白昼夢 2



・・・!


まただ。この、何もない真っ白なだけの世界。ただ、今回は俺以外に誰もいない。喧しい子供の泣き声も、見るに耐えなかったあの光景も。


三次元の境目が見えない。どれぐらい高く、遠く、唯一自分が地に足をついている感覚のみがある。匂いも、音も無い。長い時間いると五感がおかしくなりそうだ。


「やっほー!」

「わあぁっ!!」

背後からいきなり、元気はつらつとした少女の声が耳をつんざく。慌てて後ろを向くと、ここで前に出会った白髪の少女が腕を後ろに組んでこっちをしてやったりみたいな笑みで見ている。以前は裸で目のやり場に困ったが、シンプルな白のワンピースを着ていた。

「あはは、見たかったんだー君の間抜けた顔!びっくりしたって顔してる!」

無邪気に笑う少女に対し、俺は彼女の言う通り間抜け面を晒していた事だろうと自覚はある。

ボーッとしていたところに、無音の空間でいきなり大きな声が司会の範囲外から聞こえたら心臓が跳ねるぐらい驚くに決まっている。

足音も気配も感じなかった。それどころか一通りぐるりと見渡して何も無いのを確認したのだから、この子はどうやって姿を現したんだ?

でも、聞いたって適当にはぐらかされそうだ・・・。今は問い詰める気力すら無い。成り行きに任せたい、そんな気持ちがある。

「もう、たまにしか会えないんだからもっとこう、ノってよ!ほら、私、服着たんだよ?」

少女はくるりと一回転する。着たばかりのお洋服をお披露目するみたいに。裾が円形に広がる。似合っている、とかその服を着だ自分はどうかと言う感想を求めているのは察した。

「服を着るのは当たり前だろうが。」

・・・どうにも可愛いみたいな言葉を素直に言うことが出来ない。いや、普通に似合っているといえば良かったじゃ無いか。言葉は吐き出したら戻せない。言った後に俺は後悔した。

「ちぇー!でもまあ、いいや。」

あ、良かったのか。いや、良くはないだろうけど。

「せっかく来てくれたから、何から話そうか。どうせなら楽しい話したいけどネタがないんだよね。」

俺は楽しい話をしたいわけではない。じゃあ何がしたいかといえば思い浮かばない。

あ、そうだ。

「話といえば、この前の事だけど。」

「君の話面白くなさそうだからいい。」

「そうじゃない!」

大切なことを思い出した。面白くはないが、とても気がかりで話さなくてはいけないことだ。だって、そもそもこの話を最初に持ち出したのは彼女の方だ。

「あの時の子供、結局どうなったって話だよ。・・・今思い付いたんだが、つまりあの子は・・・。」

「あーそれ、忘れてた。」

またも人が話している途中に割り込んでくる。ちっともまともに会話が進まない。真剣な話をしようとしていたから少し苛立ちさえ覚えた。自分でも眉のあたりに力が入るのがわかる。

「あのあとすぐに新しい家族ができたからだよ。」

一瞬、思考がフリーズした。一生懸命絞り出した解答を答え合わせしてもらうより先に、俺の考えを聞く前に答えを明かされてしまった。

「へっ、あ・・・ふーん・・・えっ?えっ!?」

しばらくの間はそんな言葉しか出なかったが、ようやく脳の理解が追いつくと今度は驚きと好奇が湧いてきた。あのあとすぐの言葉がとても気になって仕方がない。すぐと言うことは、養護施設を通り越して本当の意味で「すぐに」家族ができたと解釈して、里親に引き取られた。うん、それが一番合理的だ。だとしてもやはり気になる!

「里親にでも引き取られたのか?良かったじゃないか。」

ついうっかり考えていた事と純粋な感想も一緒に口から出てしまった。

「うん、まあ、そうだね。」

正解したにしては、あまり嬉しくなさそうな、そっけない態度だった。もし俺が正解を早くも当ててしまったのなら機嫌を損ねても理解できるが、俺より先に答えを言った彼女がなぜ拗ねるのかは理解できない。もしや、「なぜそうなった」かをさらに求めていたのだとしたら・・・。そこまで頭が至らなかった・・・。

いや、でもそんな拗ねなくてもいいだろ。

「パパとママがいて、特別お金持ちじゃなくてもいいから毎日楽しくて幸せ・・・。幸せだよね。それが幸せだって私は思うよ。」

少し間が空いてから、少女が俺の隣に並んで、微笑んでそう言いだしたんだ。

突然何を言うんだ?思考が追いつかない。

「お金はあったに越したことないけどね!」

そしてすぐにそうやって雰囲気を自ら壊すようなことを言ってのける。でも笑顔は、無理に作っている風に見えた。自然に漏れる笑みには見えなかった。

「・・・当たり前の幸せは当たり前じゃない、贅沢な事だってさ。でもその当たり前の幸せを、当たり前って、いちいち贅沢な事だって考えなくちゃいけないの?」

「・・・・・・。」

俺はこの子について何も知らない。会って間もなければお互いのことを何も話しちゃいない。でも、ただ健全に「普通」な家庭に育った子供がこんな悟ったみたいな語りをしない。あとは考え方の問題なのだろうが、俺は彼女は「普通」の子供に見えるんだ。こんなことを言ってても、尚。

なんて言えばいい?どう返せば、彼女は納得してくれる?俺は今、新たな解を求められている気がする。

「・・・そんなこと毎日考えるほど暇じゃねーよ。」

まず先に出たのがこの一言だった。もちろん、まだまだ他に伝えたい。でも、わかりやすく伝えるにはどうすればいいかと脳内で整理すると時間がかかる。散らかったパズルを前に考え込む感じに近い。少女は黙っている。笑顔のままで。俺がまだ何か伝えきれてなくて、それを待っているかのように。

「あのさ、ようは感謝しろって言いたいんだろ。今あるものがあるのが当たり前じゃないんだぞ、だから大事にしとけ、みたいな・・・さ。」

別に綺麗事を言ったわけでもないのに妙に照れ臭くて痒くも無い頰を指でさすって顔ごと逸らす。そういや、大人や先生もよく言っていた。感謝しろ、とか。大事なものは失ってから改めて有り難みを感じる、みたいな。だから失って後悔しないよう日頃から大事にしろ、といったような。

教訓なのだ。

言われたからするものでも無いのだが。

「だからそこまで気にしなくてもいいんじゃないか?困ってたら手伝うとかしてあげたらいいと思う。」

親孝行とまではいかなくても、家事を手伝ったり病気の時は看病したり、出来る範囲で感謝を伝えてあげたらいいと思う。とまでは言わなかったが、これで伝わっただろう。

「・・・。」

少女は黙ったままだった。せめてもうそろそろ何か言い返してほしい。気に障る事でも言ったのではないかと不安になる。

「あ、そ、それと。」

気まずさのあまり早口になる。みっともない。

「俺は父さんしかいないけど別にその、普通だぞ!」

・・・何を言っているんだ、俺は。

それがなんだって言うんだ。

そう言う事じゃないだろ、俺。

今度は目頭をおさえてひどくうなだれる。

「・・・ふふっ、何それ。あははは。」

でも、少女はなぜかそこで吹き出した。口元を手で押さえても一度ツボに入ってしまえばしばらくは止められやしない。爆笑と言うほどでもないがずっと笑っている。

「君って慰めるのとか下手でしょ。別に、そんな事ないよ、ぐらいでいいのに。」

図星かもしれない。気持ちを素直に言えないから理屈や複雑な言葉でごまかしたりして、いざ言おうとしたらこの有様だ。俺の悪い癖を非難してくる奴もいるが、こうやって普通に指摘されると恥ずかしいものがある。もう俯くしかできない。

「はーあ、なんだかんだ楽しかった。意外と面白いんだね、君・・・。あ、そうだ。すっかり忘れてた。」

ようやく落ち着きを取り戻した彼女は大股で一歩踏み出し、俺の前に面と向かった。

「名前を言ってなかったよ。私の名前はヘルベチカ。チカって呼んで!」

ヘルベチカと名乗る少女は何やら期待の眼差しで俺を見つめる。愛称で呼んでほしそうだ。しかし、中々抵抗がある。知り合ったばかりの女の子にあだ名呼びも、だからと言って呼び捨ても、ちゃん付けも。一番マシなのは苗字で呼ぶ事。しかしわざわざ聞きにくい。名前一つで難儀だ。

「ち・・・ヘルベチカ、俺は。」

「リュドミール君でしょ?」

やっぱり恥ずかしいなあ、なんて気持ちがすぐに冷めた。

「なんで、俺の名前を知ってるんだ?」

怖い、とさえ感じてしまう。だって、俺の反応も予測していたような、笑顔を全く崩さないでこっちを見つめているんだから。

「ずっと見てたもの。リュドミール君や他の友達、あの気色悪い世界で何をしているか。直接お話しできるのは君が眠った後の夢の中でだけ。でも、君が起きていなくなって後はずっと一人でここから眺めていたよ?」

ヘルベチカは俺が茫然としている間に、ゆっくりと前へ進み、どこかへ行こうとしてる。行き先など、あるわけないだろうに。

「なあ、待って!ここはなんなんだ?何者なんだ?」

小さくなる背中に向かって声を大にしてむず痒さと一緒に問いを投げる。しかしもどかしくて、追いかける。対して距離感もないはずなのに距離が縮まらない。走っても走っても、近寄れない。前にも話そうとしたら声が出なかった事もあるし、この空間に俺は度々なにかしらの制御をされている。

「もう起きなきゃ。戻る時間よ。また会いましょう、私は待ってるから!」

振り向いて、ヘルベチカが大きく手を横に振る。なに、勝手にさよならしようとしているんだ。すると、俺の気持ちをよそに、目の前が急に真っ暗になり、意識が遠のいていった。

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