雪乙女の心(7)

 眉尻を下げ、唇を震わせるも青年は何も言わない。困惑、恐れ。若い貴族が侯爵に問い詰められているのだから、その反応は当然だ。


 けれど疑心が募る。気のせいだと振り払えない。


 気まずそうに伏せられた緑の双眸。肩を震わせ、くつくつと音がする。


「ふは、いや参ったなぁ。よく街中で見かけただけの顔を覚えてたもんだ」


 整えられていた髪を掻き乱すとありふれた茶髪が真紅に変わり、口端を吊り上げ目元がたわむほどぐっと頬を上げた笑顔は幼く見えた。


「はじめまして、ではないか。まあ、こうして直接お話しできて光栄だニフルヘイム卿。俺は、名乗るほどでもない通りすがりの者だ」


 活発な若者の姿を晒したかと思えば、儀礼的な皮を中途半端に被り直し、覗く無礼さがヴィルヘルムの神経を逆撫でた。


「これはお前の仕業か」


 足元に倒れている男に目をやり、青年は両手を上げて肩をすくめる。


「俺は何も。みんな酔ってるだけさ。あんたは飲まなかったか? 綺麗な青色の」


 青年が言っているのは、会場で多く見られた珍し色を注いだグラスのことだろう。挨拶続きでヴィルヘルムは手に取らなかった。


「薬か」


「いやいや、ただの美味しい酒だよ。美味過ぎたのかね。樽が空になるほど飲み干して、酔っ払って、それでみーんな素直になっちまった」


「どういう意味だ」


 遠回しな表現にヴィルヘルムは顔を顰める。


「あんたは王子に不満はないの? みんな悩んでたぜ。後継者があんな情けなくていいのか。会場で転んで、泣いて逃げたのも心象を悪くしたな。余裕を持って見守っていた連中もあれを見て不安になったみたいだ。あんな情けなくて頼りないのが自分たちの掲げる太陽でいいのかって」


 氷剣の切っ先を滑らせ、下から顔に向かって振り上げる。不意打ちを狙ったつもりだが、相手は軽やかに避け、尚且つ剣の特性を察していたのか広く距離をとった。当たらなかった斬撃が氷として具現化し、壁と天井に刻まれる。


「あんた意外と短気だな!」


「そこに付け込んだのか。レンナルトにしたように」


 小さな火種を大火にするようなやり口は、いやでも先の一件を思い起こさせる。


「へえ、そこ怒るんだ。てっきり憎み合ってるか無関心なのかと思ってたけ、どっ」


 魔法でもまじないでもなく、精霊雪乙女によって生み出された剣は、ただ振るだけで届かない敵に向かって氷の刃を飛ばす。動力に使われるヴィルヘルムの魔力と相性が良く、まるで最初から一体であったように使い手によく馴染んだ。


 気づけば王宮の廊下は氷洞に様変わり、敵が下の氷に足を取られた隙を狙って詰める。青年は後ろに隠していた手を前に出す。炉から取り出した鉄のように赤いナイフで氷剣を正面から受け止めた。じゅわっと蒸発した音と白い湯気が立ち、剣身が纏う熱気を肌に感じて今度はヴィルヘルムが後退する。


 追いかけてきた熱の刃を氷剣で防ぐ。ナイフから放出された熱が火の牙となってヴィルヘルムに襲い掛かる。手の中で青い柄が震えたかと思うと、冷気が主を包んで無礼な牙を打ち払った。


 ヴィルヘルムは足に力を入れ、一歩踏み込んだ。熱と氷の拮抗していたバランスはその押し込みで崩れ、ナイフは氷に呑み込まれ、危うく巻き込まれそうになった手が逃げる。


「反則だろその剣」


 魔法を施していたであろう砕け散ったナイフの残骸をつま先で蹴飛ばし、青年はうんざりとした様子で呟く。


 主以外に触れることを許さず、主を害することを許さず、主の求めに応じて輝きを増し力を漲らせる忠臣の如き剣。


 本当にあいつはとんでもなく、良い物をくれた。


 照れる少女の顔を脳裏に思い浮かべ、ヴィルヘルムは剣を振るう。


 掴みどころのない風のように青年は逃げ回る。攻めは無駄と断じたのか、守り徹し、そのせいで捕まえられず厄介だった。


 いっそうのこと壁に穴を開けるつもりで突撃するか。そう考えたとき、窓の外に見えていた白い巨体を下から染め上げる赤と纏わりつく黒煙が見えた。夜に突然生まれた城下をも照らすほどのかがり火に注意が逸れてしまった。気づいたときには青年は何か呪文を唱えながら、姿を影に紛れさせて消えようとしている。


 させるか!


 剣に送られる魔力が増し、目が眩むほどの白い輝きが影を暴く。振り返り目を見開いた獲物を氷の波が呑み込んで、激流は壁を吹き飛ばした。


 一瞬で風通りの良くなった廊下と外に露出した刺々しい氷のオブジェ。青年はその中腹辺りに頭だけ飛び出した状態で、調子の変わらない声を上げる。


「俺なんかの相手してる場合じゃないと思うけどなぁ。あそこにいる王子様、放っておいていいんですか?」


 この状況さえも楽しんでいるような様子を不快に感じながら、青年が視線を向けた塔を見る。


 ソルの王族を火で害することはできない。しかし錯乱した何者かがあの場にいるなら話は変わる。王子を探しに行った彼女たちが合流していれば問題ないだろうけれど。


 嫌な予感がする。


 駆けつけて氷を見上げて呆然としている近衛兵に場を預け、急いで塔に向かう。




 油断した!


 胸の内で自分を罵り、せつなは現状を睨みつける。


 魔法を使える者が想定以上に多かったのは別にいい。けれど彼らが揃いも揃って巨大な火球を放ってきたことが大問題だ。なぜ大人数でそれぞれ行使した魔法が一種類なのか。


 燃え盛る熱の塊を見て、足が竦んでしまった。ヴィンガルの羽捌きのおかげで事なきを得たが、タイミングがズレたせいで火に囲まれ、追い立てられて燃え盛る塔の中を再び登るはめになり、上から追いかけて来た男は下に転がしたが、せつなたちは完全に退路を失っていた。


 くやしさで噛み締めた歯が軋む。自分の失態だ。ローニを守らなければならないのに、熱気にやられ、炎に怖気付き、人間相手に後ずさっている。


 燃える板を持って走って来た相手を冷風で薙ぎ払うが、その後ろに現れた手のひらに炎を掲げた女を見てしまったらもうダメだ。思考が停止し、身動きできない。


 振り下ろされる腕を眼球に映すだけだったせつなの前に、横から覆い被さるように影が飛び出す。振り払う間もなく炎の玉にぶつかり、せつな諸共吹き飛ばされた。


「っローニ!? 何してんのこのバカ鳥!」


 敵を蹴飛ばしながら、ローニも蹴り飛ばして盾にするというとんでもない暴挙に怒鳴ると、バカは貴様だと叱咤し返したあげく、ヒナが望んだからなと胸を張る。


「セ、ツナ……だいじょうぶ?」


「それはこっちのセリフ!」


 背中を丸め小刻みに体を揺らし、歪んだ表情でせつなを見上げる。火傷することはなくても、砲弾としての衝撃で痛いだろうに第一声が他人の身を案じるものとは。


 この子は、思ってたより弱くないのかもしれない。


「はぁ……ローニ、こいつの背中に捕まって。絶対離さないでね。あんたも、今度はローニを蹴飛ばしたりしないでよ」


 翼の付け根の間に小さな体を押し込んで、ベールを被衣に戻し、ローニを隠すようにヴィンガルごと包み込む。紐を付け足し、ヴィンガルの胸の前で結んで固定する。


「セツナ?」


「保険。巻き込んだら大変だから」


 深呼吸をすると苦味が口に広がった。構わず集中して気をうねらせる。土地からの補助はほとんど得られないので体内にあるものだけでどうにかしなければならない。今まで制限していたのだからこの一度くらいなんとかなるだろう。なんとかさせなくては。


 渦が大きくなるごとに器がそれに合わせて戻っていく。


 手足が伸び、長い髪が靡く。その姿を初めて目にする少年が息を呑むのが聞こえた。


「悪いけど、足の一本ダメになるつもりでね!」


 目の前に立ち塞がる人壁に叫び、冷気を爆発させる。炎が奪う前に空気を凍らせ、熱気を覆うほど冷気を拡大。それを一瞬で何十と繰り返し、この空間の支配権を奪い取る。


 炎は鎮火し、暴走していた人々は気を失った。膝まで凍りついて直立したままの者もいる。


 ローニは己が吐いた白い息に目を丸めた。


「すごい、すごいよセツナ! すごい!」


 繰り返される言葉に笑い返す余裕もなかった。目がかすみ、足元から崩れる・・・


「セツナ? セツナ!?」




「ローニ!」


 凍っていた扉が開け放たれ、生じた亀裂が連鎖し内部の氷が全て割れていく。


 降り注ぐ破片の中で庭の主たる雄鶏に寄り添われ、雪乙女の衣を頭に被って座り込んでいた少年は、迎えに来た父と雪乙女の大事な人に振り返り、くしゃりと顔を歪める。


「とうさま、セツナが……とけちゃった……」


 そう言った少年の手のひらには、真珠のような氷の粒が一つ転がっていた。

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