鍋の中の冷静スープは緻密な計算の元に

荒野のポロ

師走のファンタジスタ

☕️1 朔月に降り立つ神力車

 重厚な檜の一枚板の看板を掲げた『望月堂』の硝子窓の向こう側で、筋骨隆々の金剛力士たちが餅をついている。

「あれが登大寺とうだいじの仁王か」

「さすがは阿吽だ」

 人々が見守る中、二人は物凄い勢いで湯気の上がる餅をついては返している。

「あれってそんなに珍しいのか?」と近くに居た長身の男に尋ねた。

「ああ、朔月の日ついたちだけのお出ましだ。『神速餅つきかみだのみ』と言ってな。餅米が冷めないうちに超神速でつくことで、しっかりとコシがありつつもふわふわでよく伸びる餅に仕上がるんだ」

 狐顔の男は大層待ち遠しそうだ。

「神速ねぇ。確かに人が踏み込める領域じゃないね」

「あの黄色い月餅つきもちは望月堂の名物だが、みんな『仁王餅』って呼んでるよ」

「そうそう、普段のよもぎ餅も美味いがな。朔月の日ついたちだけの特製・仁王餅は月イチのお楽しみ。月の無い日に満月を拝めるんだ。寺の連中は卓越したかみわざパフォーマーだからな」

 不意に混ざってきた齧歯類を思わせるソイツの顔も上気していて、期待に満ちているのが分かる。

「そりゃあ、ご利益がありそうだ」


   *


 眠ることなく人間以外が入り込む余地のない摩天楼とは違って、いにしえの都では暗くなれば早々に店も閉まり、夜は寝静まる。


 だがそれは表向きの話で、実はそうした時間にこそ灯される場所もあるらしい。

 夕暮れに沈む街並みを二月堂からぼんやりと眺めた後、歩いて春日大社へ向かった。ここは『望月堂』のある三条通りの真東にあたる。逢魔時おうまがどきはとおに過ぎ、今は夜の時代だ。

 苔むした石造りの灯籠の陰から光る目がこちらを見ていることに気づいてギョッとしたが、それは鹿だった。


 程なくして音もなく神力車キャブが舞い降りてきて、それを引く神薬師寺の十二神将リキシャが一人、招杜羅しょうとらに『仁王餅』を差し出すと、「恩に着る」と早速包みを開けた。

 一年のうち鬼門にあたる丑寅、つまりは十二月を守護する招杜羅しょうとらと一月を守護する真達羅しんだらには特に充分な神通力が必要で、その養生には力餅たる『仁王餅』が最上である。

 それを彼らに献上するのは慣わしであるし、都を病魔などから守護する力として、この地で暮らす者に巡り返ってくる。それこそ薬師如来が説くこの世の在り方だ。


「さて、何処へ行きたい?」

月餅殿商店路ユエピンルーまで。よろしく頼む」

 ほぅという顔をしたが招杜羅しょうとらは何も言わず、促されるままに神力車キャブに乗り込んだ。

 彼らは都を守護して駆けるついでに、こうして『仁王餅』を献上した者を運んでくれる。神通力によって時空を駆ける神力車キャブでしか辿り着けない場所もあるのだ。

 夜の闇に沈む街並みを眺める間はなく、あっという間に三条通りに舞い戻ってきた。目の前にあるのは仄暗い月餅殿商店路ユエピンルーだ。

「ここから先、神力車キャブは立ち入れぬ」

「充分だ。助かったよ」

 短いやり取りの後、招杜羅しょうとらは瞬く間に駆け去っていった。


 朔月の夜にしか拓けることのない商店街ファンタジスタの入り口を目前にして、一つ深呼吸した。

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鍋の中の冷静スープは緻密な計算の元に 荒野のポロ @aomidori589

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