第5話 巡検の王命
城に戻るとマーリンが城門まで僕を迎えに来ていて、早く早く、と僕を急かした。
「どうしたんだい? マーリンばかりがそんなに慌てていても、僕には事情がさっぱり分からない」
「王の使いが来ているの。兄様に王の命令が下っているそうよ」
それは急がなければ、とさすがに僕も焦ったのだけど、ふとマーリンと一緒に小走りだった足を止めた。
「で、僕は何をすればいいんだろう?」
焦り過ぎて頭の中が真っ白になった僕の質問に、マーリンの顔から一瞬、表情がなくなった。
「ちゃんと着替えて準備して、使者に会うのよ、今すぐに!」
城中に響き渡るような声でマーリンは思い切り僕を怒鳴った。
王の使者に聞こえたらどう思われるだろう? なんてことは、僕が絶対に口にしてはいけないことだ。真っ赤に頬を膨らませてプンプン怒るマーリンの顔を見れば一目瞭然。
怒鳴られてキンキンする耳を抑えながら正装に着替え、僕は謁見の間に急いだ。
途中、廻廊の窓から中庭を見ると、そこに馬が繋がれていた。
馬。
竜が変化したものではなく、生まれつきの本当の馬だ。近くで見てみたいと思ったけど、後ろから来たマーリンに背中を叩かれた。
「兄様、足を止めないで! 大丈夫、いつものように私がいるから」
マーリンは頼りない兄であるところの僕の政務をいつも補佐してくれる。けれどどこかスパルタで、僕はたまに蹴飛ばされたりもする。
蜂蜜色のやわらかな長い髪に澄んだ水色の瞳。細く長い手足は纏うドレスをより優雅に見せている。まるで天使の様なその容姿に似合わず、マーリンが繰り出す攻撃はやけに鋭い。
「私が実力行使するのは兄様だけよ」
にっこり笑うマーリンはとても可愛いけれど、言っていることはぜんぜん可愛くない。いずれラジルもこの鉄拳を受けることになるのかと思うと、我が友人ながら不憫になる。
……それとも本気で、僕だけ、なのかな。
謁見の間に着き、侍従が扉を開く前、僕は軽く深呼吸した。何があっても平常心。そう、自分に言い聞かせる。
音も立てずに扉は開かれ、僕は領主の座に着席した。
王の使者、というわりに、見るからに武人の使者は二人いた。外には騎兵の部下を十数人連れてきているそうだ。
「王からの命令をお伝えします。水令の領主ステファウヌス様におかれましては、直ちに国境の巡検に出向くように、とのことです」
「それは家臣の誰かを派遣するのでなく、領主である僕自身が行け、という命令でしょうか」
「領主にしかない能力があるかと。王はそれを期待しております」
違法な魔法使いを見つけてこいということか。まさか今さら竜討伐なんて命令は下らないよな、などと思いながら、承諾の意思を使者に伝えた。
使者はそれだけ伝えるとすぐに城を発つと言った。他に用事があるそうだ。王の使いというのも忙しそうだ。
僕とマーリンは並んで城門の上に立ち、使者たちを見送った。
使者たちは馬に乗り、城から去っていく。護衛の部下が身に着けている鎧や剣のぶつかり合う音や馬の蹄鉄の音が石畳に響いて、まるで軍隊のようだった。
――赤い夕焼け、まるで血のような。
一瞬の錯覚。僕の視界が赤く、染まった。
今は、昼だ。青く晴れた空に白い雲が浮かんでいる。
師匠のところから走ってきたから、ちょっと眩暈か貧血を起こしたのかな。
そんなことを思っていると、マーリンが僕に尋ねてきた。珍しく心配そうな顔。
「巡検の命令、兄様が受けたのはこれが初めてよね。すぐに行かなければならないの?」
「王の云う国境は竜の領土との境のことだから、ここから三日はかかる。現地で様子を見るのに五日ほど、帰りの道程も考えて、それから王に報告するとして、そんなにのんびりとはしていられない」
「そう、じゃあもう準備を始めないといけないわね」
「これも領主の仕事の内。巡検、なんていわれなければデューイでひとっ飛びなんだけど」
最後の僕の一言は、マーリンに睨まれた。
「僕が留守の間はマーリンがうまくやってくれるんだろう? 僕はこれから誰を連れていくか選んで、今日中に巡検師団を編成するよ。明後日には出発だ」
ラジルを連れて行ってもいいよね? そう云って僕はマーリンより一足早く城の階段を駆け下りた。
友人のラジルは階段を下りた廊下の先、将校の間にいるはずだ。
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