概念工学部

貝袖 萵むら

部活動紹介

 概念を一つにはできない。

 突然申し訳ない。だが、聞いてもらいたい。


 概念を一つにはできない。


 だからこそ多視点が必要なのだが、それでも概念は一つにはならない。


 私は、「言葉は他の言葉でしか説明できない」と考えている。

 つまり他の言語、概念の要素を合わせることが必要不可欠であり、


 それらが一種のゲージのようなものとして並んでいると思った。


 大きさ、強さ、明るさとか動作的みたいなタグを

 パラメーターにしたやつ。


 そのゲージが上がるか下がるかは人次第。


 だから解釈の数だけグラフの割合は異なってくる。


 皆のイメージが揃う事はない。


 概念を一つにはできない。


 例えば、同じようなニュアンスの「綺麗」と「美しい」。


 だが、綺麗とは形容動詞、美しいは形容詞。


 意味も少し違う。



 綺麗は清らかさ、美しいは気品さを表しやすい。


 では、虎がシマウマを捕食する時、

 ある漫画の登場人物はその食物連鎖の様子に衝撃を受け感銘し「美しい」と言った。

 あなたなら綺麗と美しいのどちらを使うだろうか。


 この様子には気品さも清らかさも感じない。しかし、その無情な姿に美を感じたが為にイメージのパラメーターとは異なっていても、そのような分析をする。

 つまり、現代人の言葉がマジ卍やぴえん、やばいを多用する原因は、語学力ではない。語彙が増えたことと、概念が増え複雑化したからこそである。



 では、自分の彼女が髪を切ったとしたら、

「綺麗になったね」ではなく「雰囲気変わった」とか曖昧な言葉をかけるのも、

 関係性が全くないと断定できるだろうか。


 彼らは無意識のうちに高度な頭脳戦を行っている。

 地雷を踏まないようにと慎重な行動をするようになった。

 彼らはより言葉の可能性を考えられるようになったのかもしれない。


 だが、概念をここで定めておかなくては、

 多様性を重視したこの社会での様々な場所で、同じ言葉を使ってしまう言葉の多用性がますますの窮屈さを生んでしまう。


 では今度は「本を食べることはできますか」という質問があったとして、


 ここで考えるべきは本と食べるという二つの概念。


 本とは文字の羅列だけではなく辻褄を合わせた話や、

 主張をまとめたものだとする。


 食べるとは、口で物を噛み、管を通って、お腹で消化する動作だとする。


 定義より、本をパンで作れば食える。


 定義より、本をヤギに食べてもらってもいい。


 自然現象は概念に分ける事で、

 概念は定義を設ける事で、

 日常生活を作り上げてきた。


 2以上の自然数にするとか、分母に0はつかない事にするとか、


 共にパンを食べるからcompany(会社)とか、単に調味料でcurryとか、


 酸の陰とアルカリの陽を反応させてできたのを塩にするとか、


 急がば回れとか善は急げとか、


 市の無償提供行為は宗教行為で違憲とか、無断撮影は犯罪だとか、


 この時の一つ一つの定義づけが、豊かな学問を、世界を作ってきた。


 これらの定義づけはなくてはならないが、


「そう決め付けた」に過ぎないものもある。


 なぜなら定義と異なる場合に、

 これらの単語を使用するとまた概念は変わるから。


 美しくないものを美しいと言ってみたり、


 パンに小説をプリントしたものも本と言ってみたり。


 では概念とはどんな概念なんだろう。


 概念とは、定義づけたものの集合体だとする。


 では概念という果物があったら、


 概念という人間がいたら、


 概念の中に定義に反する事象もあるのなら、それは定義の集合体か。


 概念とは、なんだ。


 言葉とは、なんだ。


 私たちの使用する言葉を理解するのは思い込んだものに過ぎなく、


 生まれながら概念と工学に励む学生である私たちは、


 その概念の意味を考え続けなくてはならない。


 犯罪が起きて、犯人を捕まえて、でも犯人の家族に恨まれて、犯罪を考える。


 結婚して、子供が生まれて、離婚して、


 身勝手だが子供を生んだことを後悔したりもする。


 事象を正義と悪の二つに分類しなさい。


 事象を正解と不正解に分類しなさい。


 こう言われて戸惑うのは知能の低下などではない。



 この永久機関は我々に課せられた物だと言える。



 永久機関を生み出せぬようにしたから、時代は輪廻する永遠の機械。


 働くことは現実を生きる人間としての義務らしい。


 働くことをやめたがった権力者が戦争を起こしたことを不正解とする。


 では、戦争のないこの国は正解なのか。


 新型コロナウイルスの危機は、これらの概念に反事象として当てはまった。


 学校、職場、旅行、遊園地、飲食店、劇場、映画館、クラブ、ライブハウス。



 場所の意味を持つ様々な言葉の概念に、密を防ぐ要項が足された。


 私たちは以前より遥かにネットの中に生活を預けている。


 あの頃は街を見て、


 足音を聞いて、唐揚げを食べて、汗を嗅いで、誰かの手に触れていた。


 本日は光を見て、光を聞いて、光を食べて、光を嗅いで、光を触る。


 でもまだ光があったから、私は憶えることができた。


 そう答えられる日もいつか来る。


「その日の為に」でもいいし、


 何の目的も欲望もないとしても、


 現実を生きるしかない。



 私たちはその度に矛盾に頭を抱え、また新しい概念を見つける。


 自分を騙すもしくは納得させる言葉を見つけ出し心の棚に仕舞い込む。


 私たちは、考え続けなければならない現実の正しさを。




 正しいことが正しいのかということを。





 だからこうしよう。






 現実は正解とする。

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概念工学部 貝袖 萵むら @yumakureo

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