雪の雫(1)

 珍しい黒と馴染み深い白を併せ持った、ニフルヘイムの自然を形にしたような少女。


 軽い雪のような肉体の中で煮える熱に気づくのに、そう時間はかからなかった。調子に乗ったラルフのせいで、自分が知っていることを彼女に認識させてしまったのはまずかったと思う。


 向けられる好意はこそばゆく、厭うものではない。でもどう応えればいいのかわからなくて、随分とずるい態度をとってしまった自覚はある。


 彼女は美しい心の一欠片を捧げてくれた。だから自分も、何か返したいと思った。




 ヴィルヘルムたちが駆けつけたとき、城の中央にある塔は下半分が氷に覆われていた。こんなところでそんなことができるのは彼女しかいない。けれど氷で固まっていた扉を開けたとき、そこに彼女の姿はなかった。


 合わせた両手を守るように胸元に抱え、身を丸めてローニが泣いていた。寄り添っていたヴィンガルが救出に来た大人たちを睨み据える。アルフィがかまわず近づいても蹴られることはなかった。


 父親に肩を抱かれ支えられながら立ち上がっても泣き止まず、ヴィルヘルムが右手を差し出すと躊躇しながらローニはその上で両手を開く。


 右手のひらに乗った、指先ほどの氷の粒。その珠をローニはせつなだと言った。溶けて、そうなってしまったのだと。


 これが人ならざぬ者の本性だとしても、あの日広場で見た苛烈な姿からは想像もできないほど小さく、儚く、現実味がない。


 下半身を氷漬けにされた貴族たちは、幸い全員息があった。彼らの搬送や現場の後始末で周りがばたついているのもどこか遠い出来事のように感じる。


「それが『雪女』?」


 立ち尽くしていたヴィルヘルムは、そう声をかけられるまでまったくその存在を感知できなかった。己の背後に佇んでいた少年。その黒い肌は初めて目にするものだった。幼い頃、物語として聞いた海を超えて来た者たち――ユータンヘイムの中に、そんな特徴を持つ人物がいたような。


 派手な羽飾りの帽子を被り、右耳には細長い水晶のような耳飾りがぶら下がっている。片手には仮面。ということは舞踏会の参加者なのだろう。だがヴィルヘルムはこの少年を知らない。また紛れ込んでいた誰かだろうか。こんな独特な特徴を持っていれば少なからず注目を浴びただろうに、ヴィルヘルムもアルフィも今この時までその存在を知ることはなかった。


 アルフィは警戒を露わに、青年というには一歩足りない若者を凝視する。


 しかし当人は平然とした様子で父親の影に隠されていたローニに話しかけた。


「それを雪女に返した方がいい」


「へ!?」


 驚いてローニは頭に被っていた被衣の裾を握り込む。褐色肌の少年がそれを指差し「早くしないと、彼女が消えてしまう」と淡々と述べるので、ローニは慌てて被衣を外し、ヴィルヘルムの手の上に被せた。


 ヴィルヘルムがそれを折りたたみ、氷の珠を包み直す。対処法が合っているのかわからないけれど、素手で触れているよりも冷水のような衣に包んでいる方が安心感が違う。


 ほっと一息ついて、ようやく冷静になってあれこれと知ったように指示を出した少年と向き合う。


「君はこいつの知り合いか?」


「いいえ。だけど、僕の主と同じところから来たヒトみたいですから、ずっと見ていました」


「同じところ……」


 少年が耳飾りの石にそっと触れると、角度を変えてそれは光を反射し輝いた。


「こいつを、助けられるのか」


「……あなたは『雪女』のことをどれだけ知っている?」


 「雪乙女」ではなく「雪女」。前者はヴィルヘルムたちが付けた呼び名で、意味は同じでも後者こそ本来の彼女を示す呼称なのだろう。


 雪女とは。それがせつな自身のことであれば多少は答えられるけれど、「フウィートゥルヴ」のように種類的何かであれば、あまり答えられない。


「雪女は、あなたたちからすると精霊や魔物に・・・近い」


「魔物?」


 それは、せつな自身が真っ先に否定していた。ヴィルヘルムはそれを確かめて、彼女を雪精と判断したのだ。けれど今思えば、彼女が自分のことを精霊とも言ってはいない。


「山奥に生まれる雪の化身。基本的には山から出ず大人しいが、山に迷い込んだ人間を喰らうこともある。——人間からすれば恐ろしい化け物に違いないでしょう。それでも、あなたは彼女を助けたいと思いますか?」


「助ける」


 ぼんやりとした瞳にヴィルヘルムの姿を映しながら少年は耳飾りを指でこする。


「……即答、ですか」


「恩がある」


「……自分が喰われていた・・・・・・・・・ことをわかっていてそう言っているんですか?」


「何?」


「その衣はただの布じゃない。山を離れる雪女が身を守るために纏う膜のような物。けどここは日当たりが良過ぎて、衣だけで足りなかったんでしょう。体を小さくして対策していたようだけど、それでも足りない。だからその分は、貴方の生気……いえ、魔力で補充していたようです」


 ヴィルヘルムはまったく知らなかった。隣で気づかれないように少しずつ気を喰らっていたというが、それが故意的なものだとは思えない。それだったらもっと積極的に触れてきただろう。


 あんなに明らかに気持ちを向けるくせに、あいつは変に遠慮していて、ほとんど俺の方から触れてなかったか?


「あなたは異常なほどに魔力が多いようですから、体調が悪くなるなどの表立った変化はなかったんでしょうが……本当に、気づいていなかったんですね」


 口を動かす少年はまったく表情を動かさず、声も淡々としていたが、言葉だけは感情が見えた。呆れたような、そんな気配がする。


 祖王の子孫は総じて規格外の魔力などを持つけれど、魔法の才が比例することはなく、力を持て余している者は多い。ヴィルヘルムもまたその一人で、まじないや簡単な初級魔法ぐらいならともかく、氷の剣を手にするまでほとんど魔力を活用したことがなかった。


「あなたは相当気に入られている。今はまだ贈り物をするぐらいの謙虚なものだけど、雪女の執着は凄まじく、離れようとしても許されない。あなたの一生に付き纏う。だからこのまま別れてしまうのもアリ、一つの選択です。雪女はこちらで預かりますよ」


 離れる、なんて思い寄らなかったことを言われてヴィルヘルムは一瞬固まる。


「こいつを助けるには、お前に預ける必要があるのか」


「……いいえ。この場で対処できます。それがあなたの答えですか」


 ヴィルヘルムは頷く。使いもしない余り物を取られるぐらい、気にしない。それよりもちゃんとせつなと話して、自分は彼女のことをもっと知る必要がある。


 だからこのままでは終われない。終わりにする気はない。


 まだ何も、彼女に返せていないのだから。


 少年は視線を逸らし、変わらず右耳の耳飾りを触りながら考え込む素振りをする。


「……わかりました」


 一度伏せた瞼を持ち上げて。


「あなたを手伝います。連れて帰ってきてください」

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