閑話探偵周りの女たち
疑問を解き放つ少女
「頼んだ」
「頼まれた」
男と女が見事な入れ違いを見せる図を、私は黙って見送った。いや、見送ってしまった。あまりにも見事で、決して追い付けないなにかがあった。
「あい。という訳で頼まれたから、よろしく頼むよ」
女――くすんだ白衣と手入れの少ない金髪ロングを引っさげたサワラビさんが、ヘラヘラとしたまま長椅子に座る。目を見れば、今日も濃ゆいクマは健在だった。
「随分と殺風景になっちゃってまあ」
「きれいにしたと言って欲しいんですが」
「それもそうだ。キミも休みなよ」
芝居がかった苦笑いを浮かべ、サワラビさんは私を怠慢へいざなう。右手をおいでおいでと振り示す。私も正直なところ、さっきの会話で集中力が途切れていた。ありがたく誘いに乗るが、そこで迷った。
「どうした?」
「あ、いえ」
私は目をさまよわせる。長椅子で隣に座るのも距離感が近すぎるし、さりとてジョーンズさんの椅子へ座るのはどうも失礼だ。だが目の前の人には、その迷いが伝わらないようで。
「なにをいまさら迷ってるんだい? 町を一緒に歩いた仲だろうに。まああっちでもいいけどさ」
彼女は気安く、ジョーンズさんの椅子を指す。安物ではあるが、リクライニングができるタイプの椅子である。もっといいものに変えたいと、密かに野望を紡いでいた。
「この間は、サワラビさんがあっちだったじゃないですか?」
「気分だよ気分。ボクなんかこの事務所じゃ外様だからね」
「外様は私ですよ」
抗議の声を上げつつ、考える。リクライニングは魅力的だが、あの席はまだ早い気がした。しかしサワラビさんの隣というのもいささかやりにくい。軽く悩んで結局、私はサワラビさんの隣を選んだ。やりにくいよりも、他の理由が勝ったのだ。
「おお、こっちなんだ」
「どうにもあの席は」
茶化すような声に応じつつ、私は記憶を巡らせた。一週間前、朝に見た光景。さっくり言えばジョーンズさんが胸元をはだけていて、サワラビさんが身を預けていた。傍目から見れば、『お楽しみでしたね』としか言えない光景だった。
「やっぱり私には早いんですよね」
一拍置いてから、言葉をつなげた。結局『違う』の一点張りで押し通されたけど、どうしても違和感が拭えなかった。それはつまり。
「お二人って、どういう関係なんですか?」
続けざまの一言で、全部説明できてしまう。距離感はあんなに近いのに、男女の仲かと聞けばそうでもない。男女の機微というのは、よくわからない。ボーイフレンドもいなかった。でも、サワラビさんたちはなにかが違った。
「そうだねえ」
サワラビさんは即答せず、どこか物憂げに天井を見上げた。つられて私も見上げる。シミがいくつもついた天井は、それだけで見飽きない気もした。でも、いつかは脚立できれいにする。改めて決意した。
「長い話と短い話があるけど、どっちがいい?」
天井を見たまま、サワラビさんが言った。長椅子の上に素足を置き、体育座りをしていた。
「そうですね」
前を見据えて、考える。奇妙な二択だと、私は訝しんだ。ジョーンズさんの椅子と机が、私の目の前にある。自分のスペースだからだろうか、机の上はまっさらだった。……よし。
「短い話を。主に、先週の件について伺いたいです」
私はサワラビさんの顔を見て、ハッキリと告げた。
***
「じゃ、始めようか」
答えを告げてから三十分後。机の上は大変なことになっていた。ジョーンズさんの備蓄と思しき食料から、サワラビさんが常に持ち込んでいたと思われるお菓子まで。机の上が酒とツマミに覆われてしまったのだ。
「そ、その前に、これは一体?」
「夕食、だね」
なにを聞いてるのかと言いたげに、サワラビさんが小首をかしげた。いや、小首をかしげたいのは私の方だ。ツマミやお菓子はあるけど、この机には主食がない。
「いやあの、私、未成年ですよ?」
まさかのサシ飲みすら考慮して、私は尋ねる。すると彼女は、いんやと首を振った。
「酒はボクが飲むために用意した。アレだよ。女二人で、真剣なツラを寄せて話し合ってもつまらないだろう?」
「はあ」
思わず生返事。この人には、ジョーンズさんに任された責任とかそういうのはないのだろうか。
ちなみに私は責任を果たした。部屋を汚さないように小さくなっていたので、その辺も言い含めて来た。帰って来たらこの有様だった。時間をくれと言われて、従った結果がこの現状だ。
「なぁに、ジョンは大丈夫だ。あのスタイルになって、ヘマを打ったことはほとんどない」
サワラビさんが胸を張る。雑な姿形ゆえにわかりにくいが、サワラビさんの胸はかなり大きい。今回彼女が胸を張ったことで、改めてその事実をわからされてしまった。ちなみに私は……残念ながら貧相なほうである。
「まあ、なにがどうなって大丈夫かわからないだろうし、説明は必要だな」
こっちに気を配っているのかいないのか、サワラビさんはあくまで私を見なかった。ただ、私の問いには答えてくれそうだ。
「ジョンについて、どう思ってる?」
サワラビさんは、質問で口火を切った。今度は私が天井を仰いだ。数個答えを絞り出し、応じる。
「好き嫌いは置いといて、強い人だな、と。さっきも、止められませんでしたし」
脳裏に、サワラビさんが来る前のやり取りが浮かぶ。
『ここで私が止めても、ジョーンズさんは出ていくんですよね』
『ああ』
あの人は言い切った。仮に泣いてすがったとしても、止められない。そう思うには十分な一言だった。そもそも、泣いてすがるほどの縁がない。つまり、あの時点で止めようがなかった。
「強い、ね」
サワラビさんが、久々に私を見た。その目にはどこか、試すような含みがあった。
「うん、彼は強い。キミの言う通りだ」
嘘だ、と直感した。いや、嘘と言うには違和感があった。言葉にしにくいが、はぐらかされているようだった。私はついにたまりかね、彼女へと近付いた。
「適当な言葉で、逃げないでください」
普段の私からは、考えにくいほどに強い言葉。サワラビさんの顔が、視界を満たす。クマがなければ、美人だ。そんな感想が脳裏に浮かぶ。場違いだと思いつつも、心のどこかがきしんだ気がした。
「逃げちゃいないよ。実際強い。それはキミも見ただろう?」
美人からの問いかけに、首を縦に振る。私にないものを持ち合わせた人が、なにを語るのか。視線を切らず、彼女を見据えた。数秒のにらめっこのあと、サワラビさんはこめかみを押さえた。
「やれやれ。どうやらある程度は話さないと収まりがつかないようだね」
どこか投げやり感のある言葉だった。私にジェスチャーで距離を取るように告げ、座り直す。次の瞬間、酒とツマミを頬張り始めた。食料が、お菓子が。お酒が。次々と彼女の胃袋に吸い込まれていく。そんなショーを十数分は見せつけられて。
げふぅ。
淑女にあるまじきゲップが、恥ずかしげもなく繰り出された。サワラビさんが、改めて私を見る。その頬には、赤みが差していた。
「これでなにかあっても『サワラビが酔って口が滑らせた』でカタがつく。さあ、短い話を始めよう」
据わったような目が、私を睨みつけていた。
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