10.あの時の男の子

「遠藤親方! お久しぶりです! 初めて来てくださるんだと両親から聞いて、僕も急いで仕事を片付けて、山口市からすっ飛んできたんです」


 潔はさらに目を細めた。立派な青年になった『航』との再会だった。


「航君、立派になられましたね。一昨年は、倉重ガラス工房の社長にご就任されたとかで、おめでとうございます」

「そんな、親方。改まりすぎですよ。小さいころから知っているのに……」


 彼に初めて会ったのは、この子が五歳ぐらいの時だったか。

 遠い北国に行ってしまった若叔母の花南に会いたいと、父親の耀平と共に北海道旅行に来た時だ。小樽の大澤ガラス工房を訪ねてきて、花南の仕事を見学にきていた。

 花南に休暇を与え、ひさしぶりの家族三人で過ごしなさい――と、潔自ら、倉重父子と共に北国旅行をするように送り出したことがある。

 最終日。大澤ガラス工房で別れる幼い甥っ子と若叔母。小さかった彼が花南に抱きついて『なんで一緒に帰ってくれないのか。一緒に帰ろう』と泣いて泣いて大変だった。

 その時、潔は思ったのだ。この小さな子は旅行に来たのではなくて、恋しい叔母を迎えるための旅に来ていたのだと。

 耀平が辛そうに宥めて、泣くままの航を抱き上げて去って行ったことを思い出す。

 花南がガラスの吹き竿片手に、工場の片隅で涙を拭っていたことも……。気がつかなかったことに、見なかったことにした。


 だから『いつか無理矢理にでも帰そう』と決していた。

 航のためではない。彼らが三人で一緒にいられるようにしたほうがいい。花南はそれを避けているようだが、このまま切れたら、あの小さな子は永遠に花南を、慕う叔母を失うだろう。花南もまた心苦しさを背負って生きていくことになってしまうだろう。そう思っていたから、陥れた。耀平と一緒に……。


 だがそれも間違っていなかったと潔は思う。

 立派な青年となった航を見て、航が若い母親となった花南と仲睦まじく過ごしている姿を見て確信できた。


「小さなころから知っているからこそ、立派になった航君に会えて嬉しいよ。やはり、頑張ってここまで来た甲斐があったね。すごく嬉しいよ」

「親方……」


 そんな照れている息子の隣に、背が高いお父さんが並んだ。

 眼鏡をかけている青年が、父親と笑顔で視線を合わせる。

 立派と言ってもらえてよかったなと耳打ちをするお父さんの言葉に、また眼鏡の青年が照れている。


 よく見ると、面差しが異なる。

 航の顔立ちは、目鼻立ちがはっきりしている彫りが深い顔立ちの父親とは異なる。涼しげな目元で和風の顔立ちである息子。倉重の祖父似だと言われればそうとも思えるが、父子は若干異なるものを醸し出す。

 なのに、二人が目を合わせてふっと一緒に微笑んだその表情。それは一緒、そっくりだった。


 正真正銘の父子だった。面差しの違いなど、どうでもよくなる。

 目と目が合った時に醸し出す揺るがない信頼。それはもう父子で間違いがない。彼らが血縁に勝るものを培ってきた証拠だ。


 彼らは乗り越えた。改めて目の当たりにする。

 潔も、行かねば――。決意新たに、潔は出発する。


「カナちゃんじゃ危なっかしいので、俺が岡山までの運転を担当しますね」

「危なっかしいってなんなの? ちゃんとできるよ」

「いいから、いいから。若い俺に任せて」

「そんなに年寄りじゃないから」

「はいはい。助手席で寝ても怒らないから」


 スーツ姿が凜々しい航が、花南の背中を強引に押して前に進もうとしている。

 ほっこりお母さんを、凜々しい青年がからかうようにして連れ出していく。

 そんな妻と息子の出発を、耀平も楽しそうに笑って見送ろうとしている。


「道中うるさいと思いますが。……航がいけば、あちらのお祖母様と叔父様も喜ばれると思いますので、連れて行ってください」

「あ、そういうことになるんですよね……。うっかりしていました」

「お気になさらず。すべて、互いの心中は収まりついておりますので。花南の『螢川』をご堪能ください」


 不義の男の実家。しかし息子の血縁者がそこにいる。

 航が楽しそうにしているのは、お祖母様に会えるから? そうとも思えた。

 そしてきっと、花南は倉重とその不義の男の実家を繋ぐ者なのだろう。


「では親方。またのお越しを。ここからまた楽しい旅を続けてください。お気を付けて」


 耀平だけがここに残る。

 仕事がある夫で父だからと思いたいところだが、彼は倉重の男としての筋を通そうとしているようにも見えた。



「では、出発しますよ。途中から高速に乗りますからね」


 イマドキの青年が乗り回しているよう黒いSUV車。運転席にかっこよく眼鏡の青年が乗り込み、助手席にはパンツスーツ姿で整えた花南が乗る。潔は後部座席に案内された。


「カナちゃん。お財布持った?」

「持ったわよ!」

「スマホも持った?」

「持ってるって!」


 どうやら花南は『忘れもの常習犯』とのことらしい? 航曰く『ガラス職人の仕事以外は無頓着』とのこと。うーん、人のこと言えないかもしれないと、潔はこんなところも花南と通ずるところがあって唸ってしまった。

 そんなやりとりをしている甥っ子と若叔母、もとい母子を眺めて、潔も笑ってばかりの道中になる。


 車窓に流れる金春色の海。

 これでお別れだ。

 でもまた必ず来る。妻とともに。


 一路、岡山へ向かう――。

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