幸運の星の下

小石原淳

幸運の星の下

 大通りのスクランブル交差点を見下ろす喫茶店の二階。

 若い男二人がテーブルを挟んで話している。


~ ~ ~


 待つ間、昔の話をしよう。

 今よりも若い僕が付き合っていた相手は芸能人だった。

 まだ駆け出し、所属事務所は小さい。でも彼女自身と周りのがんばりで、彼女の知名度と人気はそれなりにあった。

 名前?

 柏原水純かしわばらみすみだよ。

 そんな芸能人、聞いたことない? 当たり前。今言ったのは本名だからね。

 そもそも僕と彼女が付き合い始めた際、彼女にはまだ芸名がなく、本名も表に出してなかったんだ。

 分かるように説明すると、彼女は急遽、代役で採用されたんだ。全くの素人だったのにね。

 ちっとも分からん? 焦らない。

 小六の夏休みに僕と彼女の家族は、いわゆる豪華客船のクルーズに乗る機会を得た。世界一周とかではなく、三泊四日の国内を巡るツアーだけど。

 前に話した通り僕の親は広告製作会社勤めだ。たまにスポンサーの厚意で特典が回ってくる。その一つが船旅だったんだ。

 この船旅が普通とは少し違ってね。

 クルーズ船の運行会社全面協力で映画撮影が決まっており、そのために四日間、まるまる貸し切り状態にしたんだ。でもお客さんがいないと船内の絵が寂しくなる。かといって全く無関係の一般人を入れると、俳優さん達にキャーキャーわーわーになって撮影が滞る恐れ、なきにしもあらず。そこで関係各所の人達を招き、エキストラをやってもらうというわけ。関係者とその家族なら撮影でも大人しく従ってくれるだろうって魂胆だね。サービスにもなるし。

 運よく僕の親が招待客の一人に選ばれ、四人まで乗船できることになった。二人部屋が二つで一家族という計算なんだろう。

 僕は母子二人家族。母は残り二人分の決定権を僕にくれた。

 当然、柏原さんにしたよ。

 何で当然なのか、だって? 小六当時から僕は彼女と付き合っていたんだ。

 嘘じゃない。ただし、友達付き合いというやつだけどね。

 もちろん、好きだから誘った。そこへ付け加えるなら、招待側の意向として、子供の男女比がなるべくバランスが取れた方がいい、なんて話も聞いていたから。ああ、この理由付けを駆使して柏原さんを誘った。

 クラスの仲のいい男子から誘われても女子が応じる可能性は低い? 僕もそう思ってた。だから色々と船旅の魅力をアピールした。景色とか船内設備とかショーとか。無論、映画撮影についても。

 柏原さんが当時興味を持っていたのは三つで、その一つがファッション。映画には、ちょい役でファッションモデルの如月芽衣きさらぎめいが出演すると決まっていて、船にも乗ることになっていた。

 次に天文。プラネタリウムが好きっていうレベルだけれども、星に興味を持っていた。夜、海上で船から見上げる星空はさぞかしきれいよねと考えたらしい。

 そして三つ目。だいぶあとになって打ち明けられたんだけど、最初に話を持ち掛けられたとき、その豪華客船について多少は調べてみたって。名物料理としてビュッフェで食べられる作り立てのパンケーキが絶品と紹介されていたのが気になって、どうしても食べたくなったってさ。シェフに感謝しないといけないね。


 船は乗客約千人を収容できる規模で、さらに乗員が五百名くらいだから、日本の船としては大きい方だし、人気もある。通常の旅なら乗客の年齢層は高めで、さらに五割以上はリピーターであることが多いらしい。だけどあのときは今言ったような事情から、ほぼ招待客で占められた。当然、リピーター率は低く、年齢層も比較的若い。初めての船旅っていう人が多かった。

 だからなのか乗船時は浮ついた雰囲気が漂ってた。偉そうに語る僕も同様だ。ちなみに僕ら四人の中で豪華客船の経験があるのは母一人。

 そういう客層故、いくら関係者とその家族と言ってもミーハーな人はいるし、気持ちを抑えきれない人もいる。乗船そのものは係の人の適切な誘導と巨大な船の雰囲気に圧倒されて、割と整然と進んでいたんだけど、誰かが噂をしたんだ。映画に出る俳優が乗るところを見た、というね。

 これまた後付けの知識だけど、船側が有名人の乗船を把握している場合、混乱が起きぬよう、別ルートを使うんだ。だから目撃できるはずがないんだけど、ちょっと似た雰囲気の人を遠くから目撃したら、あの俳優だ!となるかもしれないね。

 とにかく無責任な噂のおかげで乗船の流れに少し逆流が生じ、軽いパニックが起きかけた。僕は母にくっついて進んでいたんだけど、柏原さんの方はお母さんから離れてしまって、でもそのことに気が付いても戻れない状況で。ただ、子供の僕なら話は別だ。母に「エントランスホールに出たら待ってて」と一言いい、柏原さんを探しに引き返した。あのときほど人の間をうまく縫えたことは他にない。

 不安げな表情の彼女を見付けて名前を呼ぶと、途端に笑顔になった。人混みの中、彼女の手を握って前へ前へと急いだ。無事にエントランスホールで母達と合流し、部屋に入って、すでに運ばれていた大きな荷物の荷解きをして……といったくだりは省こう。話は映画の撮影に絞らないと。

 撮影は乗船時から少し行われた。客が乗って来る場面が欲しかったから。でも本格的な撮影は翌日からで、旅の二日目と三日目を使って大部分を撮り、最後の四日目、今度は降りるところを撮って終わりという段取りだった。

 ハプニングがあったのは三日目午前。前夜、天候が荒れて大型客船にしては結構揺れたんだ。その影響か子役の心花みはなリンが船酔いを起こし、演技に精彩を欠いていた。それだけならまだしも船の一番上のデッキにあるプールサイドでの演技中に、よろめいてプールに落ちてしまった。これはもうだめかもとの声が上がり、マネージャーからもストップが掛かった。

 心花の演じる役“志穂しほ”が映画ではかなり重要な位置を占めていたものだから、大騒ぎになった。船会社全面協力と言えども、スケジュールは決められている。稼ぎ時の夏休み故、あとのツアー日程はびっしりさ。残り二日足らずで撮りきるしかない。

 代案がいくつか上がった。たとえば脚本を直して、残りシーンに志穂が登場しないようにする。が、これは早々に没になった。ラストシーンだけは絶対に外せない。

 心花リンは肩から上だけなら何とか演技できる見込みだから表情だけ、あるいはベッドで横たわる場面などをつないでどうにかできないか。これはストーリー上、心花が動けなくなる理由が必要になるが、プールに落ちたではつながらない。却下。

 結局、代役を立てるしかなかった。けど、プロの子役を急に呼び寄せるのは難しい。代役に飛行機などで寄港地まで来てもらい、ピックアップするという離れ業も考えられなくはなかったが、船旅の三日目はあいにく、一日中クルージングと決まっていた。


 ハプニングから一時間半後、最終手段を採ると決まった。乗客から背格好の似た子を選んで演じさせる。顔はなるべく写らないよう工夫する。どうしても必要な場合は、あとで心花の喋るところを撮って挿入する。

 関係者を招待するスタイルのため、通常の乗船名簿と違い、事前に全員の顔写真を把握できていた。映画スタッフは名簿をまず性別と年齢でふるいに掛け、それから写真に目を通し、行けそうな子を候補に選ぶ。このとき写真でチェックしたのは髪型と顔立ちから推測される身体付きで、かわいさや美人かどうかは二の次だったそうだよ。柏原さんには今でも言ってない。いや、彼女が凄くかわいくてきれいなのは、僕が保証する。選ぶ基準とは無関係だったってこと。

 候補は五、六人だったかな。スタッフは目的を告げずに一人ずつ直接会って、体格と髪型、身長に問題はないかを見て行った。肌の日焼け具合も重要だったらしい。そして最終的に選ばれたのが柏原さんというわけ。

 正式に代役出演を打診された席には僕の母もいて、その母にくっつく形で僕もいた。

 柏原さんは興味はあるけど踏ん切りが付かない様子。彼女のお母さんの方も似た感じで、基本的に娘に任せるスタンスだった。

 僕? 僕はどうだったかな……。世間のみんなに柏原さんの存在を知られたらライバルが増えるなくらいは考えたかもしれない。顔はほぼ映らないと聞いて安心したほどだから。

 そんな子供っぽいことを考えてると、柏原さんが目で聞いてきた。どうしたらいいと思う?って。僕は「一回きりなんだから気楽に考えていいんじゃないか。思い出作りと思って」みたいなことを言ったと記憶してる。無責任な発言だけど、顔が出ないならこんなものだろうと思ってた。

 結局、僕の意見が背中を押した形で、彼女は代役を引き受けた。ただし、一つだけ条件を付けたんだ。彼女、何て言ったと思う?

「如月芽衣さんとお話しさせて欲しい」

 これだよ。あっさり、OKされた。


 その日の午後から撮影が急ピッチで行われた。ときに夕陽を朝陽に見立てた撮影すらあったよ。僕は柏原さんをリラックスさせるため、撮影の間ずっと見ていた。大変だろうなと感じると同時に、安易に勧めてしまったと後悔もした。でも彼女自身は楽しそうにやっていたから救われたけどね。

 最終的には四日目、入港後も少しだけ船内での撮影を行った程度には予定オーバーしたとは言え、どうにか無事にすべてのシーンを撮り終えた。

 柏原さん、そのあとで如月芽衣と話す機会を持てるはずだったんだけど、疲れが一気に出て寝てしまったんだ。車の後部座席で目が覚めたとき、めっちゃくちゃに悔しがってたっけ。何で起こしてくれないのって、僕も含めて怒られたよ。

 そんなことがあって一ヶ月足らずあと、僕の母を通して柏原さんにスカウトの話が来た。

 その段階で映画は公開前だったし柏原さんは名前のない一部代役に過ぎないから、誰も知らないはずなのに。変だと思っていたら、あのとき船に乗っていたスポンサーの偉いさんが柏原さんの物怖じしない演技ぶりが気に入り、知り合いの関係者数名に推薦したってさ。

 獲得に動いたのが如月芽衣所属の事務所Aだったから、柏原さんもその気になっちゃって。それでいきなりテレビCMに起用された。事務所Aはモデルが中心で、テレビタレントや俳優はほとんど抱えていなかったから、その方面の仕事がばんばん入るってわけじゃなかったけれども、順調にステップアップしていった。それこそ一時は彼女自身が人垣の中心になるくらいの認知度があった。

 でも高校受験を機に仕事をカットしたら、あっという間に忘れられた。僕はこれでいいと思ったけどね。だってデートらしいデートなんてできなかったんだから。僕の母や柏原さんの両親はかなり寛大でお付き合いOKだったけど、事務所Aはうるさかった。付き合うのは仕方がない、ばれないようにしてくださいって。僕と彼女の親しい友達数名は元から知っていたけど、協力してくれて助かった。

 それから無事、高校に合格して、半年ほど経った頃に、活動再開しませんかってことになった。以前のようにゆるめの条件でいいのならって、柏原さんも同意し、ぼちぼち仕事を増やし始めた。

 その矢先、ばれてしまったんだ。

 僕と柏原さんは休日に、ある超有名な遊園地に行ってデートを楽しむつもりだった。やたらめったら混むことでも知られる遊園地で、ここなら軽い変装をしておけば大丈夫という認識だった。実際、それまでに二度ほど利用したけど全然気付かれなかった。

 ところがねえ……柏原水純はやっぱり幸運の星の下に生まれたんだなって、肌で実感する出来事が起きた。

 僕に続いて彼女がゲートを通過した途端、パンパカパーンてファンファーレが鳴った。本当はパンパカパーンとは違ったかもしれないけど、とにかく音楽がかかった。

 彼女の手を引いて早く行こうとしていた僕もこれには思わず何だ?となった。柏原さんも同様で足が止まる。

 そこへ施設の女性スタッフがマイク片手に掛け寄ってきて、「おめでとうございます! 当園のオープン以来、三百三十三万三千三百三十三番目のご来場者はあなたです!」と祝福してくれた。

 何でそんなぞろ目で記念イベントをやろうと思ったのか疑問だったけど、考えてみればその遊園地のマスコットキャラクターが3をモチーフにしてたんだ。ま、そんな疑問が浮かんだのは後日であり、祝福されたときはまずいことになったぞと汗がどっと出た。

 咄嗟に僕は離れようとした。が、そのマスコットキャラクターや他のスタッフやらが出て来て、取り囲まれてしまった。「彼氏さんですか。彼女がちょうど三百三十三万三千三百三十三番目になるなんて、ラッキーですね」とマイクを通して彼氏認定された。いやどこがちょうどなんだよと突っ込みたかったが、テレビカメラが来てると気付いてますます焦った。ニュースか何かで映像が流れる? もうあとは気付かれないことを祈るだけだ。

 こっちは必死に念じてるのにマイクのおねえさん、柏原さんの顔を覗き込んで、「あら。タレントの**に似ているって言われません?」と来た。言うまでもないが、**は柏原さんの当時の芸名。うわーってなったよ。

 周りで見ていた他の入場者達がざわざわし始めた。距離は十メートル近く取ってあったのに、人生で一番人混みが怖いと感じたのはあのときだった。人数もそうだけど、視線と囁く仕種がね。

 で、ばれた。


 記念の入場者が芸能人なんて仕込みなんじゃないかと疑惑が出たけど、柏原さんの事務所は大きなデメリットを蒙ったため、疑惑の声は直に沈静化した。

 ばれたことで普通なら違約金なんかが発生するんだけど、場合が場合だとして大目に見てもらえた部分が凄くあった。代わりに柏原さんは仕事を続けることになった。実はこのときの騒動で嫌気が差し、芸能の仕事を辞めたがっていたんだ。

 僕も彼女には好きなようにして欲しかったけど大人の事情もあって、思いは叶わず。僕自身、彼女とのデートは禁じられた。付き合いを再開するのも大人になってからとのお達しがあった。大人ってのが何歳からなのか曖昧にされたままね。


 安心してくれ。

 それを機に別れたんじゃなく、距離を置いただけ。今も彼女とはつながっている。

つらつら語ってきたのは、僕の現在の恋人に関する話だったのさ。

 彼女と一緒に過ごしているとエピソードに事欠かなくて、まだまだ話せるが、どうやらタイムアップだ。

 何で? やっぱりこれは僕だけが感じるのかな。彼女が来たと分かるんだ。あのスクランブル交差点を見ていて。渡り始めたばかりで人混みが凄いだろ。

 ――ほら。向こうの方で人の波が少し割れたの、分かるかい?

 昔から人混みに悩まされたせいか、彼女、どんな人混みの中でもすいすいと歩く術を身に付けてね。周りに一瞬注目させ、それから数歩、後退させる感じかな。


~ ~ ~


 やや西に傾いた太陽の光を浴びたスクランブル交差点。向かって左上から右下へ掛けて、すーっと通り道が作られていく。

 柏原水純は渡りきる少し手前で、喫茶店の二階の窓へ向けて手を振った。恋人の視線に気付いたのか小さく微笑んで。

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幸運の星の下 小石原淳 @koIshiara-Jun

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