2章

第8話

「お兄ちゃん、朝だよ。早く起きて」


 布団を美帆にはぎとられた太一は、眠たい目をこすりながら体を起こす。


「おはよう。美帆」

「うん。おはよう、お兄ちゃん」


 昨日のことなどなかったように振る舞う美帆の態度に、太一はほっと息を吐く。大きく伸びをして、壁に掛かっている時計を見る。


「あれ、まだ七時だぞ。いつも七時半に起きてるのに」

「うん。そうなんだけど……お兄ちゃん、森川さんって知ってる?」

「森川って、クラスに二人いるけど」

「たしか紗雪さん……だったかな」

「知ってるけど、どうして美帆がその名前を?」

「外で紗雪さんが待ってるの」

「えっ!」


 太一は咄嗟に窓の外を眺める。美帆の言う通り、家の前には紗雪がいた。本に目を通して誰か……無論、太一を待っているようだ。


「美人な彼女さんだね。てっきり私、お兄ちゃん振られたのかと思ってた」

「ち、ちが……」


 口から出かかっていた否定の言葉を飲み込む。昨日美帆についた嘘に信憑性を持たせるには、ここで認めるのが最適だと思った。


「……そうだろ。それに森川は学年トップの成績の持ち主で、全国模試でも十位以内に入るくらい頭が良い」

「ふーん。そうなんだ」


 素っ気ない態度を取る美帆。もっと驚いてくれると思っていた太一は、肩透かしを食らった気分になる。


「そんなことより、女の子を待たせるなんて。お兄ちゃん最低」

「ち、違うって。そもそも、森川が来るなんて聞いてなくて」

「……ふーん」


 太一の発言を訝しむように美帆はジト目を向けてくる。美帆からの信頼は、まだ十分に回復していないみたいだ。


「とりあえず紗雪さんには、お兄ちゃんがまだ寝てることを伝えてあるから。早く支度して迎えに行ってあげなさい」


 美帆はそう言うと、部屋から出て行った。

 太一はスマホを手に取り、紗雪にメッセージを送る。いくら約束をしてなかったとはいえ、女子を待たせるわけにはいかない。身支度を整えた太一は、直ぐに家を出た。視界に本を読み続ける紗雪の姿が入る。


「も、森川」


 太一の呼びかけに、紗雪は持っていた本を閉じると、ゆっくりと顔を上げた。


「おはよう。月岡君」

「お、おはよう」


 挨拶を交わしただけなのに、どこかぎこちなさを覚える。


「来るなら連絡くらいしてくれよ」

「私、あなたの連絡先を知らなかった。さっき連絡がくるまでは」


 紗雪に言われ、太一は気づく。連絡先をもらってから今朝まで、紗雪と一度も連絡を取っていないことに。


「そうだった……ごめん」

「いえ。私の方こそごめんなさい。約束もしないで勝手に来てしまって。ただ、彼女としてあなたと一緒に登校したかったの」


 紗雪の発言に太一は胸が高鳴った。


「で、でも、俺達は付き合ってるふりをするだけだぞ?」

「それはわかってる。でも周囲に認めさせるには、本当の彼女がする行動をしないといけないと私は思う」


 そろそろ行きましょう。と言った紗雪は太一の先を歩き始めた。太一がその後を追いかけようとした瞬間、家のドアが勢いよく開く。中から美帆が出てきた。


「お兄ちゃん。お弁当忘れてる」


 太一の元に駆け寄ってきた美帆は、持っていたお弁当を太一の胸に突き付ける。


「ありがと、美帆」

「……今日はから揚げ入ってないんだから」


 そう言い残した美帆は、太一よりさらに遠くに離れた紗雪を一瞥すると、律儀にお辞儀をしてから家へと戻っていった。


「妹さん?」


 気づいたら紗雪が近くまで来ていた。


「ああ」

「可愛い妹さんね」

「そんなことないよ。いつも口うるさくて、疲れちゃう」


 昨日の出来事を太一は思い出す。


「でも言うほど嫌な顔してないわね」

「そ、それは美帆とは血のつながった家族だし、二人で暮らしはじめてもう二年経つから。慣れ……かな」


 太一の言葉を聞いた紗雪は、ばつの悪そうな表情を晒す。


「ごめんなさい。私、変なことを聞いてしまったかも」


 俯いた紗雪を見た太一は、紗雪の謝罪を否定した。


「二人で暮らしてるのは、両親が海外で仕事をしてるからで。別に何か不幸があったわけじゃないから」

「……そう。ならよかったわ」


 紗雪は安堵の表情を見せると、ゆっくりと歩き出した。太一も紗雪と並ぶようにして通学路を歩いて行く。いつもは一人で学校に向かう通学路。でも、今日は隣に紗雪がいる。周りからみたら彼氏彼女と思われてもおかしくない。そんな状況に太一は少し顔が熱くなった。

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