8


その時だった。球体部分が発光し、キュイイインと耳が痛くなるような高い音を発しながら赤い光線を放ち、建物を横に滑っていく。爆発するか、そのまま崩れるかと身構えたがどの予想も見事に外れる。それもそうだ。誰がこうなると予想しただろう。建物が二階から上が突如真っ黒に変わり0と1の赤色の数字が縦に流れる異様な光景を目の当たりにしたと思えば、上からどんどん消えていく。

「何が起こってるんだ・・・!?」

開いた口が塞がらない。

「あれ浴びて消えたモノは戻らないわ。」

体の中から凍えるほどの寒気を感じるおぞましさだ。建物が低くなって不気味な空が広がっていく。

「アンタが余計な刺激を与えたからお怒りなのか暴走したのか。あの状態だと手を出せないのよ。」

「でも師匠、足が無防備ですよ?」

「バリア張るから。」

効果を期待しての一撃なはずが真逆だった。しかも今は大人しい触手を狙おうとしても意味がないらしい。しかし、スージー達は至って平静を保っている。策はあるのだろうか?

「倒すのは面倒ね、コイツは。でもほっといてもなんとかなりそうだわ。」

スージーがそう言うと、はるか高い所から鳥の様な鳴き声が聞こえてくる。空を見上げると、元からその高さだったかと思えるぐらい小さくなった建物の向こうから何かが飛んでくる。それは次第に、姿も視認できるほど近づく。そいつは翼も無いのに宙に浮いていた。


三つの蛇みたいな頭が生えた、四足歩行の灰色の大きな何か。ひさびさにクリーチャー然とした魔物を見た。尻尾の先の方は固い金属製のチューブみたいにも見えると同時に思い出した。俺のすぐそばをめがけて刺してきたものと形状が非常に似ていたことを。

「今度はなんだよ。」

珍しく静かだったオスカーが不機嫌そうに口を開く。右手にバット、左手にはなぜか白い紙。

それより本当になんなんだ。最悪だ、二匹も強そうなのが現れた。クラゲみたいな魔物は後にやってきた魔物に向けて物騒極まりないビームを放つ。魔物は横に避け、化物クラゲの周りを水平に飛び回る。球体だけがぐるりと回転し、ビームがそいつを追いかけたた。魔物が飛び去ったあとは獲物を捕らえ損ねたビームが何の関係もない建物を次々と不気味な姿に変えていく。間もなくこの景色も見渡しが良くなりそうだ。よく見たら空を飛ぶ魔物は飛びながら距離を詰めていて、何周も何周も繰り返す。ビームは遠くの建物まで無に還す。本当に誰も住んでなくてよかった。

するとビームが一旦止まる。その隙を待っていたかのように、空飛ぶ魔物は残りの距離を一気に詰め直接襲い掛かった。覆い被さり、三つの頭が鋭い牙を剥き出しに噛みつくのを触手を盾にして守っている。残りの触手は胴体に、しかし足と頑丈な尻尾で振り払われる。まさに二匹の攻防戦だ。

その様子を傍観していた俺はまるで映画の世界に飛び込んだような感覚になったていた。そんな俺をよそにスージーは先に進む。置いていかれないようあわててついていった。

「あれはあいつに任せましょ。」

それでいいのか。心配になるけど、今は俺たちは眼中にない。

「師匠!!」

最後尾を歩いていたはずのマシューが先頭のすぐ後ろへと駆け寄る。

「なんですか、ここ!こんな・・・生息地がバラバラな魔物がこんなに集まってるんです!?」

きっとここにいる誰もが疑問に思っているはず、訴えるような形で問いただす。

「知らないわよ。アタシが来た時はすでに魔窟だったんだから。」

「住人がいないのって、もしかして・・・。」

聖音が恐々とたずねるとスージーは黙って首を横に振る。

「それはないんじゃない?さすがにあの魔女が黙っちゃいないわ。ここが放置されているのは、そういうことね。」

そういうこと?避難、もとい引っ越しでもしたのかもしれない。俺にはあまり関係ない事だけど、少しだけほっとした。・・・いや、安心なんかしてられない。自分達の心配だ。

「まだ間に合いますよ、引き返しましょう。安全な道を通るんです。遠いと言ってもしれているじゃないですか!」

「後戻りできると思う?」

スージーが指をさしたのは後方。ビームが飛び交い、いつの間にか魔物の数も増えて被害も増えて、周りの廃墟らしさに拍車をかけている。俺たちも急いで離れた方がいいのは見ての通りだが、それには前進するしかなくなった。

「そもそも師匠がここを危険な場所だと分かっていて通ったから、こんなことになったんじゃないですか!」

気持ちが昂っていつにも増してせかせかとまくしたてるがスージーは全くブレていない。開き直っているというか、堂々というか、毅然とした態度にすら見えた。

「そう。そうね。じゃあ、なんでここに連れてきたと思う?」

「えっ・・・そんな、わかりません。」

すぐ真後ろでビームが走り、轟音や甲高い鳴き声がBGMみたいに鳴り止まない中でマシューは困惑に声をくぐもらせる。俺はそばで起こっている大惨事に気が落ち着かないが、しっかり聞かなきゃ、聞こえない。

「少しはコイツらを鍛えてやろうと思ってね。」


・・・はい?

確かに聞こえた。しっかりとこの耳でその言葉を捉えた。鍛える?

「なーに、大体の魔物は急所や弱点があるのよ。それぐらいは教えたげる。でも、戦いにも慣れてもらわないと。」

何かありがたい言葉をかけてくれている気もするんだが、にわかに受け入れにくい。

「頭で覚え、体でも覚えないとダメ。ほら、習うより慣れろってアンタらの世界では有名な言葉でしょうよ。」

確かにそんなことわざもあるけど!俺たちに実際に戦えと仰っているのか、この人は!

「無茶です師匠!そんな、あっ!!!」

スージーがマシューの細い腕を無理やり掴んで曲がってはいけない方向へ簡単に折り曲げた。硬いものが砕けた音に体がゾワゾワッとする。当のマシューは腕をおさえて(俺から見て)「固いところに打った」程度の痛みに震えていたが。

「最低限のサポートはするわよ。見殺しなんかしないわ。アタシらがいれば死なないわ、ね?」

顔に黒い影が落ちそうな圧を感じる笑みを向けられたマシューはこの世の終わりの如く悲愴な顔だった。頼もしいはずなのに、死なないなんて、逆にそこまで強気だと不安になる。根拠だってないんだし。

「ほら、ぼさっとしててもしょうがないわよ。」

こっちの意見なんか聞く気も無しかと振り向いてしまう。何か、何か言いたい。腑に落ちない、このままでは。

「面白そうじゃねえか、なあ?」

オスカーが随分と上機嫌に話しかけてきた。こっちがまだ素直に受け入れられていないから、今はコイツの態度も嬉しくないし、いい返事ができない。

「うぅ・・・。」

渋々俺の隣を並んでついてくる聖音は不安そうだった。とりあえず、少しでも気を楽にしようとその場しのぎの言葉を考えていた。

「上手くやれるかなぁ・・・。」

やる気満々だった。どうやら、ここに俺と同じ意見の人はいなさそうだ。

「・・・お、鬼だ・・・。」

そういえば、いた。腕をぎゅっとおさえたまま、背中を丸く俯きながら列の最後をとぼとぼと歩くマシューは、魔物と対峙した時とは全く別人だ。見ていて哀れで仕方ない。俺は速度を落とし、マシューの横を歩く。

「えっと・・・。」

大丈夫?と声をかけようとした時、口を開いた。

「いつもああなんだ、あの人は。気まぐれで、強引で・・・。」

小声で、ぼやき始める。苦労しているんだなぁ。黙って聞くことにした。

大丈夫なのかなぁ。

建物が崩壊する音がうるさい廃れた路地裏を、不安、恐怖などマイナスな感情がごちゃまぜになった俺は流されるままに進んでいった。



ーーー・・・。



俺たちは無事に目的地についた。

「じゃあちょっとここらで待ってて。」

スージーとマシューが俺たちのそばを離れた。マシューはいつの間にか腕も治っていた。ここらへんの雑魚ならもう倒せると、お墨付きをもらったのだ。別に嬉しくなかった。

「・・・・・・。」

多少の怪我はあるが、五体満足なのが本当に奇跡だ。それ以上に、本当に、色々なことがあって、とても大変だった。スージーは確かに魔物に遭遇した際はそいつの急所や弱点をきちんと教えてくれた。次き敵をおびき寄せたあと自分はすかさず逃げて、俺たちを狙わせる。いくら丁寧(でもなかったが)実践するとなると別だ。だって、敵はみんな殺すつもりで向かってくるんだから失敗は許されない。一応、危険だと判断した場合はマシューかどちらが対応してくれるが基本放置だ。マシューは何度か助けに行こうとしたのを止められていたが。そう、危険じゃなけりゃほったらかしだ。例え触手に責められていようと、頭からウツボみたいなものかぶっていても、再びバブルガムの被害に遭ったと思いきや今度は爆発したりと・・・。


散々な目にあった。もう、やけくそで、がむしゃらに敵を倒すのにいっぱいいっぱいで、せっかく教えてもらった弱点とかも頭から抜けていそうなもんだが、ここと言われたポイントを狙って倒してきたので身についているはずだ。

あと、たいして近い距離ではなかった。十分歩いた。道中が道中だから、肉体的疲労は半端ない精神もすり減った。今の俺は、目的地でそこらへんにあった岩に腰をかけて、力なくただ呆然と空を眺めていた。この血溜まりの色をした空はいつ見ても気が重くなるばかりだ。こういう時ぐらい晴れてくれないかなあ。晴れてるんだろうけど。

周りはフェンスと茂みに囲まれていて、それ以外に岩しかないが、広いので風景はまだマシな方だ。

「もうほんと、風船怖い・・・。」

聖音は俺の隣で、膝を抱え込んで蹲っている。スージーがあえて引き寄せたバブルガムに追いかけ回されたのだ。自分がやらかしたわけじゃないのに、トラウマにもなるわ。挙げ句の果てに爆発した。風船ではなくもはや爆弾だ。けど俺には誰かを励ます余裕がない。一方でオスカーは少し離れた岩に座って白い紙をじっと見つめる。そういやさっきもしきりに見ていたが、一体なにが書いてあるんだろう。聞いてもどうせ教えてくれやしないから聞かないけど。

・・・思い返すと、聖音とオスカーはすごかった。聖音は終始パニック状態だったにも関わらず一度教えた急所を確実に狙って敵をおとした。しかも素手やキックでだ。アレは空手関係ない。オスカーは逆に楽しんでいるかのようだった。アイツもまた戦いに無駄がほとんどなかった。恥ずかしいが、一番手間取っていたのは俺である。何が違うのかと考えても、わからない。場数を踏むしかないのか。

「ん?」

オスカーが突如立ち上がる。

「どうした?」

「なんか今、そこからガサガサって・・・。」

まさか、また魔物か?スージー曰く、この付近は雑魚しか現れないとのこと。いや、やっぱいるのかと怒りそうだったが、今のアンタらなら倒せる程度の奴らしかいないから大丈夫とも言われた。・・・相変わらず、喜べない。が、命がけで体に叩き込んだあの時間は無駄だなんて思えない。オスカーも聖音も頼れる仲間だ、きっと大丈夫。弱点、急所のどれかがある、かつて戦った敵なら・・・。

「誰かいるの?」

茂みから落ち着いた男の声がする。人の言葉を話す魔物は初めてだ。地に足をつき、ほんのわずかの安堵と強い警戒心でツルハシを構えた。茂みは動く、ガサガサと。さあ、早く姿を現すんだ。現してくれ。


「わっ、なんだこれ。フェンス?・・・開かないなぁ。・・・ていっ!!」

ドォンと、フェンスが歪な形でくり抜かれ、勢いよく地面に倒れる。葉っぱが宙をひらひらと舞う。茂みから何か突き出していた。獣の足だと確認したら足は引っ込んで、今度は足の主が茂みを掻き分けて現れた。

その姿に思わず息を呑んだ。

現れたのは獣だ。大きな獣。首から上は長い垂れ耳の犬の頭、しかし首から下は・・・四足歩行の動物が二足でたったような姿。しかし、見ていて異様なのはすぐにわかった。足・・・腕にも見えるものが四本も生えている。上から足元に届くまでとても大きく長い腕と、おそらくその腕の付け根から生えている人の形が似ている二本の腕。長い尻尾の先は動物の足のような形で肉球までついている。とにかく異様で、俺の知っている動物の特徴を混ぜてぐちゃぐちゃにしたような姿だったから余計に気味が悪かった。そして他の魔物と違うのは、服を着ていたこと。

人の姿をしていないものはまず着ていないし、人の姿をしているものは決まって着ている。人の姿をしていない魔物が衣装を身にまとって現れるのは初めてだ。

「君・・・達・・・。」

真っ赤な目が俺たちの姿をまるまる捉える。表情が大きく変わるわけじゃないが、ぼそぼそとした声からなんとなくわかった、驚いているんだと。こいつは人の言葉まで話せるらしいが、それでこちらの警戒心が解けるわけもなく。

「的がデカくてありがたいねェ。」

オスカーが肩に手を添えた右腕をブンブンと回す。最初こそみんなと同じように驚いただろうが、さっきの一件で魔物という存在に対する恐怖感が消えて無くなってしまったのだろう。俺も、ツルハシの柄を両手でしっかりと握って前に構える。すると、魔物は更に目を見開いて小さな腕をバタバタさせた。

「わーっ、待って待って!僕は襲わない!」

随分流暢にそう言って、顔面をかばう仕草をした。さすがに一同拍子抜けだ。

「なんなんだ、お前・・・他の魔物と違う?」

手から力がやや抜ける。

「僕はただの迷子だよ。話せば長くなるんだけど・・・って、それより君達、人間!?」

急にずかずかと歩み寄られ、こっちはその身の大きさとかに圧倒されて一歩も動けなくなる。

「え、あ、俺たちは・・・。」

魔物に迂闊に正体を明かしてはいけない。いくら相手に敵意がなさそうでも、なんとなく話がわかってもらえそうな雰囲気でも。

「隠しても無駄だよ。においでわかるもん。あとは魔力の有無でね。僕らはそれを肌で感じることができるんだよ。」

ご丁寧に説明してくれてありがとう・・・。おかげでごまかしが効かなくなった。俺たちにお前らの体の構造はわからないので論破しようもないのだ。

「にしても、なんで人間が?」

魔物は俺たちを真面目な顔で観察しながらぐるぐると歩き回る。コイツからはまるで、敵意が感じられない。どっちかといえば、興味を持たれている?とはいえ、この質問にはどう答えたら良いものか・・・。

「退がれッ!!!」

背後からの鋭く尖った声が俺の頭に刺さり、キーンと響く。この感じ、例の冷たい氷を頬張った時にしか味わう機会のない感覚に近い。にしても、全く気配を感じなかった。振り返ると、眉間にいっぱいシワを寄せたすごい剣幕のスージーが銃口を構え、隣では困惑しながらも剣の柄に手を添えていた。スージーに至ってはここに来るまでには見せたことのない表情だった。

「わっ!?」

驚きの声ややあげたのは魔物の方だ。

「スージー、マシュー、おかえり。こいつは・・・。」

状況だけでも聞いてもらおうとした。

「退がってと言ってるのがわからないの!?」

怒声で遮られる。一体そんなに警戒心を剥き出しにしてどうしたんだ?最初こそ驚いたものの、そこまで危険な奴には見えないんだが。ほら、魔物の方が後退りしているぐらいだ。

「お前が退がってどうすんのよ!!」

「そんな怒んないでよ!」

反論までする始末だ。どうやらこの魔物は見た目の割に臆病らしい。でも、あんな彼女を俺では止められそうにない。

「・・・。」

しばらく、張り詰めた空気が漂う沈黙が続く。魔物に争う意志がない以上、根負けしたのはスージーの方だった。力なく銃を構えた手を下ろす。

「ああもう、最ッ悪。ここはボス級が出てくるようなとこじゃないはず・・・。」

緊張が解けて一気に疲れが噴き出したスージーは前髪をかき分け、ひどくうなだれる。

「アレってもしかして、サモンズドッグですか?」

指をさして問いかけるマシューの顔も引きつっていた。

「さ、サモ・・・?」

これまでの出会した魔物の名前は俺の知る単語を組み合わせたのがやたらと多く、名前が生態そのものを表現しているのもいくつかいるので分析すると特徴がわかったりする事もある。ドッグは犬、大体見たまんまだ。サモンズは何かここだけの意味があるのか?

「魔女が生み出した怪物。急所がない、物理攻撃がほぼ効かない上にとにかく強い。今のアタシとマシューじゃ、勝つのは厳しいわ。」

「そんな・・・。」

名前からあれこれ考えるのをやめた。今まで戦ってきた敵は、そこを突くまでの過程の難易度がバラバラだっただけでどいつにも必ず急所、弱点はあった。それが無い敵が初めてというか、そんな奴がいること自体初めて知った。

「あ、あのー・・・。」

そこまで言われるぐらい、恐ろしいバケモノは頭をやや下げて上目遣いで、大きい方の手を挙げる。声も申し訳なさそうな、か細い声だ。スージーの睨みにも若干怯んでいる。

「・・・そこまで僕について知ってるんなら、僕が争い事が嫌いなのも知っているでしょ?」

この魔物は出会ってからも今まで俺たちに対し敵意を見せたことは一度も無い。せっかく会話も成立するめずらしい存在だ。争いも避けられるなら避けたい。スージーはこれ以上何も言わない。

「勘弁してよ、全く・・・。」

魔物がぼやく。ほんとに、出会った中で特に変わった奴だ。というか喋り方に妙に慣れ親しんだ感じがあるような・・・?

「状況を説明してもらえるかい?」

柄から手を離し、警戒心を解いたマシューはほとほと困り果てた様子で和解を試みようとする。すると魔物はすっかり心を開いた様子だった。声色も元に戻る。

「実はかくかくしかじかなんだ、わかる?」

「わかるかボケ!!」

スージーが即ツッコミを入れた。こいつ、それでわかると本当に思ったのか?俺が見せられたのは漫才か?

「ごめんって!僕の名前はパンドラ。ただの通りすがりだよ。さっき出会ったばかりさ。ってゆーか、状況を説明して欲しいのはこっちの方だよ!」

腕を広げるなどいちいち仕草が大袈裟である。その大きな腕じゃあ細かい仕草ですらそう見えるのかもしれないが。腕?もはや脚じゃなく腕だな。

「どうして人間がいるの?そこの二人は何か知ってるの?」

パンドラと名乗る魔物は俺の方を前足・・・じゃなかった。手の平で指し示す。近くで見るとますます大きい。俺の手の何倍ぐらいあるんだろう。全体が毛に覆われて、肉球はなかった。

「この世界に迷い込んだ人間だよ。僕たちも偶然出会ったようなもんさ。彼らが元の世界に戻れるよう協力しているんだ。」

丁寧かつ親切に話してくれるマシューに、一瞬だけ表情がかたくなった。

「・・・ただの他人だろう?なんでそこまでするの?」

「誰かが困っていたら助けてあげたいって思う気持ちのどこがいけないんだい?」

笑顔でそういう事を自然にさらっと言ってのけるから、本物のお人好しなのかなだと考えてみたり。

「ふぅーん・・・。」

短い方の手であごに添えて考え事をしている風だったがしばらくして手を下ろした直後に長い方の手を合わせた。すごく「ひらめいた」と言いたそうな顔で。

「いいなぁ、僕も協力したい!」

えっ?俺の理解が追いつかない。会ったばかりの化物然とした魔物にそう言われるとは思ってもなかった。

「ん!?」

「はぁ?」

聖音は力を込めて口端はあげ眉尻も同時に上がり、目は見開いたなんとも言い難い表情だった。オスカーは眉をひそめて、いずれにせよ二人とも驚きの声と共に勢いよく振り向いた。驚いたのはスージー達もだ。マシューは目が点で放心そのもの。スージーはというと、言いつけを守らない子供を前に怒りの感情までは至らないが苛立ちを覚えた大人みたいな疲れも混じった顔をしていた。

「・・・ねえ。アタシの理解が正しければの話なんだけど、「サモンズドッグは人間を嫌っている」んじゃなかったかしら?」

対してパンドラは苦笑いのあとに続けざまにため息までこぼした。

「・・・僕の周りはみんなそうだよ。でも僕は人間が大好き!そもそもみんなは魔女を怖がっていて、それに近い姿をしているから人間も怖いっていうんだけどおかしくない?人間は全く関係ないし、むしろ人間も魔女にひどい目に遭わされた被害者で・・・。」

ここまでノンストップだ。人間が好きと言われてもそのあとの早口で語られる理由諸々で頭の中は埋もれてしまう。時折手が動きながら、表情もころころと変わる。聞いていても、見ていてもせわしない。

「まあ僕らの起源も人間が連れていた犬らしくてさ。やっぱり人間が原因だっていう奴もいてさ、いい迷惑だよね!?その人から許可を得たのかな?まあ許可済みだとしても、だからといってこんなことになったのは。」

「わかったわかった!!」

黙って聞いてりゃキリがない、いつ止まるかわからないパンドラの長いおしゃべりはスージーが遮った。

「アンタが異常てのはわかったわ。」

「例外って言ってほしいんだけど。」

ああいえばこういう。どっちでもいいだろ、この際。

「・・・人間に危害を加える心配はなさそうね、とりあえず、信じられないけど・・・。ホントに協力してくれるんなら、約束があるわ。」

人差し指を立てる。

「人間の存在は絶対に秘密にする事。」

続いて中指も立てる。

「アタシの言うことには絶対に従う事。無茶を言うつもりはないわ。」

更に薬指を立てようとしたが、途中でやめた。パンドラは聞いている間は真剣な面持ちだったがすぐに顔が綻ぶ。

「これじゃあまるで飼い犬みたいだねぇ。」

なんて冗談をかましたもんだからスージーの眉がかすかに引きつった。

「あぁ、ごめんごめん。心配しなくても、君達の事は誰に言うつもりもないよ。」

話し方にも表情にも緊張感はなくくだけている。でも、それはそれとして、コイツは信じていいかもしれない。人間は被害者なのを理解した上で味方でいてくれるというのなら。あとはまあ、人柄かな?人じゃないけど。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る