第9章 復讐アーティファクト 第一話『鍵』

 鍵を返すのはいつでもいいですからね、と管理人は言った。

 彼はパラケルススが刑務所を脱走した受刑者だとは気づいていないらしい。学校へ寄った際に、理科準備室に保管していた衣装の中からスーツを拝借してきたので、無理もなかった。

 真っ直ぐキャロラインの家を目指し、歩く。やがてたどり着いたキャロラインの家は、荒れ果てていた。「売り家」と看板が立てかけられ、格安で売られている。

 キャロラインが死亡した後、彼女の母親は悲しみの果てに自ら命を落とした。父親も心身喪失になり、今も療養中らしい。つまるところ、誰も住んでいないはずだった。

 ところが、キャロラインの部屋の窓が全開に空いていた。中からカーテンがなびいているのが見える。

 パラケルススは鍵で玄関のドアを開け、中へ入った。


 キャロラインの部屋には鍵はかかっていなかった。

 中はベッドが一つあるだけで、他に家具はなかった。そのベッドの上に、クララはいた。足を抱えて座り、うつむいている。

「クララ」

「……誰?」

 パラケルススが呼びかけると、クララは顔を上げた。

 目は泣き腫らし、真っ赤になっている。復讐をやり遂げた者の顔には、見えなかった。

「君はまだ、復讐をやり遂げていない。理科学倶楽部には、顧問がいる」

「……知ってるわ、ハイネ=パラケルスス。貴方でしょう? だからこうして待っていたのよ。貴方はきっとここへ来ると、信じていたから」

 クララはベッドから飛び立ち、パラケルススに襲いかかる。

 パラケルススは咄嗟にドアを閉じ、開かないよう外から背中で押した。

「確かに、私はかつて理科学倶楽部の顧問だった。君の愛するキャロラインを殺させたのも、私だ。だが……今は違う。今の理科学倶楽部の顧問は、モーブという保健医だ」

「……モーブ?」

 クララの攻撃が止んだ。

 すかさず、パラケルススは畳み掛ける。

「そうだ。君がいない間に赴任してきたんだ。彼女は私を逆恨みし、理科学倶楽部を滅ぼそうとしていた。君が殺すはずだった部員も、彼女の手によって殺された。我々に恨みを抱いている君にとっては、面白くない話なんじゃないのか?」

「……」

 クララは黙り込む。

 理科学倶楽部の部員達が執拗なまでにいたぶられていた点から、彼女にとっての復讐は「結果」では「過程」であることに、パラケルススは気づいていた。自らの手で殺そうと思っていた人間を他人に奪われるのは、面白くないはず……同じ殺人者であり復讐者でもあるパラケルススには、容易に彼女の心を悟ることが出来た。

 そしてもう一つ、クララが隠している鍵にも、パラケルススは気づいていた。

「それに、私の推測が正しければ、君を檻から解放したのは、そのモーブだ。彼女は警察に顔が利くローゼリアと組んでいた……あの子の身内だと言えば、簡単に刑務所内へ入ることが出来ただろう。そしてモーブは、君に私のことを教えたはずだ。"ハイネ=パラケルススという女が、全てを知っている"、"ここから出たくば、代わりにローゼリアを殺せ"とね。ローゼリアはモーブの協力者ではあったが、私を殺すのではなく、としていた。だから邪魔になって、君に殺させたんだよ」

「……それなら、そのモーブという人と協力して、貴方を殺した方が手っ取り早いわ」

「どうかな? 君の体は顧問の私よりも、顧問の彼女こそ殺すべきだと認識しているようだが?」

 パラケルススの言う通り、クララはパラケルススに敵意を向けつつも、ドアを破ろうとはしなかった。

 それどころか、窓へ近づき、飛び立とうとしていた。クララ本人も動揺している様子で、なんとか踏みとどまろうともがいていた。

「どうして……?! 私は、貴方を殺したくて堪らないのに!」

「私だって知らないよ。それほどまでに君の理科学倶楽部への執着は強いのではないか? 部から離れた人間は眼中にない、怨敵よりも理科学倶楽部あ憎い……なんとも都合の良い体だね」

 パラケルススは部屋に戻り、クララを後ろから抱きしめる。

 そのまま持ち上げ、窓の外へと連れて行った。小柄なクララは抵抗できず、圧倒いう間に目の前に青空が広がった。

「は、離して!」

「さぁ、窓の鍵はとっくに開いている。あとは君が飛び立つだけだ。私の翼となり、モーブの元へ連れて行っておくれ。そして、君を解放してくれた恩人とも言うべき彼女を、その手で殺すのだ」

「嫌! 嫌ァ!」

 クララは自分の意思とは裏腹に、パラケルススを引っ付けたまま飛び立った。

 大空には、クララの障害となる鍵も壁もない。目の前に広がるのは、果てのない自由………しかしクララの体には「モーブを殺しに行かねばならない」という、鍵のない重い錠前が科せられていた。

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