第7話 その花が枯れても
フリィと二人きりになったところで、今日買ってきた包みを手渡す。彼女はその軽さに拍子抜けしたようだった。あら? と可愛らしい声を上げて、くしゃり、とその柔らかい包みをその手に抱いた。
「何ですか、これ」
そう問われてから、急にか恥ずかしさが込み上げてくる。なんてものを買ってしまったのだろうという後悔の念すら湧いてきて、言葉に詰まる。
いきなりこんなものを贈ったら、きっと彼女は驚くだろう。それもいい意味ではなく。
恋人から――いや、そこまでじゃなくともせめて友人であるとか――から贈られるのならまだしも、おれは化け物だし、彼女とは友人でもないのだ。おれからすれば日頃の感謝の気持ちではあるものの、もしかしたら、もっと違う意味のある贈り物だと勘違いされてしまうかもしれない。
そう考えると、その髪飾りもますます怪しい。装飾品を贈るのは恋人と決まっているではないか。いくらおまけでもらったものだとはいえ、おれはなんてものを彼女に渡してしまったのだろう。
おれが黙ってしまったからだろう、フリィは何だか心配そうに眉を寄せて首を傾げた。
「オイ、どうしたのですか? あの、これは何なのでしょう。開けてみてもいいですか?」
おそるおそるそう尋ねてくるフリィに、ああ、とだけ返すと、彼女は、こわごわと紐を解き、ゆっくりとその包みを開いた。
「まぁ」
その瞬間は見ていない。
フリィが包みの中のものを見た瞬間にどんな顔をしていたのかは。やっぱり見ておけば良かったと思ったのは、その声を発した後の彼女の瞳が潤んでいたからだ。ちゃんと見ていたなら、その声が、驚きによるものなのか、嬉しさによるものなのかが、わかったかもしれない。
だけれども、それを確かめる前に、フリィはその包みを持ったまま、おれに抱き着いてきた。そのまま彼女はしばらくの間、おれの腕の中で泣いた。
「なぜ泣くんだ、フリィ」
仕方なく、おれは聞いてみることにした。
聞いたところで何が出来るわけでもない。おれは、気の利いた言葉も知らないし、優しい声も持っていない。彼女の背中に回した手も酷い荒れっぷりだし、それもただ支えているというだけで、撫でてやる勇気もないのに。
「色んな気持ちで泣いています」
涙混じりの震える声でそれだけ言って、彼女は再びおれの胸に顔を埋めた。
色んな気持ちというのは何だろう。
そう思うが、それを尋ねていいものだろうか。
いや、それよりも、それをすべて聞いたところで、おれに理解出来るだろうか。
「私、こんな素敵なものをいただいてもいいのでしょうか」
「もちろんだ」
「着てみてもいいですか」
「好きにすればいい」
きっともしおれが、彼女に見合う男だったなら、もっと気の利いたことを言ったりするのだろう。自分自身もこぎれいにして、華やかな街に繰り出したりもするのだろう。けれど、悲しいことにおれは化け物なのだ。彼女は追手から逃げて隠れている身だから、外に出ることだって叶わない。暖かい季節に咲く花のようなその服だって、この屋敷の中でしか着られない。
では着替えてきますね、といそいそと隣の部屋へと向かうフリィの背中を見送って、あの服を買ったことをやっぱり少し後悔した。むなしくなるだけなのではないか。それで――やはり外の世界がいいと出ていってしまうのではないだろうか。
それで良かったはずなのに。
彼女はここを出ていくべきなのに。
それをさみしく思ってしまっている自分がいる。
彼女が自分を好きじゃなくてもいい。未来永劫、好きになってくれなくていい。ただの同居人でいいし、小間使いと思ってくれてもいい。ただ、これからも一緒にいたい。
もう戻ってこなかったらどうしよう、と思った。
彼女はいま隣の部屋で、あの服を着ているだけだというのに。
そのまま出ていってしまうような気がした。
何せ春の風が吹く頃に咲く花の色なのだ。その暖かな風に乗って、飛んで行ってしまうかもしれない。そう思ったら、居ても立っても居られなくなって、おれはドアに向かって駆け出した。
行かないでくれ。
慌ててドアを開けると、そこには驚いたような顔をしたフリィが立っていた。
「び、びっくりしました。どうしたんですか、オイ」
「いや、その。フリィがなかなか戻ってこないから」
もごもごとそう言うと、彼女は、ちょっと困ったように笑って背中を指差した。
「それが、後ろのボタンに手間取ってしまいまして。私、身体が固いみたいなんです。全然届かなくて、難儀しました」
「あ、あぁ、すまない。そこまで考えなかった」
そこでおれは初めて女の服というものは、後ろにもボタンがあるものだと知った。試しに自分の背中に手を回してみたが、確かにこれは少々難しいかもしれない。
「ですから、オイ」
「……何だ?」
背中の、かゆいところに手が届かない時のような姿勢になっているおれの、脇腹をちょいちょいと突きながらフリィが言う。
「今度これを着る時は、後ろのボタンをオイが留めてくださいませんか」
「かまわないが」
「よかった。それで、その、いかがでしょうか」
「いかが、というのは?」
尋ね返すと、彼女はおれから数歩離れてその場でくるりと回ってみせた。
「似合いますか」
長いスカートが、彼女の回転に合わせてふわりと膨らみ、止まると同時にすとんと落ちる。それと一緒に彼女の髪もまた揺れ、右耳の上につけている髪飾りがきらりと光った。
「とてもよく似合う。まだ寒い季節なのに、ここだけ春が来たみたいだ」
この屋敷の庭にだってきれいな花が咲くんだ。
旦那様は「食べられない物を育てるのは無駄だ」とおっしゃっていたが、どうやら種が勝手に飛んできていたらしい。どうせ育てるのはおれなのだし、旦那様は庭に来ることもなかったから、少しずつ少しずつ数を増やしたのである。
「実は、その服を選んだのはおれじゃないんだ。店主が勧めてくれたものでな。ただ、暖かくなったらここの庭にそんな色の花が咲くんだ。おれはその花が好きで。それで――」
それで、と重ねて言って、言葉が詰まる。
それで、何だというんだ。
おれは、フリィに何を伝えようとしているんだ。
それで? と首を傾げながら、彼女が近づいてくる。
「それで、その」
おれの前に立ったフリィが、その小さな手で、おれの手を掴む。白くて柔らかな、けれども日々の水仕事で指先が少し荒れてしまっている手だ。それでもおれよりもずっと
「その花をフリィに見せたい。一緒に見てほしい」
せめてそれまででもここにいてくれないかと、そう言った。いつかは出ていく。それはわかっているし、覚悟もしている。だけれども、せめてあの花が咲く頃まででも。本当にきれいな花だから。あの庭に似つかわしくないくらいにきれいな花が咲くから。
「何をおっしゃるんですか。いつまでも、ここにいます。その花が枯れる季節になっても、ずっとここにいさせてください。また次の年も、その次も、ずっとその花を一緒に見ましょう」
「いてくれるのか」
「オイさえよければ」
「おれは――、そうだな。ええと、その、出来れば、長くいていほしい。と思う」
「長く、というのは? 一年ですか? 二年ですか?」
その声が震えていることには、気づいていた。
くるくると色を変えるその不思議な瞳から大粒の涙がこぼれていることも。それをおれが拭ってもいいのだろうかと少しだけ悩んだが、せっかくのきれいな服にシミがつくのが忍びなく、袖でそっと吸い取ってやる。
「フリィさえよければ、その、ずっと。もし、そこにニカとアルマもいたら、もっといいと思う」
家族みたいで、とは言えなかった。
だっておれ達は、全員が他人なのだ。
たまたまここで出会ったというだけの他人の集まりだ。
フリィは逃げて来ただけだし、ニカとアルマもここにいれば屋根もあって飢えることもないからいるだけだ。都合がいいから、ここにいてくれるだけなのだ。
期待するな。
何も。
だけど、フリィは言うのだ。
「ずっといます。あなたと。ニカとアルマもきっと一緒に。私達、もう家族ですよ」
と。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます