5章 奪還 - 3

 今のこの状況を、数日前の僕に説明したところで、絶対に信じはしないだろう。たぶん数日前の僕からしてみれば、たった数十時間で僕の頭が危険なドラッグか何かに犯されたと考えるほうがいくらか合理的で論理的に違いない。だって僕自身、今のこの状況に確かな現実味を抱くことが難しいのだから。

 僕は今、背中にセッテを担ぎ、死ぬ寸前まで殴りつけた保安官に拳銃を突き付け、取り囲んだ保安官たちに数えきれないほどの銃口を向けられている。妙な動きをすれば殺すぞ、と僕は喉を切り裂く勢いで叫ぶ。

 保安官を人質にするという僕のアイデアは、安直だが確かな効果を生んでいた。本来なら姿を見せた瞬間に銃殺されても不思議ではないはずだが、少なくとも引き金が引かれるのを先延ばしにすることには成功しているようだった。


「殺すぞっ! 一歩でも動いてみろっ! ぶち殺してやるっ!」


 僕は半ば錯乱したような雰囲気で周囲に凄み続ける。こういう強い言葉は僕がこれまでなるべく避けてきたものなので、レパートリーはなかった。とにかく殺すと叫び続けた。やがて喉の奥が本当に裂け、苦い血の味が広がった。

 じりじりと移動する僕の歩みは遅かった。セッテを担いでいるのもあったし、痛みも失血も既に限界を迎えていた。僕はただ気力だけで、辛うじて立っていた。


「大人しく投降しろ! これ以上、罪を重ねても何にもならないぞ!」


 拡声器で声が響く。僕は内心で嘲るように笑う。何にもならない。そんなことは十二分に承知している。だが損とか得とか、善とか悪とかとか、そういう問題ではない。多くの人を巻き込んでしまったが、これは僕だけの、あるいは僕とカレン、僕とセッテの問題なのだ。

 勝手だとは思う。だがどうせ僕は勝手な人間だ。今更治らないし、ここで曲げるつもりもない。


「黙れっ! 殺すぞっ! 道を開けろっ! 道を――――――――――――ふぁ?」


 僕の太腿を、鋭い痛みが貫いた。視界が傾いた。頬を打つ固い衝撃。受け身も取れずに倒れ込んだのだと気が付いた。


「うあああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」


 激痛が全身を駆け巡る。さっきあれほどの痛みを味わったというのに、まだ痛みを感じられる神経が生きていることに驚いた。

 どうやら狙撃だった。僕の斜め後ろのビルか何かから正確無比に発射された弾丸は、人質の保安官もセッテも傷つけることなく、僕の太腿を貫いたのだ。


「確保っ! 確保ぉっ!」


 怒号が飛び交う。アスファルトを無数の足音が慌ただしく叩き、僕へと迫る。

 僕は終わりを覚悟する。ここまでか。結局セッテには何も聞くことができなかった。ただそれだけのことでさえ、僕には成し遂げられなかった。

 悔し涙で視界がぼやける。怒号が、悲鳴へと変わった。ぼやけた目の前に大きい何かが滑り込んできて、押し寄せる保安官たちを蹴散らして止まった。


「ナナオ、無事か!」


 頬を叩かれる。油臭い袖口で強引に視界が拭われる。

 鮮明になった世界の真ん中で、トムが白い歯を見せて笑っていた。


「…………トム?」

「おう、トムだよ。ったく心配かけやがってっ!」

「なんで……?」

「事情の説明は後だ。動けるか?」

「脚を撃たれた……」

「見りゃ分かる。気合いでなんとかしろ。俺はお前のガールフレンドを運ぶ」


 トムが僕を抱き起こす。目の前にはヒートライドが停まっていた。上部にあるハッチからは銃火器を持ったワンフーが保安官たちに応戦している。それ以外にもあちこちで銃声が響き、ヒートライドの装甲に火花が散る。

 僕は飛び込むようにヒートライドのなかへ。続いてセッテを担いだトムが乗ってくる。ヒートライドの周囲で銃撃戦を繰り広げていた採掘課のメンバーも休むことなく引き金を引いて牽制しながら車輌へと戻ってくる。


「行け! 発進しろっ!」


 全員が乗り込んだことを確認したトムの掛け声でヒートライドが走り出す。保安官たちは押し退けられるように散り、包囲網の切れ目をヒートライドが蹂躙するように通過する。


「ワンさん、こいつを止血してやってくれ!」


 ワンフーはハッチから顔を引っ込め、治療キットを棚から引っ手繰る。手際よくキットを広げ、太腿の傷口から洗浄していく。食いしばった歯の隙間から、情けない呻き声が漏れた。


「銃弾は貫通しているな」

「ワンさんまで……ぐっ…………一体どうしてですか」

「頭を下げられた」

「……頭?」

「友人のピンチだと頭を下げられた」


 ワンフーはちらとトムを見やる。トムは小窓から追跡してくるホバーパトを伺い、ハッチから迎撃している採掘課の男に指示を飛ばしている。


「そんなことで――――――ぅぐっ」


 たったそれだけのことで、犯罪の片棒を担ぐんですか。僕は言いかけて言葉を呑む。惨たらしく穴の開いた太腿に、鎮痛剤が突き刺さっていた。


「元々、ここに送り込まれた俺たちは社会の爪弾き者だ。だが、爪弾き者には爪弾き者なりに、守ってきた矜持がある。だが来てよかった。最後の最後で追いつくことができたのだから」


 ワンフーは静かに言う。最後の方は意味が分からなかったが、彼なりの何かがあるのだろう。ゆっくりと並べられた硬質な言葉には、ウフキルの言葉に似た凄みが感じられた。僕は呑み込んだ言葉の代わりに頭を下げた。痛みはいつの間にか遠退いていた。


「……ありがとうございます」

「気にするな。本来はこっちが本業だ。このほうが肌に馴染む」


 ワンフーは小銃を担ぎ、応戦する部下に代わるよう言ってハッチに出て行く。本来の指揮官と入れ違いにトムが僕のところへ戻ってきて、隣りに腰を下ろす。


「しっかしお前ってやつは、案外とんでもない野郎だな。こんな美人と壮大な駆け落ちとはよ」

「…………」

「別に非難してるわけじゃねえ。むしろその逆だ。大胆で滅茶苦茶で、面白えやつだって褒めてるんだ。相手がドールってのも、またお前らしい」


 トムはそう言って笑ったきり、黙った。何でドールをさらったのかとか、そういうことは一切訊いてはこなかった。加えておそらく掛けているであろう多大な迷惑について、文句や恨み言すらも何一つ言わなかった。


「行先はファースト・ドームでいいんだよな?」


 代わりに向けられた言葉に、僕は驚く。トムはやはり笑っていた。


「ワンさんのとこのドールも〈誰でもない者〉のメンツだったんだ。ストが始まったら全部教えてくれた。お前が何をしでかして、これから何をしでかそうとしてんのかってな。てきとうなところで下ろして、保安局は俺たちが引き付けてやるから、その隙に軌道エレベーターを目指せよ」

「どうしてそこまで……これじゃあ君たちだって犯罪者だ」


 未だに状況を呑み込めず唖然とするしかない僕を、トムは鼻で笑って一蹴する。


「ダチを助けるのに理由がいんのか? つまんねえこと気にすんなよ。どうせ俺たちゃ前科モチじゃねえか。今更、罪の一つや二つ増えたところでな」


 トムはゲラゲラと笑う。それから僕に向き直り、床に寝かされているセッテを親指で差す。


「あんまのんびりしてる暇はねえぞ。早いとこ起こしてやれ。詳しいことは分からねえが、とりあえずお前がドールのメンテに使ってたラップトップを持ってきた。それ以外はここにある設備でなんとかなるな?」


 走り出したヒートライドは高架道路を下り、間もなく検問所へ差し掛かろうとしている。追随してくるホバーパトは停車と投降を促すが、多少の実力行使では装甲車にも引けを取らないヒートライドを止めることは不可能だ。

 しかしいつまでもヒートライドに乗って逃げ続けることは現実的ではない。巨大な装甲車では細い路地は通れないし、広い路地を通ることは攻撃に晒され続けることに他ならない。ワンフーたちがいくら武闘派だとしても、保安局を相手取るには限界があるだろう。何より僕は、銃口が突き付ける死の温度をもう知っている。そんなやり取りを、僕のせいでワンフーたちに続けさせるわけにはいかない。

 言いたいことは山ほどある。だが僕はその全てを呑み込んで、自分がすべきことに順序をつけた。


「なんとかするよ。セッテさんが目を覚ますまで、お願いしてもいいかな」

「任せとけ。お前たち二人の感動の再会を、俺たちがエスコートしてやる」


 トムは笑って言って、力強く親指を立てた。

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