二つ名で呼ばれるようになってしもうた。だが、この角はカーディナルロートの……竜の血によるもの。本当は鬼神などではなく、竜人と呼んで欲しいんじゃがなぁ」


 変化した事で聴力もあがっているのか、僕の声も普通に聞き取れているらしい。

 問いかけに答えた後、息をついたかと思いきや――


「まあ、他が『神』呼ばわりされとるのにワシだけ『人』だと箔が付かんし、竜神だとカーディナルロートだけ凄いみたいな感じがするし、これはこれで良いか! がっはっは!」


 大口開けて笑った口には、はっきりと牙が見える。本当に、竜人という言葉がふさわしい。


「はっはっ……この姿になると竜族の本能が強まるんか、細かい事はどうでもよくなるんじゃが……何故じゃろうな、今日はそれに加えて、何だか気分が良い……不思議な感覚よの」


 カルロス卿と真紅の双竜から、ジリジリと焼けるような熱が伝わってくる。

 魔力が熱を帯びているんだろう。真紅の双竜が羽ばたく度に、熱風が吹き付ける。


 双竜の足元も――地上の雪がまるで大きなボールが落ちた様に凹んでいる。

 熱波で溶けたどころか、蒸気に代わった分もあるのか、白い湯気が風に流れる。


 振り付ける雪も、いつの間にか雨に変わっている。異常な状態に、汗が滲む。


 神化したアズーブラウがそこにいるだけで大気を冷やすように、神化したカーディナルロートはそこにいるだけで大気を熱するみたいだ。


「まあ、いくら気分が良いからと言って、お前らを見逃す事は出来ん……! 今は些細な事に捉われず、この力を存分に奮いたくて仕方ない!! お前らも、全力で抗って見せよ!! そうでないと……つまらんからなぁ!!」

「……防御盾シールド!!」


 カルロス卿が赤の斧を振りかぶった瞬間、詠唱して陣術でも防御壁シールドを展開する。

 推測通り投げつけられた、炎を帯びた赤の斧を僕が出した二つの防御壁と、ラインヴァイスが出した防御盾――三重の防御盾がが迎え撃つ。


 輝く火炎の車輪に一つは容易く割れて、二つ目も割れて――三つ目の盾がヒビ入りながらも、赤の斧の軌道を逸らした。


 続いて、双竜から炎のブレスが浴びせかけられる。こっらは、ラインヴァイスが二重の防御壁で炎から守ってくれた。

 それでも熱は防御壁の中にじわじわと侵食してくる。


 改めて張った防御壁で、ようやく熱から逃れられる。


 お互いに神化してるのに、3つ分の魔法を使わないとまともに防御できないなんて。


(おまけに、一つは拘束球に使ってるから実質使えるのは2つだけ……って……拘束球?)


 足元の拘束球に目を向けると、鳥籠に閉じ込められた氷突鳥は既に目覚めていてピィピィ飛び回って鳴いていた。


 パニックになっている。そりゃあそうだ。目が覚めたら、自分一人だけこんなところにいるんだから。


「大丈夫だよ、ここから逃げて、呪い解いたら、ちゃんと仲間のところに帰……」


 言いかけて、言葉が詰まる。そしてラインヴァイスに念話で叫ぶ。

 

『……ラインヴァイス、逃げて!! この近くに氷突鳥の巣があるんだ! ここで戦うのはマズい!』

『何故!? 鳥、もう捕まえた!!』


 ラインヴァイスは戦うつもりだったらしい。でも、こんな場所でこんな戦いを続けていたら、この辺りの雪は溶かし尽くされてしまう。


『他の鳥達を巻き込みたくない! どう戦うかも考えないとだし、一旦ここから離れよう!』

『……分かった!』


 僕の気持ちを汲んでくれたのか、ラインヴァイスはカーディナルロートから背を向けてくれた。

 僕達が逃げた事が分かったのか、炎のブレスが途切れる。


「小僧……この期に及んでまだ逃げるか!? 何処に逃げたとて、一度禁足地に踏み入った者を許しはせんぞ!!」


 後方からカルロス卿の声が響く。拡声魔法も使っていない地の声が、山に轟き、逃げる僕達の耳をしっかり貫く。


「全く……ちっとは成長したと思ったんに、都合が悪くなるとすぐ逃げるのは変わっとらんか!! この、臆病もんが!!」


 都合が悪くなると、すぐ逃げる――カルロス卿の言葉が、心に突き刺さった。



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