File.16 狂濤戦・弐 覚悟のカタチ
――わたしは、何も救えなかった。
七つの時に故郷は焼かれた。八つの時に家族が死んだ。今年だって幼馴染が刺されたし連れ去られた。わたしは手の届く所にいたはずなのに、結局何も出来なかった。無力な鴉は嘆くだけで、何も為せない無能だった。
……判っている。わたしは何も救えない。手を伸ばすには少女の姿では短過ぎて、駆け寄ろうにも人間の姿では間に合わない。救いたかった尽くが水のように零れ落ちて、わたしは静かに無力を呪う。
「……けれど、それでも。何も為せない、救えないわたしだとしても」
誰かは無駄と言うかもしれない。誰かは無謀と呼ぶかもしれない。助けを求める誰かがいたところで、わたしなんかより何倍も優秀な誰かに頼った方がいいことくらいは十分理解しているつもりだ。
「――それでも、手を伸ばさずにはいられないんだ」
――これは呪いだ。救済に囚われた鴉の我儘だ。幾度の挫折を重ねたところで、わたしは未だに諦められない。意地は執着へと変わり果て、信念は妄執へと成り果てて。例え何も出来ないとしても、何もしない理由になんてなり得ない。
「……待ってて。全部全部、わたしが救ってみせる」
鴉は駆ける。睨みつけるは黒き結界、きっと中は罠と敵で溢れている。けれど怯む余裕は無い、わたしに停滞なんて赦されない。思いっきりブーツを踏み込んで、わたしは暗き世界へ飛び込んだ。
『――ようこそ、
瞬間、銃声が鳴る――と同時に鋼の音を返す。予想通りに繰り出された鉛玉の不意討ちを短刀で弾き、敵影を把握するより先に大地を蹴り飛ばして距離を詰めて。
「邪魔だ」
マスケット銃を持つ腕を一閃、斬り飛ばさんと刃を振るう。けれどその目論見は甘いものだったらしく、その腕は斬撃の一つさえ通さなかった。防がれたというより通じなかったような感覚を受け、わたしは反撃が来る前に距離を取ってその敵を確認する。
「……なに、あれ。
――その姿は奇怪であった。目算で二メートル程のイギリスの兵隊を模したブリキの人形、それがわたしを銃撃した敵の正体。成程、金属だから刃が届かなかったのかと納得しながら、再び鋼鉄の敵に刃を向ける。
「……ま、相手が誰でも関係無いか。邪魔をするなら全部潰す、それがわたしの意味だから」
「――ごめんなさい、羽生さん。妖の関与の有無が分からない以上、
「……了解。貴女達にも貴女達の事情があるものね。ありがとう、また連絡するわ」
スマートフォンの向こうの少女の声に頷き、通話を切って嘆息。快い返事は貰えなかったと合流した二人に伝え、静かに夕焼け色の天を仰ぐ。
――
「
「三十分粘ったけど目撃情報は無し。例の結界以外には魔力妖力の痕跡も見当たらないねぇ」
「私の方も空振りですね。不審者情報みたいなのは沢山集まるんですが一貫性も無いですし、この中からアタリを探すのは無謀な気がします……」
「それ多分全部ハズレかブラフよ。……助力も得られなかったし、さっさと切り上げて救出に向かってもいいのだけど――」
言いながら遠くの山々に視線を映す。眼鏡を外した世界の先に映るのは、山の一部を包む闇色のドーム。俗に結界と呼ばれるソレは失踪の報せと共に発生が確認されたらしく、どうにもきな臭い――というより十中八九は罠だろう。ここに鳥谷の娘がいる、取り返せるものなら取り返してみろとばかりに煽る魔力の塊を視ると怒りを覚えるが、私は見え見えの罠に何の対策も無しに飛び込む猪ではない。ならば打てる手は打とうと思い立ったはいいが、結果はどれも空振り。否、敵が綿密な計画の元に動いている可能性が浮上した事を思えば得るものが無い訳ではないのかもしれないが。
「そういえば、相馬さんは結界に向かった妖がいるって言っていましたね。誰なのでしょうか」
「どうせ敵だと思うけどなぁ。中で僕達を待ち構えているような気がするけどぉ」
「……どうなのかしら。どうせ待ち構えるなら最初から結界の中で備えている気がするのだけど」
そう、得るものはゼロではない。些細な違和感さえ精査すれば少しは現状が見えるはず、そう信じて思考を回す。敵が遅れて待ち構えたとは考えられず、かと言って結界が発生してすぐに動く妖なんて町にはそうそういない。組織の形を取っているが故に腰の重い白部組の不関与の姿勢はついさっきの電話で把握済み。敵でもなく、白部の妖でもなく、それでいて迅速な行動に移れる妖、或いは妖力持ち。――嗚呼、嫌な予感がする。
「まさか、黒羽君が……?」
「……有希ぃ?」
「――計画変更。今すぐ突撃するわよ」
「――さっさと壊れろガラクタ!」
振り放った蹴りの一撃でようやく人形の顔面が崩落する。
「……やっと終わった。早く行かないと――」
――そして、戦いは未だ終わらない。進もうとした刹那、物料投下の如く次が空から降ってくる。目の前に降り立ったのは先刻倒したものと同じ見た目の兵隊人形。鉄の傀儡の増援を前に、わたしは再び刃を抜いて。
「……いや、構ってる暇はないか」
思い出す。わたしの目的はあくまで鳥谷の娘の救出、無論邪魔者は潰しておきたいが無理に相手取る必要は無い。敵は一体、武装は先の鉄屑と同じマスケット銃。鋼鉄は砕く道を選べば骨を折るが、数と攻撃範囲を見れば脅威度は然程でもない。動きさえ見切れば増援が来る前に抜け出せる、故に人形遊びに付き合う道理などない。
「踏み込め、わたし」
銃声に合わせて大地を蹴る。映画のアクションスターのように鉛玉をするりと躱し、小柄な体躯を活かして鉄屑の下を潜り抜ける。その瞬間に翡翠の襟巻きを人形の脚に絡み付け、
「『
そのまま
「よし、抜けた――」
『死ねと言っただろう、
――けれど、救済への距離は未だ遠く。男の声と共に目の前に現れた三体目の――否、いつの間にか私を取り囲む無数の
「あぁもぉ!コレじゃ全然進めない!」
向けられる銃器は蹴りで弾くが兵隊自体は揺るがない。この自律人形は一撃程度で崩れるような雑魚ではない、わたしの実力では一体を砕く間に増援がわらわらと増えるだろう。これでは一向に埒が明かない。
「本当しつこい!退いてよ、其処はわたしの道だ!」
叫んだところで戦況は変わらない。前方と後方から同時に放たれる銃弾を躱して同士討ちを狙おうと、あの錻力の兵には鉛の弾など決定打になり得ない。四方から絶え間無く張られる弾幕は短刀だけではいなし切れず、徐々にわたしのコートを切り裂いていく。
「クソっ、このままじゃ……!」
一点突破を図って再び兵隊の顔面を蹴飛ばすが、焦りから繰り出した右脚の一撃では微動だにしない。そして三度私を取り囲む銃弾が、遂に私の頬から赤の色を捉えるに至る。
「なん……のっ!」
――それでも、流血なんかでわたしは止まらない。踏んだ顔面にそのまま体重を乗せ、そして一気に飛び跳ねる。
そうだ、地上が駄目なら空を行け。二次元的に包囲したとてわたしは跳べる。こんな金属なんかを前に歩みを止められる程、わたしは諦めの良い性格ではないのだから。
『ようやく飛んだな』
「――はぇっ」
――瞬間、背後に影が忍び寄る。兵士の群れから逃げ延びるしか考えていなかった愚かなわたしを狙う狩人の影。振り返った時には既に遅く、巨大な人形が二つの凶器を手にわたしを狙う。
「……シンバル持った、おさる――」
そして潰す。シャーンという大音響と共に、巨大な金属が鴉を潰す。猿人形の巨躯が重ね合ったシンバルを離すと共に、ねばつく赤色がぼとりと血に落ちる。
―……あれ。いま、なに、されて―
「……ようやく死んだか」
身体は動かない。意識はあるけれど、もう指先一つさえ動かせない。
「全く、手間取らせたものだ。しかし君には感謝するよ、
誰かの声が聴こえるけれど、あまり良くは聞き取れない。さっきの楽器みたいな音が耳の奥でずっと響いて、声の方向さえ分からない。
「いやはや、流石は
けれど、分かる。コイツは多分敵だ。鳥谷の娘を利用している、赦してはならない害悪だ。
「……こ、の……!」
「おや、まだ生きていたか。しかしこの四肢も曲がりようでは二度と立てまい」
「黙って……!水鈴は何処……!」
声は出せる、けれど力は入らない。さっきの衝撃で骨どころか内臓も持っていかれた、きっとわたしはもう長くない。奴がわたしを放置しても、わたしは明日を迎える事なく力尽きる。
「水鈴?ああ、鳥谷の娘か。彼女には神化論の核として頑張って貰っているんだ、その成果が少女を圧倒したコレだよ」
――だから、せめて情報を引き出さなければ。無力なわたしが死んでもきっと他の退魔士か妖が何とかしてくれる。指さえ動けばきっと次の誰かに繋げられる。頭の回る人ならば、きっとわたしの死を踏み台に進んでいける。
「……生きてるの」
「生きているさ、少なくとも今はな。とはいえ
「ふざ……けないで……!」
赦せない。けれどどうする事も出来ない。だからわたしは託す。そうだ、有希達は聡いからきっと気付いて彼女を救ってくれる。日辻も望も気に食わないけれど、二人も莫迦ではないからきっと繋いでくれる。救えないわたしのかわりに、きっと。
「……すく、えない?」
「……言いたい事はそれだけか?」
そうだ。わたしは救えなかった。里の皆も、家族も救えなかった。心を壊してのうのうと生き延びて、それでもわたしはずっと無力で。有希の力になりたいと願ったところで、見ず知らずの少女を助けると走ったところで結果はこれ。こんな事になるのなら、あの時に自分も後を追っておけばよかったかも、なんて。
――ねぇ、聞こえる?――
「……だれ」
「ハハハ、もう意識も混濁してきたか。そうだな、手向けにもう一撃くれてやろう」
そうだ、わたしは無力だ。何も救えないんだ。
―ねぇ、誰か聞いて、お願い……!―
「……うるさい。なにもできないんだって」
「兵士達、狙撃構え」
何も出来ない、何も為せない。愚かで弱くて無様なわたし。
―嫌だよ、ボクは、もう苦しみたいないのに……!―
「……あぁ、もぉ」
「撃て」
―誰か、助けて……!―
「『
肉塊を穿たんと放たれた銃弾、けれどそれは全て命中しなかった。刹那として吹いた突風が、血肉を護るかのように鉛の一撃を逸らしたのだ。
「も、もう一度だ!兵士、構え――」
「無駄だよ」
声を前に動揺が走る。あの調子に乗った事ばかり宣っていた声の主――モノクルの壮年を視認して、血塗れの鴉は折れた腕を地面に付ける。
「な、何故だ!?お前は猿のシンバルに潰されたハズだ、もう一歩たりとも動けないハズだ!並の退魔士より才能も無い半端者如きが、何も出来なかった無力な貴様が、どうして生きているのだ……!」
「――煩い。だから、何だって言うんだ」
「……は」
――ぼろぼろの身体を無理に持ち上げる。もう動くなと警鐘を鳴らす身体、もう動けないと軋む骨。喧しい音に無視を決め込んで、敵意を胸に害悪を睨む。
「半端だから何、無力だから何。才能無いとか何も出来ないとか、そんな事お前等に言われなくても自分が一番知ってるさ」
――ならば立て。鮮血流して両の脚で大地を踏め。今にも倒れそうな少女の
「……けれど、『何も出来ない』と『何もしない』は違う。確かに僕は無力だけど、無力を言い訳にする腑抜けじゃない。為すべき事を為す為なら、僕は何だってやってみせる」
矜持なんて意味は無い。誇りなんて食えはしない。信念なんてただの枷。全を捨てて立ち上がり、穿つ為の一を抱く。
「……弱い奴ほどよく吠えるとはこの事か」
「吠えなきゃ伝わんないでしょ、莫迦には」
深紫の長髪が風に揺らぐ。其処には無力な少女の姿は無く、ただ戦渦に立つ半妖が在るのみ。血色の拳を敵に真っ直ぐと向け、鋭い瞳で敵意を示す。
「さてと。意地の張り方、教えてやるよ」
――さぁ、進め。あの時聴こえた声の為に、死にかけの命を燃やすんだ。
「ど、どうせ虚勢だ!兵士よ、撃て!」
「だから無駄だって」
火薬の匂いと共に鳴る銃声、けれど放たれた瞬間には既に鴉は射程の外。既に砕けた脚で踏み込み、血色に汚れた拳を一体の錻力に振り被る。
「馬鹿め!そんな拳など鋼鉄の身体に効くものか!その腕、今度こそ使い物にならなくしてやれ!」
いつの間にか安全圏に避難した男の声など届きはしない。銃を向ける兵士の腕を足場にして、冷静に鋭い一撃を狙う。
――もう弱い『わたし』じゃない。『僕』を縛る鎖は無い。覚悟と意地を備えたならば、こんな人形如きでは止まらない。今の僕は、もう誰にも止められない!
「――『
瞬間、放った拳で木偶が地に沈む。暴風の音と共に穿つ一撃は先のそれより速く鋭く、まるで砲弾を喰らわせたかのように金属を破砕した。
「風の妖力……!?貴様、やはり妖か!」
「――うん、思ったより効いたかな」
「た、たかが力が増しただけだ!人形の兵は死なぬのだ!貴様も直に見たであろう、多少砕けたところで何度も立ち上がるのだ!このように――」
男は嗤う。そう、男の話を信じるならばあの人形を動かしているのは〈人形操作〉の魔力だろう。その供給がある限り、どれだけ傷付こうとも原型さえ留めていれば再び動く。現に最初に顔を砕いた兵隊だって、ダメージなど存在しないかのように戦闘を続行していた。
「……この、よう、に?」
「あはっ。成程、想定以上だ」
――けれど、この人形は動かない。凹んだ顔面は未だ原型を残しているが、糸が切れたかのようにぴたりと停止したままだ。魔力さえあれば動く錻力が止まる、その事実に壮年の思考が止まる。
「――さぁ、次!」
「……マグレだ!ただ当たりどころが悪かっただけだ!兵士よ、そのガキを殺せ!」
男の号令に兵隊達が取り囲む。銃撃を、或いは鋼鉄の掌による拘束を試みるが、その全てが虚しく空を切る。風の速度を乗せて舞うように駆ける鴉は、妖力を重ねた蹴りを二匹目の鋼鉄に喰らわせ、先と同様に停止させる。
「……見間違いでは無い、のか。あの妖力の風を喰らった箇所から、魔力の供給が切断されている」
呆ける男の呟きに構う事無く、鉄騎の群れを次々穿つ。一撃、二撃。拳を、脚を振るう度に
「あり得ない!魔力妖力を祓う力を持つ妖は、とうの昔に絶滅している……!」
「――ふふっ」
止まらない。止められない。不死の木偶も再起能わず、錆びずの鋼も二度立たず。穿つ鴉を前にしては、案山子の役さえ釣り合わない。
「あははっ――」
紫の影が戦地に舞う。踏み込む脚で鉄を割り、破砕の音を背に敵を砕く。一騎当千、万夫不当。暴風と鮮血を散らして踊る、少女の
「――よし、全滅!」
「……まさか、
――否。その半妖は夜峰の血筋だが夜峰に非ず。無力な鴉天狗への未練はつい先程決別した。其処に立つのは、新たな名を冠する決意の半妖。
「……さて、あとはお前だけだね」
「ひぃっ!?」
積み上げた鉄屑の玉座に腰掛け、半狂乱のモノクルを睨む。狂気に圧された壮年の顔は年齢以上に老け込み、古い洗濯機のように震え上がる。
「わ、私を殺しても鳥谷の娘は帰らないぞ!だ、だから見逃して――」
「……はぁ、言いたい事はそれで終わり?」
がしり。小さな掌で男の顔を掴む。何かうわ言のようにぶつぶつ喋っているが中身なんてどうでもいい。コイツを倒したところで彼女を救えるワケではないが、水鈴を嘲った報いは受けさせる。
「た、たすけ」
「『
風を重ねた一撃が害悪を地面に叩き付ける。アスファルトの大地を穿つ程の暴風の余波が、黒羽 凪の勝利を告げるかのように吹き荒れた。
「……けほっ。どうだ、見たか。僕は、わたしは、強い、から……」
――そして、勝者の身体もくらりと揺れる。大量の出血、ぼろぼろの骨とぐちゃぐちゃの内臓を無理に動かした代償は決して無視出来るものではなく、永遠の眠りへと鴉を導く。
「……だめ。僕は、まだ救ってないのに――」
「――いいえ、貴女は助けてくれたわ、黒羽君」
鴉の半妖は瞳を閉じる。倒れ込む身体はぼこぼこのアスファルトに達する事は無く、細い腕にふわりと吸い込まれる。
「……そっか。あんなに妖力を戦闘に使う事を躊躇っていた貴女も、覚悟を持って戦ったのね」
隣の少年にぼろぼろの鴉を預け、少女を支えた巫女は立ち上がる。眼鏡の奥に揺れる赤珊瑚の瞳で、広がる結界を睨み立つ。
「――交代よ。私だって、覚悟は決めたから」
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