第11話 霧降の鬼

むかしむかし、賢王カザーンの治める国に、ダーイルバーンという豊かな地方がありました。

そこには山も森もあり、民は穏やかに暮らしておりました。

ところがある年、山から盗賊が現れました。

彼らは村を荒らし、旅人を襲い、家々を焼きました。

民は泣き、王は怒り、討伐の軍を差し向けました。

盗賊は逃げ、山へ山へと追われ、ついには霧降山脈の麓にある砦に籠もりました。

そこは霧深く、獣も寄りつかぬ場所。

盗賊たちは食糧を失い、飢えに苦しみました。

最初は、死んだ仲間の肉を喰らいました。

次に、弱った者を殺して喰らいました。

やがて、仲間同士で殺し合いが始まりました。

最後に残った一人は、すべてを喰らいました。

肉も、骨も、声も、名も。

そして、人の心を喰らい尽くしたとき――その者は鬼になりました。

鬼は砦を出て、霧の中をさまよい、青の森へと向かいました。

それからというもの、森の近くでは人が消えるようになりました。

羊飼いが帰らず、薪採りが血の跡だけを残して消えました。

民は恐れ、祈りを捧げました。

そのとき、南から一人の旅人が現れました。

名をバルクスといい、剣を携え、数々の魔を討った英雄でした。

民は言いました。

「森に鬼がいます。人を喰らう、恐ろしい鬼が――」

バルクスは言いました。

「鬼とは、邪を喰らった人のなれの果て。

ならば、人の手で討たねばならぬ」

彼は森へ入りました。

霧の中、祠の前に鬼はいました。

その目は赤く、口は裂け、手には骨を握っていました。

バルクスは剣を抜き、鬼と戦いました。

戦いは長く、激しく、地が揺れ、木々が裂けました。

ついに、鬼の胸に剣が刺さりました。

鬼は呻き、膝をつき、血を吐きました。

そのとき、鬼は言いました。

「……俺は……何を……」

バルクスは答えました。

「お前は飢えに喰われ、心を失った。

だが、最後に人の声を出した。

それだけで、救いはある」

鬼は霧に包まれて消えました。

民は喜び、英雄に感謝しました。

けれど、バルクスは言いました。

「鬼は、遠くにいるのではない。

飢え、憎しみ、孤独――それらが人の中に鬼を育てる。

鬼を討つより、鬼にならぬように生きることが、大切なのだ」

そう言い残し、彼はまた旅に出ました。

霧降の山を越え、誰も知らぬ地へと向かっていきました。

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