「おまえがいれば」
シマの奥底には、呪いが眠る。
地獄を生み出し、破滅を願う黒き意思が潜んでいる。
故にもし、それが目を覚ましたならば。
この星は、瞬く間に死を迎えるだろう……。
……いや、その表現は少し正確ではないのかも知れない。
この星はとっくの昔に死んでいる。
まるで役目を終えた卵の殻が、内側から破られるのを待つかのように。この星はもう、何の意味もなく、ただそこにあるだけの状態だったのだ。
それが運命の悪戯によって、ほんの
この世界は所詮、幻想。
死に至るまでの走馬灯。
誰かが想い描いた、泡沫の夢――だから。
……目が覚めれば、夢は終わる。
星は、己の死を思い出し、全てを無に還す。
あらゆる意思は飲み込まれ。
「……このまま、彼女は目を覚ますでしょうか」
アーティと歪の戦いを、二柱の呪神が見下ろしていた。
「メロウはニンゲンに肩入れし過ぎ。私達は、全ての結末をあの子の意思に委ねることを、このシマが生まれた時に約束したはず。たとえこの星が滅びようとも。それをあの子が望んだのなら、私達は黙って受け入れると誓ったはず」
「でも……」
「あの子には、いつでもこの星を終わらせる権利がある。それがどれだけ残虐な方法であろうとも、許されるに足る理由がある。だってこの星の全ての命には罪があって。その全ての罰をたったひとりで背負ったのが、あの子なのだから」
「………………」
沈痛な面持ちで、メロウは俯く。
それは、ウグメの言葉が全て真実であり、正しいからだ。
あまりにも正しくて。だから、それを否定する材料など、この世のどこにも存在すら許されないからだ。
でも。だけど。
――本当に、それでいいのか。
幾星霜、滅びと再生を繰り返すシマを見守り続けて。
そんな想いは、日増しに強くなる。
箱庭の観測者として、その感情があまりにも不適切であるとしても――。
「……あの子に必要なものは、全ての命への裁きなんですか」
「……」
「この世界への、神罰なんですか……?」
「…………」
「あの子には確かに復讐の権利があります。でも……それだけしかないんですか。復讐以外の、」
「――呪神メロウ」
――珍しく強い口調で、ウグメが遮る。だからメロウもすぐにはっとして口を閉ざした。
「それ以上は、私達が口にする資格のない言葉よ」
敢えて指摘されるまでもなく。
それは重々、理解していたはずの……。
*
「――が……はっ……!」
――歪の体を貫いた一筋の青き閃光。
光の帯は直後に爆ぜ、細かな羽毛のように飛散し、虚空へと消え去る。
そして明確なる変化が、歪の頭部に起こり始める。
「ば、……馬鹿、な……、……ち、力が……力が抜けていく…………いや、違うこれは――」
「呪角が……」
歪の頭部に生じた異物が、少しずつ煤と化して消えていく。同時に一瞬、何かを思い出したかのように目を見開いた後、歪は糸の切れた人形のように脱力し、落下を始めた。
それを見逃さず、これ以上の交戦に意味がないことを悟ったアーティは、墜落していく歪を追いかける。
「うまくいったの?」
「呪角が消えていくなら――そういうことだと思いたいのだわ」
ミリエ、キリムも一時の不死化を解除して共にそれを追う。地面と衝突する寸前、赤と青、二つの神器の腕に受け止められた歪は、力なく薄目を開く。
「……アーティ……ボクはいったい、……何を……」
「覚えてないのか?」
「…………覚えてる……。覚えているからこそ……分からないんだ……。ボクは、どうしてこんなことを……」
これまでの行動……目にしたもの、感じたこと、その全てを歪は覚えていた。
そして、だからこそわからなかった。それらは全て自分の意思とは違うものだ。そんな風に世界を壊したいなんて思ったことはないし、ましてアーティに敵意を示すような真似なんて、どれだけすれ違ってしまったとしても絶対に、するはずがなかったのに。
異なる意思の介入があったのだ。そうとしか考えられない。
けれどそれは即ち、歪にとって致命的なエラーでもある。
不確かな命。不安定な存在。それでも害がないことだけが、彼女の存在を許すほとんど唯一の理由だったのに。それさえも失われるというのならば、もはやこのシマにおいて、自分が存在し続けることがアーティにとってのデメリットでしかないのならば……
自分は、消え去らなければならない。
他でもない彼女自身が、それを認めざるを得なかった。
「ごめんなさい……ごめんなさい……ボクはやっぱり、この世界に居残っていちゃいけなかった……こんなことになるのなら、もっと早く、」
ぼろぼろと大粒の涙をこぼし、歪は謝罪の言葉を繰り返す。
その様子に、部外者であるミリエやキリムに、紡げる言葉などなく。
誰が彼女を、励ますことが出来ようか?
今、それができるのは。それが許されるのは。その権利を持つ者はこの場に一人しかいない。そのただ一人に該当する少年は――歪の手を、強く握り返す。
「おまえがいない世界なんて、要らない」
強く、強く握り締めて、もう二度と離れないように、逃さないように。
「……おまえが思ってるほどオイラは何も考えてないわけじゃない。なんとなく気付いてるよ、おまえの秘密は。気付いた上で、おまえに、オイラと一緒に、この世界にいて欲しいって思ってる。きっとおまえ自身はまだそれを許せないのかも知れないけれど、いつか、いつの日か、それを許し合える世界になってくれたらいいと思ってる」
歪の目は見開かれ。
その頬を伝う雫を、アーティは優しく、指先で拭う。
「それはもしかしたら、こことは違う世界の話かも知れないけどな」
「……ふふっ、あはは……っ。なんだよそれ。それじゃ、意味、ないじゃない」
「なくもないだろ。多分。元を辿れば一つなんだから」
「……。それも、そうか。――そうだね。……そうだと、いいよね」
……歪の抱えている秘密とは、何なのか。
アーティが何に気付いていて、そうであるが故に、何を望んだのか。
それはこの二人だけが知る、この二人だけの物語なのだろう。部外者に踏み込む権利はないのだろう。……まぁ、ユハビィ辺りがいずれずかずかと踏み込んでいったりすることもあるだろうけれど。少なくとも今、話し合うことのようには、その場の誰からも視えないのだった。
「――なんだか二人で勝手にいい雰囲気になってらっしゃるけれど。もういいのかしら?」
「ミリエ……デリカシー」
「キリムに言われたくないのだわ。こちとら朝ご飯の途中で飛び出してきたんだから、問題が片付いたならさっさと帰っ――」
首を突っ込んだのは自発的に、だったが、結果朝から大変な目に遭わされたミリエである。割と普通に死にかけたミリエである。キリムがいなかったら死んでいた。そのキリムだってミリエが来なければ死んでいたのだから、本当に朝から大惨事である。
その腹いせにと、なんだかよくわからないうちにいい感じに締め括られようとしている場の雰囲気を、ユハビィよりも先に台無しにしてやろうという思惑があったかどうかはさておき、ミリエが一歩踏み出した――その時だった。
「にゃっ」
地面が、ぐらりと傾いた。
大地震?
このシマで?
……いや、まぁ、起きないことはないのかもだが――
誰もが経験のない事態に一瞬だけ戸惑うも、すぐさま、そうではないということを認識する。これは地震ではない。
揺れたのが地面ではないからだ。そんなものを地震とは呼ばない。
揺れたのは、空間そのもの。……いや、揺れたというよりも、歪んだというべきか。それに巻き込まれたから、瞬間、その場の誰もが平衡感覚を喪失したのである。あのアーティでさえ例外なく――
「うお……なんだこれ、立てねぇ……」
……これは、鍛錬や才能で耐えられるようなものではない。
さながら両足が頭の裏から生え、普通に立ったまま逆立ちしているかのように視界だけがひっくり返っている――そんな異常感覚に陥ってまともに立っていられる人間などいるはずがないのだ。
だから崩れ落ちる。不死鳥であるキリムも、概ね人間離れしたアーティも、等しく同様に、その場の全員が不意にバランスを崩して各々、地面に手をつくことさえできず顔面から地面に突っ込んでしまう。手をつこうにも、自分の体と繋がっているはずの手の場所が分からないなんて、生まれて初めての経験だった。
平衡感覚の完全なる破壊の影響はそれだけに留まらない。
空間の歪みはあらゆる物質を貫通している。要するにぐちゃぐちゃにされたのは体の表面の感覚だけではなく、内側もまた同じなのだ。胃袋を捕まれ、体の外に勢いよく引きずり出されたかのような異様な感覚。呼吸をしたいのに口が背中にあるような気がして、どうやって力を込めたら上手に息を吸ったり吐いたりできるのかがまるで分からない――そんな強烈な不快感が体のどこかからか込み上げてきて……!
「〜〜〜〜〜〜〜ッッッッ」
――女子的に人前で吐き散らかしたくはない一心で辛うじて耐えるミリエが、どうやれば望んだ通りに自分の体を動かせるのか、何一つ分からなくされているなりに何とか、辛うじて首をもたげたその先に――
「にゃに……アレ……っ」
あまりにも唐突な。
理解の及ばない光景が広がっていた。
*
歪の頭から砕け散った黒い角は、そのまま風に乗って消え去るのかと、誰もが勝手にそう思っていた。
だってミリエが、呪神と化した歪に対し、ニンゲンに戻る魔法を使ったのだ。その結果として砕け散った呪角はその後、役目を終えた小道具として舞台袖から転がり落ちていたかのように誰の意識からも消え去っていた。
そんな消耗品が再登場なんてするはずはないと…………誰もが、
【そんなわけないでしょう?】
【呪角を、呪神を、なんだと思っているの……?】
【くすくすくすくす……げらげらげらげらッ!!】
【あんたたちは全員終わりッ、ここで死ぬッ、全員死ねッ、これであたしの勝ちッッ!! キャハハハはハッはははッッ!!】
破片は再び、一つに集まる。
深い深い闇の意識、その残滓は寄り集まって再誕する。
生まれたのは、形のないバケモノ。シマモノ同様に真っ黒い体。不定形。無数の触腕を持つ。そして全身のありとあらゆる場所に、明確なる、瞳の形。瞳孔は赤く、紅く、灼熱色の激情に染まって――それは真っ先に、
しかし、その瞬間に空間が歪む。
突如として現れた未知なる敵を迎撃すべく、原初のシマモノがその力を解き放ったのだ。方角概念を喪失した黒い触手はそれぞれ明後日の方向へ進路を変え、岩や地面に激突していく。巻き込まれた他のニンゲンたちも同様に崩れ落ちるが、原初のシマモノにとってそれは重要なことではない。
間髪入れず、他の原初たちも黒い腕を破壊するために、それぞれの能力を発動する。
無動作から繰り出される遠隔斬撃。
耐性無視の腐食攻撃。
物質の、炎そのものへの性質変換。
あらゆる理外の魔法攻撃が数多の黒い腕を次々に破壊し――それでも尚バケモノは止まることなく、無尽蔵に生み出された黒い腕の一つがついにユハビィの首を掴み、地中へと連れ去ろうとしているのを、ミリエは目の当たりにしたのだった。
「ぐぇっっ……ちょっ、な……わぁっ!?」
「――なっ、何こいつッ!! こんなに壊してるのに何で止まんないの!? 意味わかんないッ、意味わかんないッッ!!」
「女王ッッ!!」
「退いて、ぼくが焼き払う……!」
「やめたまえ
「ひぃぃぃ……うちらの能力、一人を守るのに向かないよぅ……! たすけてぇぇえっっ!!」
「〜〜〜〜〜〜〜っ!!」
黒い腕に絡め取られたユハビィは、とうとう地面に叩きつけられる。
頑丈さが取り柄の彼女とて、流石にノーダメージであるはずもない。遠目に苦悶の表情が見えた。
「あっ……ぐ……、あ、……ティ、さ……」
いったいどれほどの力で首を締められているのか。
言葉にならない声で、彼女は叫んでいる。アーティに、助けを求めている。
――ユハビィには、自分の命を軽く見る悪い癖がある。
善意のために自分が怪我をすることを、まるで問題だと思っていない悪癖だ。
美徳かも知れないが、助けに入った側に軽々に大怪我をされれば、助けられた側も気分は良くないだろう。
アーティはそのことを、彼女と暮らしてきた時間の中で誰よりも知っていた。矯正できるならそうしたいとも、多少は思っていた。
けれど彼女と同様、或いはそれ以上に自身の命を顧みていないアーティである。きっと自分が何を言ったところで、意味はないに違いなかった。
良くも悪くも、そういうのはウロノスの方が適している。
あの男は被害を最小限に食い止めるためならば、当たり前のように道徳を投げ捨てて合理性を取るタイプだから。
ユハビィのような自己犠牲の精神の持ち主など、一週間で正してくれるだろうとやや期待していたのは否定しない。
しかしその目論見は未だ果たされていないはず。それどころか悪化したかも知れないとさえアーティは思っていた。彼女が自身の正体に気付いた結果、村を出るという選択をしたのは、そういうことではないのか。しかし――
今。間違いなく彼女は、助けを求めていた。
ユハビィという人物の、ルールに合わない行動だった。
その裏にある真実に、アーティはいち早く反応する。……いや。そうでなくとも反応はしたか。
だってユハビィが助けを求めたなら、動く理由は他には要らないのだから――!
「歪ぅぅぅううううッッッ!!」
アーティが叫んだのは、このシマで誰よりも一番長く、共に過ごしてきた相棒の名である。
だから、だからこそ、その一声だけで彼女は全てを理解する。アーティが今、何を求めたのかを言葉にせずとも一字一句正確に読み解ける。
歪は瞬間、溶けるようにアーティの創世神器の中へとその身を還す。そこが本来の彼女の在るべき場所で。そこ以上に彼女の真価が発揮される場所など、そうはないだろうと言える場所。アーティの内側で、最も魂に寄り添える場所……!
『――支援モード接続! 識覚補正完了ッ、魔力影響、解析完了ッ、分解中和、完了ッ、走ってアーティッ! 細かい
「……んッ、やっぱしっくり来る! おまえがいれば――オイラは無敵だぜッッ!!」
破壊された平衡感覚の再生。さらに他の原初が操る魔法効果の影響を解析し、瞬時に適応して分解する特殊な
時間にしてコンマ数秒の世界。青き腕の五本の指が鋭利な槍と化して黒腕を穿ち、離れたユハビィを赤き腕が掻っ攫って引き寄せた。
「げほっげほっ……はっ、はぁっ……!」
「無事か。無事だな。よかった安心した」
「わ、割とげほっ、まだ無事じゃないです……全身あちこち痛いぃ……」
「おのれ許せん、よくもうちのペットに手を出しやがったな」
「ペットだと思ってたんです!? あと痛いのはほぼほぼアーティさんが乱暴に引っ張ったせいだったりするんですけど!! もうちょっと優しく助けてくれません!?」
「オイラはおまえの頑丈さを信じて、そしておまえはその期待にしっかり応えた。流石だぜユハビィ。カッコよかったぜ!」
「え? えへへ、そうですか。ならよかったです。よくねーよ! 断固抗議です!!」
「馬鹿言ってないで状況を説明しろ。アレは何だ、おまえの友達か? いつも言ってるだろ友達は選びなさいって。確かにこの赤と青の腕でいつも遊んでいたおまえにとって野生の腕は親しみ易い相手だったかも知らんけどな、野生の腕は危ないから近寄っちゃ駄目だって教えてやっただろ」
「教わってないですよ何なんですか野生の腕って! そんなおっかない腕だけ生物が蠢いてる世界で生きてた覚えないですけど! 全然親しめない! そして赤と青の腕で遊ばれた記憶はあっても遊んだ思い出なんか微塵もないです!!」
「そうだっけ? そうかな。そうかも。まぁ些細な問題だな。じゃああの知らない黒い腕は敵ってことで遠慮なく叩き潰していいんだな。後で文句言っても遅いからな」
「言いませんよ! やっちゃって下さいッ!」
アーティの背中に隠れ、ユハビィは改めて黒い腕を目視する。
未だ青い五本の槍が抜けずに藻掻いているが、どうも決まった形を持たない存在らしく、じわじわとその拘束から逃れつつあるのが伺えた。
「……ひぃっ! なんだか分からないですけど、背筋がぞわぞわします……あの黒い腕、ワタシを殺そうとしてる……!」
「おまえが怖がる時って、逆に大したことなくて余裕ある時のイメージなんだけど。今回は違うみたいだな。どういう心境の変化だ?」
「理由はちょっと口が裂けても言えないんですけど、ワタシ、どうやら死んだら駄目っぽいんです。理由は絶対に、言っちゃ駄目なんですけど」
「言えないなら別に聞かないけど。だったら話は簡単だな」
――ついに拘束を抜け出した黒い腕が、ずるりとその指先を、ユハビィの方へと傾けた。
正体不明の敵など、このシマではよくあることだ。珍しくもない。何せそもそも正体が分かっている敵の方が少ないのだから。
いちいち考えていてもキリがないので、やるべきことはいつだってシンプルだ。
「厄介モノはぶっ倒して、美味しく頂くのがこのシマの作法だ」
「ち、調理は任せて下さい、美味しく仕上げてみせますよ!」
「食べるの!? アレを!?」
異文化コミュニケーション。
だいぶ強めのカルチャーショックを受ける、未だに平衡感覚が戻らなくて吐きそうなミリエなのであった……。
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