第1話

 指で頬をそっと撫でる。柔らかな感覚が人差し指の腹に伝わり、鏡の中の自分が唖然と目を見開く。

「本当に似てるんだな」

 声は少し低いか。いや、それでもやはり質は似ている。首を軽く振って、辺りを見回す。六畳程度の部屋はがらんとしてて広く感じる。汚れ一つない真っ白な壁に、白の蛍光灯、これまた傷一つないフローリングはその光を反射させている。他にあるのは鏡と二つの扉だけ。窓はない。

 手を握っては開きを繰り返す。感触までがリアルに伝わってくる。これが本当に仮想空間だなんて少し信じられなくなる。

 そう、ここは現実ではない。インターネット上に作られた仮想空間なのだ。いわゆるネットゲームの延長の産物である。

 専用の機材(マッサージチェアのような大きな椅子と専用のコンピュータ)を使って今、ログインしたところなのだ。頭のところから電気を通して、直接五感に作用して、この世界を見せているのだと言う。

 少し怖い、というのが正直な感想だ。もし目覚めなかったらどうなるんだよ、と常々思う。まぁ、そんな事故が起きたなんて話は聞いたことないけど。

 そういえば、昔の映画にこんなのがあったよな、と思い浮かべる。確か人間がみんな機械に支配されてて、こういう仮想現実世界で人間は飼われてるみたいな、そんな話。まだ見たことはないけど機会があれば今度見てみよう。

 視界の隅にメモを表示させる。視線を合わせるだけで勝手にめくれたり拡大してくれる他人には映らないメモ。膨大な情報を詰め込んだそれをぱらぱらとめくる。

「――よし」

 もう一度鏡を見つめた。若かりし頃の父、日比野忠行がそこにいる。よく似ていると、やはり思う。いや、僕が父さんに似ているんだな。

「じゃあ、行くか。日比野忠行」

 そう言って頬を両手で一度叩いた。

 僕は今、昔の父の姿で、ここにいる。今日、父の同窓会へと出席するために。

 懐に隠した手紙を服の上から探る。父がある女性に宛てた手紙。

 もう一度視界の隅にメモを映した。ぱらぱらとめくれ、一人の少女の画像が映った。

 高校の卒業アルバムの写真から切り抜いて作ったリストの中に、女生徒の中で一人だけ、プライベートの写真を使っている。

 宮町弥生。

 父が最後まで気にかけた女性。

 軽く頬を二度掻く。今日は一日、忙しくなる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る