醜悪・悪臭・汚濁
鼻をつんざくような腐臭を感じ、男は目を覚ました。全き視界を包む完全な黒に、驚愕の色を浮かべ、跳ぶようにして立ち上がり、方々を見廻す。
彼の狼狽も無理はない。数瞬までニンゲンだった彼は、スマートフォンで暇を潰し、マッチングアプリで性欲を解消するごく普通の大学生だった。彼は文明の人だったのだ。
ところが、この暗闇の演出は、イルミネーションの意図的な消灯によるものではなく、ごく自然的な洞窟の遮光によるものであった。彼の安心を担保する豆電球の暖色の灯りは、今や岩肌の陰鬱な黒へと変じてしまったのだ。
周囲が視認できるほど闇に慣れてきた男。彼の目は敏く、大きな穴を一様の壁面に見出す。外側から木の板のようなもので塞がれた穴。それが、この部屋を密室たらしめているのだ。いざ穴の方へと片足を繰り出す。
矢先、周囲の異常性に拡散した彼の意識が、自己の異常性へと瞬く間に集中した。
それは手からだったか足からだったか、彼は最早覚えてはいない。しかし、それは確実に彼を襲った。違和感は、恐怖の好奇心を駆り立てる。好奇の外力に抗する理性。悪臭が鼻腔を刺激し、鼓膜の奥がズキズキと痛み、口腔で固唾を形成する。理性がキリキリと悲鳴を上げる。次の瞬間、理性は唾と一緒に咽頭を通過した。
果たして、彼はケダモノだった。緑の体色、不細工な手足に、伸び切って尖ったツメ。彼の首を支えるようにしてある、醜く穢らわしいこの身体はいったい誰のものか。それを察した彼の絶望とともに、醜怪な相貌が歪み、膝から力が抜ける。悔しさに歯噛みする男。その剥き出しになった歯は、肉食性の鋭さで、彼の獣性を象徴しているのだ。
◇
洞窟には彼と似た相貌をしたケダモノがいた。つまるところ、洞窟は彼らの住処なのだ。その中の一匹、際立って恰幅の良い個体が洞窟を所在なげにうろつく。ゴブリンだ。男は鏡像を見るようにして、自己についてそう得心したのである。
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