第9話

 暫く道なりに歩いていると、紗雪が話しかけてきた。


「それにしても、まだ子供の二人を残して海外に行くなんて、親の行動とは思えないのだけど。普通、あなたと妹さんも一緒に連れていくのが正常な判断じゃないかしら?」


 紗雪の疑問に太一は力強く頷く。


「そうだよな。俺もそう思う。でも、夏月の両親がとても良くしてくれてさ」

「夏月って……星野さんのこと?」

「そう。あいつとは小さい頃から家族ぐるみの付き合いをしてて。だからなのかな。仕事の都合で海外に行かないといけないってなった時に、夏月が提案してくれたんだ。俺と美帆の面倒は星野家で見るって」

「随分気前の良い話ね」

「そりゃ、最初は俺も悪いって思った。でも美帆は中学生になったばかりで。周りに知っている子が急にいなくなるのって、結構辛いんじゃないかなって思って。だから夏月の両親に甘えることにした。流石にすべてを頼るのは申し訳なかったから、美帆と二人でできる範囲のことをやろうって決めたけど」


 太一は紗雪に視線を向ける。紗雪は俯きながら歩いていた。先程までと違う雰囲気に、何か変なことを言ったのかなと思った。


「森川?」

「……妹思いなのね」


 紗雪は笑みを見せるも、その目は笑ってはいなかった。話題を変えようと思った太一は、思い浮かんだ疑問をぶつける。


「それより、森川はどうして家の場所知ってたんだ?」

「手塚君に聞いた」


 あっさりと白状した紗雪が口にした名前を聞いて、太一は納得してしまった。手塚なら言いかねないと。


「明日もあなたの家に迎えに行くわ」

「えっ、それは森川に悪いから。俺が行くよ」

「いいの。私の家、電車に乗らないといけないし、あなたの家は通学路沿いにあるのだから」

「そ、そうか。なんか、ごめん」

「別にいいの。私達、付き合ってるのだから」


 紗雪は「ふり」とは言わなかった。偽ってまでも本当の彼女になりきるつもりみたいだ。

 そんな紗雪のことが気になって仕方がなかった。どうして自分にそこまで肩入れするのか。お互いにとって悪くないと言っても、付き合っているふりをしてまですることなのか。


 ――今は言えない。


 昨日、紗雪は明確な答えを言ってくれなかった。時期が来れば言ってくれるのか。それはこの偽りの関係をまっとうした時なのか。


「月岡に森川。今日は二人揃っての登校か」


 聞きなれた声に、太一は思考の海から引きずり出される。気づいたら家から十分の距離にある堀風高校正門前に来ていた。


「高野先生。おはようございます」


 紗雪が律儀に挨拶をする。高野先生はすかさず太一に視線を移した。


「お、おはようございます」

「おはよう。君は先生に対して挨拶もしないのかと思ってたよ」


 太一の肩をバシッと叩いた高野先生は朝から元気だった。


「そうだ、月岡。今日の昼休み、時間あるか?」

「ありますけど」

「君に話しておきたいことがある。空けといてくれ」


 高野先生は太一から視線をそらし、自らの業務に戻っていった。


「行きましょう」

「お、おう」


 紗雪と一緒に正門をくぐり抜け、昇降口へとたどり着いた。靴を履き替え、太一と紗雪は教室へと向かう。階段を上って二年生の教室が連なる階まで来たとき、太一の前を歩いていた紗雪が足を止めて振り返った。


「とりあえず、まずは私とあなたの関係をクラスに広めるから」

「広めるって……どうするんだよ?」


 太一の疑問に紗雪は何も答えてはくれなかった。そして教室前までたどり着いた時、紗雪が起こした大胆な行動にその答えはあった。


「えっ、ちょっと……」


 いきなり紗雪が手を握ってきた。突然のことに太一は動揺を隠せない。そんな太一を気にも留めず、紗雪は教室のドアを開けた。


「あ、おはよう。森川さん」

「おはよう」


 紗雪に話しかけたのはドア付近にいたクラスの女子だった。簡単に挨拶を交わした紗雪はゆっくりと教室に入っていく。そんな紗雪と手をつないだままの太一は、紗雪に引っ張られる形で教室に入った。

 太一が教室に入ってすぐに異変が起こった。教室内に広がっていた喧騒が徐々におさまっていき、教室にいた生徒の視線が一斉に太一と紗雪に注がれる。当然、皆が見ているのは繋がれている手だった。


「えっ……嘘……」

「どうして二人が……」

「おいおい、どういうことだよ」

「手、手」


 クラスメイトが太一と紗雪の関係を模索し始める。周囲の状況を見回して、太一は紗雪の広めると言っていた意味をようやく理解した。手を繋いでいる男女を見たら、付き合っていると思うのは至極当然の考え。今の太一と紗雪の関係は、誰が見ても付き合っていると思わせる状況を作り出していた。

 彼女がいる。そう皆に思わせたことがわかり、頬が熱くなるのを感じた。


「月岡君、またお昼に」


 そんな太一に追い打ちをかけるように紗雪が微笑みながら告げると、握っていた太一の手を離し、そのまま自分の席へと向かって行った。

 太一は紗雪が席に座るまでその場を動けなかった。視線を紗雪から自分の手に移す。手には紗雪の温もりが残っている。

 クラスメイトの前で手を繋いだ。その事実が太一の胸の鼓動を早くしていた。


「ちょっと森川さん。どういうこと?」


 先程、紗雪に挨拶をした女子が真意を聞こうと紗雪に詰め寄る。それを境にクラスの女子が一斉に紗雪の元へと駆け寄っていく。

 そんな光景を横目に、太一は自分の席に腰を下ろした。


「朝から大胆だな」

「……手塚、お前。森川に俺の家教えただろ」

「悪いな。森川さんから珍しく質問されたから、ついな」


 ケラケラと笑う手塚に太一は大きくため息を吐く。


「おかげで今日は朝から大変だったんだぞ。家の前で森川がずっと待ってて」

「でも、お前ら付き合うことになったんだろ?」

「……そうだけど」

「クラスの男子はみんなお前に嫉妬してるぞ」


 席に着いた時から、太一は教室に漂う変な空気を感じていた。女子はともかく、ほとんどの男子は睨みつけるような視線を太一に向けていたから。


「そもそも柊さんと付き合って別れたって話だけでも驚くことなのに、今度はあの森川さんと付き合うなんてな。学年二大美女と言われてる二人の心を、一回でも鷲掴みにしてるんだ。暫くお前は男の敵だな」


 そう言った手塚は太一の肩をポンッと叩くと、自分の席へと戻っていった。

 教室は相変わらず女子の喧騒で溢れかえっている。そんな中、太一に声をかけてきたのは夏月だった。


「嘘……だよね? 紗雪ちゃんと付き合うなんて……」


 神妙な顔つきに太一は付き合ってないと答えたくなった。でも昨日の出来事を太一は思い出す。紗雪は本気でボンドを否定したいと言っていた。実際に昨日の朝とは違った空気が教室内に流れている。紗雪の起こした行動は、太一がゼロ型という意識をそらすためなのかもしれない。頭の良い紗雪ならそこまで考えているのではと太一は思う。


「……本当だよ。俺と森川は付き合い始めた」


 だからこそ、太一は紗雪と付き合っていることを夏月に告げた。このまま二人が得をする方向に進めるのなら。今はそれが最善だと太一は思うから。


「私は……私は絶対に認めない」


 夏月の声に呼応するように、今度は紗雪の席の方から別の声が上がった。


「うそー。ゼロ型と付き合うって本当?」


 紗雪にそう告げたのは有香だった。


「月岡と付き合うなんて未来ないよ。だってあいつ、柊さんに振られたんでしょ。柊さんも月岡がゼロ型だってわかったから振ったんだよ」


 有香の一言を引き金に、男子だけでなく女子の視線も太一に向けられた。太一は思わず顔をそらしてしまう。


「そういえば、月岡はゼロ型だっけ」

「誰とも結ばれないのに……」

「紗雪ちゃん、付き合うのやめた方がいいよ」


 クラスメイトの会話が、付き合っているという話題からボンドの話に変わった。有香の作った空気に太一は思わず息を呑む。


「紗雪も早く別れなって」


 紗雪の肩に手を置いた有香は笑みを見せていた。有香の態度に誰も反対しようとしない。クラスでカースト上位に位置する有香に噛みつくと、自分にも被害が及ぶと思っている人が多いのかもしれない。それでもそんな有香の発言に噛みついたのは夏月だった。


「ちょっと、流石に酷くない?」


 夏月は有香の方へと歩み寄る。


「何? 文句でもあるの?」

「だいたい、どうしてゼロ型だから別れないといけないの? ボンドで恋愛を決められるのっておかしいよ」


 夏月の言葉に太一は共感を覚えた。太一自身ずっと思っていたことだ。ボンドによって異性との相性の良さが目に見えるようになった。でも恋愛の全てがボンドで決まると断言するのはおかしい。

 有香は夏月のことを鼻で笑った。


「よくそんなこと言えるね。ボンドを見つけて日本中に広めたの、夏月のお父さんだよね。もしかして、お父さんの研究を身内である夏月が否定しちゃうの?」

「ち、違う……」

「それじゃ、夏月は月岡のことが好きなの?」

「そ、それは……」


 夏月は有香の指摘に答えることができず、言葉に詰まった。有香に言われた言葉を意識したのか、夏月の頬はみるみる赤くなっていく。

 太一は我慢できなかった。夏月が自分を庇う理由を知っているから。太一は席を立つと有香に向かって言った。


「俺と夏月は幼馴染なんだ。夏月とは家族ぐるみの付き合いをしてる。だから夏月は俺を庇ってくれたんだと思う。好きとかそんなことないから」


 もっと言葉があったはずなのに、太一は上手く言葉を紡ぐことができなかった。視線を夏月に向ける。夏月は俯いたままで笑顔を見せてはくれなかった。


「お前ら、席につけ」


 重たい空気を振り払うように、高野先生が教室に声を轟かせた。クラスメイトが一斉に自分の席へと戻る。席に着いた太一は、紗雪へと視線を向けた。紗雪は何事もなかったかのように、高野先生に視線を向けている。有香の発言は気にしていないみたいだった。

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