第21話 こころ
ふう、と軽く息を吐いた。
ドアをノックする。
「失礼します」
そう言って、部屋に入った。
部屋には二組のソファと間に挟まれた簡素な机。
僕を迎えたのは、一組の夫婦。
長浜 優香さん。そしてその夫の正栄さん。
僕の所に殺人の依頼をしてきた人と、その殺害対象。
家庭内暴力を受ける人と、家庭内暴力を行う人。
ただ、僕も、もう殺す気なんてこれっぽっちもないので、そういった形では依頼は達成できないわけだけど。
それでも可能な限り、依頼は果たそうと思う。
クライアントの幸せのため、できることをしてみよう。
彼らの席の前にゆっくりと腰を掛ける。何でもないふうに、日常の風景かのように。
「じゃあ、二人のお別れの話をしましょうか」
主題は明確に、最初っから、嘘偽りなどなく。
カウンセラーは本来こんなことしない。殺し屋もこんなことはしない。
でも、今の僕はどちらでもないから。好きなようにやらせてもらおう。
二人の目が見開かれる。
理解が追いつく前に、言葉を畳みかける。
「あ、誤解がないよう言っておきますけど、優香さんが依頼された内容はこれじゃありません。依頼を受けたうえで僕が勝手に結論を出して言っているだけです」
「は……? お前、何を?」
彼は理解追いつかず、でも、それでもなお、明確に、怒っていた。
彼の怒りは僕にそして、隣に座る優香さんに向けられる。顔が真っ赤になり、拳がわなわなと震えている。
冷静になればこの状況のおかしさにも気付くのかもしれない。
でも、冷静になる隙なんてあげない。畳みかける、勝負は迅速に。
「いえ、そちらの方が正栄さんのためかと、思い当ることありません?」
一瞬の沈黙、でも怒りは収まらない。それでいい。
「じゃ、考えてみましょう。まず、優香さんはあなたから家庭内暴力を受けている」
「は?」
眼が点になる。優香さんは軽くうつむく、表情には少しばかりの決意。
困惑。動揺。そこまで話しているとは思わなかったのかな。
「あ、これは事実として聞いているので、弁解とかは結構です。そもそもそうでないと、夫婦一緒に面談なんて行わないでしょう?」
唖然。呆然。
「まあ、もちろん。この時点で、警察に通報。裁判を起こして、賠償離婚という形でもいいんですが」
畳みかける。畳みかける。
今回、僕はカウンセラーじゃない。だから、人生の選択に依頼者の意思を尊重したりはしない。まあ、優香さんの場合は、そこまでそぐわなかったわけでもないみたいだけど。
多少、無理矢理にでも話を進める。
「まあ、それはお二人の今後のためにならないかなということで。あなたに逆恨みとか起こされても困りますし」
正栄さんの精神は崩れたまま、一方的に畳みかける。
「というわけで、お二人が今から円満に別れるための方法を提示しますので、後はお任せします。あ、優香さんにはこの後、うちの弁護士から確保してある当座の滞在先と今後の流れをご連絡いたします。なので、後はそちらでお願いします」
「え……あ、はい」
呆けている優香さんも置き去りにして、僕は昇介に声をかける。昇介は、はいはいと返事をして事務所の奥から顔を出すと、そのまま優香さんを面談室から外に連れ出した。
後には僕と、正栄さんだけが残る。
「じゃ、お話の続きしましょうか」
「……なんだ?」
「はい?」
「……なんなんだよお前らは!?」
怒号。赤く染まった顔。
振り上げられる足。机が思いっきり蹴り上げられる。
前に。
グシャと鈍い音がする。
僕の体重ではいささか不安だったが、なんとか机は一瞬、宙に浮く程度で事なきを得た。真ん中に思いっきりひびが入ったけど。
対する正栄さんは、想定外の反動で足先をつぶしたのか、大声を上げて呻いてうずくまっている。
うるさい。というか、これは僕の正当防衛になるのだろうか。まあ、僕は机を踏みつけただけだし、直接的に彼を傷つけたわけではない、はずだ。あとで昇介に聞いとこう。机の弁償もかねて。
「痛いですか?」
「はあ……?当たり前……」
「まあ、あなたに殴られてた奥さんよりはましでしょう。我慢してください」
「……ふっざけん……な」
反抗の声は勢いの割に、音量が小さい。家庭内暴力がばれているというのは、思いのほか効いているみたいだ。
僕はそんな彼を見下ろした。
見下ろして、しばらくして飽きたから。ソファに腰を下ろした。彼と同じ場所に目線を持ってくる。
「現実問題、あなたのために、こうなってよかったと僕は思いますよ」
「はあ?なんで……こんなのになっていいって思えんだよ。ざまあみろってか?」
「いいえ、そんな皮肉じゃなくて、素直に別れてよかったんだと思いますよ」
「……なんだってんだ」
「だって、このままいくと優香さんにあなた殺されてましたよ?」
正栄さんは笑った。
何言ってんだこいつ、とでもいうふうに。
「んなわけねえだろ」
黙る。
「なんで、そんな突飛な話になるんだよ」
黙る。
「なんで、殺すとかどうとかの話になるんだよ。ここ法治国家だぞ?」
「あなたが、法律に反することをしているのに?」
正栄さんは黙った。
まあ、法律違反は僕もだけど。
「優香さんは毎日、毎日殴られながら、いつか自分は殺されるかもしれないって思っていたそうです」
黙っている。
「自分が殺される前に、殺そうとしてもおかしくはないんじゃないですか?」
黙っている。
「僕の以前の依頼者には夫がアルコール中毒になりかけたときに、助けずに結果的に殺した人も知っています。その人も、家庭内暴力をずっと受けていた人でした」
黙り続けていた。
「同じように死んだ人をあと二人」
黙り続ける。
「僕は見てきました」
最初は聡美さんの夫。あと二人は二人目の依頼者の母親と亜依の父親。
「…………そんなくだらねえ嘘、誰が信じるかよ」
ため息をついた。
「じゃあ、仕方ないですね」
そう言って、ソファを立って未だにうずくまる彼の隣に立った。
「なん……」
彼の肩を軽くつかんで体重を崩す。足を抱えた人間は容易く寝転がる形になる。
「は?」
かけた力が弱すぎたせいか、大した反抗も見せずに、彼は僕に馬乗りになられる。
優しい手つきで首をなぞった。
そのまま、首を締めた。
気道をつぶされて口から唾が少し飛び散る。
呼吸の音が変わる。
懐から凶器を取りだす。
理解が及ばない眼。
金属の重みをかけながら、額にあてがう。
「僕、実は殺し屋なんです」
驚愕。
反応。
暴れたから、気道をつぶした。
声にならない、悲痛な叫び。
もがく手足。
足で両手を抑えているから抗うことはできない。
抵抗が収まったら気道を離す。
暴れたら、つぶす。収まったら、離す。それを繰り返す。脳に無理矢理学習を刻み込む。
荒げられた息を聞く。程なくして抵抗は止んだ。
「本当はこんなことしたくなかったけど、まあ、穏便には解決しないから仕方ないですよね?」
絶望に眼が開かれる。
涙がこぼれる。
唇が震える。
「許してくれ」
「さあ、それを決めるのは僕ではないので」
「頼む」
「それを聞き入れるのも僕ではないので」
「頼む、頼む、やめろ! こわい! 死にたくない! 優香! お願いだ、頼む! 許してくれ!!!」
うるさかったので、気道をつぶした。
拳銃に力を込めた。
「じゃあ、さようなら」
音が鳴り響いた。
「嘘ですよ。いるわけないでしょ、殺し屋なんて」
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「ただいま」
「おう、尾行おつかれ。どうだった?」
「二人とも、無事に帰ったよ。正栄さんはだいぶ危うかったけど、まあ、なんとかって感じだね。優香さんを追う感じもなかった」
「おう、そいつは上々」
「うん、まあいい出来でしょ」
「やり方、めっちゃくちゃだったけどな」
「教授に知られたらどやされるね。まあ、カウンセリングじゃないから、いっか。恐喝で通報されないかがちょっと心配」
「反対証言がお前含め、三人いるから。まあ、うやむやにできるだろ。足のケガも机蹴ったっていう物証がこっちに残ってるからな、どうしようもねえ」
「法律にも明るくなさそうだしね、まあ、大丈夫か」
「そうそう、あ、拳銃返せよ。物証になっちまうし、てかなんで持ってった」
「優香さんを追いかけそうだったら、もっかいやらないといけないと思って。ほい」
「よっと、重いんだから投げるな」
「本物でしょ、それ。実弾だけ抜いてるやつ。どうやって処分すんの」
「んー? そりゃ、破砕ゴミだよ」
「……はあ?」
「じょーだんだよ、どっかの海にでも沈めてくる」
「……そっか」
「今度、お前んちにある銃とかナイフも持って来いよ。まとめて沈めてくる」
「おっけ、ありがと」
「……そういや、あの二人、結局正式にカウンセリングすんのか?」
「うん、あのままほっといてもいいけど。それでそれこそ悪い流れにいかれても面倒だしね、前向く方法くらいは伝授するよ」
「それでどうにかなんの?」
「さあ? そんなのあの人たち次第」
「ま、そりゃそーだな」
「うん。はー……とりあえず、終わった」
「おつかれさん。なんか飲むか?」
「お前事務所にビールしか置いてないだろ。僕、ビール嫌いなんだ」
「残念、外れ。ワイン仕入れてる」
「……じゃあ、もらう」
「へへ」
-------------
「これから、どうすんだ? 亜衣ちゃんのばあさんの報酬はあるが、税金とかやばいだろ?」
「そう大半、持ってかれるんだよねえ。まあ、教授に頼んでクライアント紹介してもらおうかな」
「まあ、お前さんLGBTのクライアントには結構、評判良かったからな。なんとかなるんじゃなえか」
「うん、だといいな。しかし、ようやく本業カウンセラーだよ」
「はは、俺もようやくまともな弁護士の仕事に戻れる」
「お前、割となんだかんだ仕事してたじゃん。僕、最近、殺し屋しかしてなかったからな」
「ま、精々ブランクに苦しんで頑張るこった。左うちわってわけにはいかねえぞ」
「ん、まあ、程々に頑張る」
「ああ、そいつがいい」
「……」
「ちょっとだけ思うのがよ」
「うん」
「今回みたいな方法が通るんなら、今までの人たちも、もしかしたら殺さずに済んだのかね」
「……うーん、どうだろ。そこまで簡単じゃないんじゃないかな」
「っていうーと?」
「今回の人は法律に明るくなかったし、そこまで歪んでもいなかった。優香さんもなんだかんだ意志が強かった、聡美さんの時とはまたいろいろ事情が違う。あの頃の僕らにこんな発想があったわけでもないしね」
「そっか……」
「うん、他の仕事ももしかたしたら、もっといい道があったかもしれないけれど、その時、選んだのあの道だった。一つでも違えば、今の僕らじゃないさ」
「それが、過去と自分を受け容れるってか」
「うん、間違ってたかもしれないけど、もっといい道があったかもしれないけれど、今僕らが選んだ道がここなんだ。僕はなんだかんだ、それでよかったと思ってるよ」
「まあ、それなら何より、かねえ」
「うん。……あ、そういえば」
「なんだよ」
「今度の教授とのダイビングさ。亜衣が友達を連れていきたいって」
「お、もう友達できたん?いいね、いいね。行こうぜ」
「教授には悪いし、僕らが金を出すってことでいいよね?」
「ああ、いいんじゃね。なんだかんだしばらく金に余裕はある」
「ん、ありがと。伝えとくよ」
「いやあ、亜衣ちゃんが幸せそうでいいわ。なんだかんだ、あの子がいたからここまで来れた感がある」
「そう……だね」
「どうした、煮え切らねえなあ」
「……相談してもいい?」
「何を」
「……笑わないでくれよ?」
「いや、だから何の話だよ」
「……………………最近、亜衣のスキンシップが………こう…………激しい」
「…………………知るか、ばーか」
「…………………だよねえ」
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「お前、性的指向、『なし』じゃなかったっけ」
「…………うーん……」
「ま、精々悩め」
「うん……」
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