9

翌日。GW八日目、もう終盤だなぁ。我ながら予想通り何もせずに過ごした気がする。今日が実質初めての外出に近い。もうそれほぼニートじゃん……。

俺は相原に同行を頼んだ手前、遅刻するわけにもいかずいつもより早めの時間に家を出た。津田沼駅前にバスが到着したのは集合時間の二〇分前。俺にしてはかなり上出来じゃなかろうか。場所は特に指定していないけど津田沼駅集合と言われたときにはびゅうプラザの前だと相場が決まっている。俺はびゅうプラザの扉横で相原を待つことにした。

それで待つことおよそ一五分。ほぼ時間通りに相原が姿を現した。集合場所に対する共通認識はやはりあるらしい。迷うことなくこちらに歩いてきた。

「おぉ……」

「何?ちょっと気持ち悪いよ松島くん」

「いやすまん、相原の普通の服装初めて見た気がして」

相原の服装はピンクのロンT黒のフリルのミニスカート、黒のハイソックスに靴は黒い厚底のパンプスだった。メガネもしていない。オシャレでなくはないし普通に可愛いのだが流行を取り入れてるわけではなさそうな服装。普段俺のことを全く意識していない無防備な服装をしている相原が多少なりとも着飾ってくれば、新鮮に思って声を上げるのも道理じゃなかろうか。

「まぁ今日は人目につくところいくしね……ジャージにTシャツってわけにも行かないでしょ」

「今、初めてお前がメンヘラアカウントの中身だってことを納得したかもしれない。服がなんかメンヘラくさい」

「それ、褒めてる?」

「いや、あんまり褒めてないな。……似合ってるけど」

「ストレートに来るね……まぁいいけど……。それで、どこ行くの?」

「ん?あぁ、ららぽーとまで行こうと思って」

「えーめんどくさ」

「そこをなんとか!」

「ららぽーとで梨紗ちゃんに何買うのさ。もしかして脅迫でもされてる?」

「そんなワケないだろ。俺にだって人並みに感謝の心はある」

「ふーん、そ。松島くんもたまには考えてるんだね」

「なんだそのいつもは何も考えてないみたいな言い草は」

「まぁいいや。なんでもなーい。夜ご飯おごりで手を打つよ」

ふっ、たかられることを想定していない俺ではない。にしてもこいつ夕飯食うつもりでいたのかよ。思ったことが思わず口に出てしまった。

「そんな遅くまでいるつもりだったのか」

「せっかくららぽーとまで行くなら私も見たいもの色々あるしね。それに、どうせ家帰ってもご飯ないし」

一瞬、ほんの一瞬だけ悲しそうに目を伏せたように見えた。触れちゃいけないところだったろうか。心配する俺をよそに、次の瞬間にはいつもの相原に戻っていて、相原は改札へ向けて歩き出していた。

「それじゃそういうことで。よろしくね〜」

「あっおい待てよ」

しかし相原はどこ吹く風でスタスタと改札を通ってしまったので、仕方なく母さんに『夕飯食べて帰る』とメールを送って後を追う。梨紗と違って容赦なさそうだしなぁ……今月まだ五日も経ってないのに、お金、足りるかなぁ……ってなんかカツアゲされてるみたいだな……。


「こんな短期間で二度も来ることになろうとは……」

前回と同じように南船橋駅の改札を出る。昼過ぎかつ連休中ということもあってか、前回来た時とは比べ物にならないほど駅から続く道ですら人でごった返していた。

「ひ、人多いね……」

改札を出るなりなぜか及び腰になっている相原。あからさまに顔色が悪い。

「まさかとは思うけど……お前人混み苦手な人?」

「人混みが得意な引きこもりはいないと思う……」

「お前はいつから引きこもりになったんだ……」

「え?私基本的にママに学校は行けって言われてるから行ってるけどその他の日は常に引きこもってるよ?そうでなきゃツイッターのフォロワーが五千人も行くわけないじゃん」

さらっと重大情報を言ってのける相原。相変わらず腰が引けている上になんだか足が震えている……ように見える。その姿が先日の誰かさんに重なってしまって、ふふっと笑みをこぼしながら、思わず言葉が口をついて出た。

「まぁ、その……袖握るか?」

「……はい?」

「あぁいやゴメン!今のなし!」

何を言っているんだ俺は……。今日の相手は幼馴染じゃないんだぞ、今のは我ながら気持ち悪い。背中に冷や汗が伝うのを感じた。

「松島くんに助けを乞うことになるとは……屈辱だよっ……」

そんな俺の予想に反しておどおどと袖を握ってくる相原。頬が羞恥に染まるこいつは初めて見たやもしれん。向こう数十年は見れないまであるのでしっかりと心に刻みつけておこう。そんなに見れないのかよ。ハレー彗星がなんかか?

「そ、それじゃあ行こっか……」

「お、おう……」

急にしおらしくなった相原に上手く対応できない。その付き合いたてのカップルみたいなのやめろ?ギャップ萌えって言うんだぞこういうの。気をつけろよな、俺が何度もスパムアカウントとエロサイトに騙された男じゃなきゃ絶対勘違いしてるぞ。

「な、何から見に行きたい?」

「と、とりあえず松島くんの行きたいところ行ってからにしよ……」

いかん、返答が互いにぎこちなすぎてなんか恥ずかしくなってきた……。躊躇いを振り切るように、若干の袖にかかる重みで相原の存在を確認しながら人の波に飛び込む。どうか歩いているうちにこの気持ちが薄れますように……。


「おぉ、ここだここ」

人の間を泳ぐこと一〇分弱。やっとの思いで以前の店にたどり着いた。

「へー、結構いい趣味してるじゃん松島くん」

「男子高校生がこんなオシャレな店知ってるわけないだろ。前に梨紗の付き添いできたんだ」

「前言撤回。てことは梨紗ちゃんに送るっていうのは……」

「その時欲しそうにしてたペンダント……の近くに置いてあったアクセサリーっすね……」

「もう決まってるじゃん……。それ、私来る必要あった?」

「まぁ女子目線で似合うかどうか鑑定して欲しかったんだ」

「はあ……さいですか」

明らかに幻滅している相原。仕方ないだろ、慣れてないんだよこういうの。俺は相原を連れてさっさと中に入る。見たことあるような顔した店員が「ヘタレヒモ金欠のくせに別の女連れてきてんじゃねーよ」という目をしているように見えなくもないがこの際無視だ。俺の自意識過剰ってことにしておこう。記憶を頼りに梨紗が見ていたあたりの机を見てみる。

「これだ」

おぉ、ちゃんとまだあった、三日月型のやつ。これバレッタって言うらしい。勤勉なので帰ってから調べたんだよ。値段を改めて見てみると二五〇〇円。よしギリギリなんとかなるぞ。ほっと胸を撫で下ろしていると、相原が俺を珍しげな顔で見ている。

「へーぇ、松島くん案外いい趣味してるじゃん」

「梨紗が欲しそうにしてたペンダントは流石に高過ぎて手が出ませんでな……」

 そう言いつつ俺はその隣のペンダントを指で示す。相原は目線を移動させると、顔を近づけて目を矯めつ眇めつしている。

「確かに高いけど、これはいいね。梨紗ちゃんにすごく似合う気がする」

女子の中だとアクセサリーに対しての統一見解も値段的な相場も俺にはよくわからん。まぁこのペンダントを梨紗がしてたら確かに似合のかもしれないとは思うしペンダントがこんなに高いものとも思っていなかったけど。

「やっぱりそうか?数年来のお礼だしそっちの方がいいのかな……」

俺は伸ばしかけていた手を止めて逡巡を始める。そうなると誕生日には間に合わない気がしてくるな……と思っていると、相原は慌てたように前言撤回を図る。

「いやいやそんなことないって。女の子はくれるものはなんでも喜ぶもんだよ‼︎それに高いのとか送られても多分アレだし」

「アレってどれだよ……怖いわ……。テレビでよくウン万円のバッグをプレゼントして〜とかやってるじゃん……。まぁ今は関係ないしなんでもいいか。すいません、これください」

これ以上いれば店員さんに呪い殺されそうな気がしてきたので、俺は手早く用事を済ませるべく財布を出して会計をすませることにした。

「二七〇〇円になります」

オイ、税別かよ。


「ありがとうございました〜」

金欠浮気男(相手方がどう思っているかはさておき断じて違うことを宣言しておく)が散財したことでおそらく今日イチ機嫌がいいのであろう店員さんの明るい声に押されながら、俺らはアクセサリーショップを出た。あいつ、いつかまた会う機会があったら絶対殴る。

すっかり寂しくなった財布を手でこねくり回しながら歩を進める。中には野口英世氏が一枚に小銭がいくらか。はぁ。津田沼で往復の運賃をチャージしておいてよかった。南船橋から歩くことはなさそうだ。ちらっと時計を見ると、まだ三時にもなっていない。少し早すぎたかな。

「はー終わった終わった、肩の荷が下りたぜ」

「ほんとにこれだけなんだ……なんで私を呼んだんだ……?」

「アドバイザーだな、あと俺一人でこんなとこ来れないし……」

「松島くん……もしかして引きこもり予備軍?」

「お前と一緒にすんな。なんかあそこの店員俺のこと目の敵にしてる気がするんだよな……」

「さすがにそんなことは……いや、あるかもね……」

「あるんだ……」

「ま、まぁとりあえずそれは置いといて!まだ時間あるし今度は私のウィンドウショッピングに付き合ってもらおうかな」

そういうと相原はくるりと背を向けて歩き出した。はぁ……まぁ、あのお店今後行く予定ないからいいんだけどね……。

その後、俺は相原の行きたい店に付き添って、相原は適当に服を見ていた。あとは書店も行った。こいつも案外本を読むらしい。ただ、頑なに買うことだけはしなかった。曰く『店員さんと話すのが億劫だから良さそうなのを見つけて、帰ってからネットで買う』そうだ。梨紗ですらまともに店員さんと会話できるのに……。まぁ、人それぞれということにしておこう。

相原の梨紗が見たがっていた服とはだいぶ系統が違うらしくて前に来た記憶があるところはほとんどなかった。ゴスロリとか、梨沙が着そうにない際どい服とか。俺が入れそうにない店を相原は気にもとめず次々と回っていく。

「ランジェリーショップ行きたいんだけど」

「おちょくってるだけだよなぁ⁈」

……実際はこんな感じで遊ばれてただけなんだけど、まぁ許すことにしておく。そもそも今日頼みこんだのは俺だしね。相原は楽しそうに俺の数歩前を歩いている。時々口ずさんでいるのは好きな曲かなんかだろうか。

 何はともあれ、相原の買い物(?)につき合うこと二時間ちょっと。

「もう見るもんないよ私」

「ん、そうか」

時間を確認すると、今は五時半を少しすぎたところだった。道ゆく子連れの家族がなにを食べるか楽しげに話している。まぁ、五時半ならご飯を食べる時間として許容範囲か。

「少し早いけど夕飯食べるか、今日土曜だし早めに言った方が混まないだろ」

「今日土曜なんだ」

「曜日感覚ないのかよ……」

「連休とか長期休みって今日が何曜日か気にしないと思うの」

 最近こいつの論理武装済み屁理屈に言いくるめられがちな気がするけど一理ある気がしてくるのが厄介なんだよな。

「何か食べたいものあるか?」

「超高級湯豆腐」

「ほんま今日だけは勘弁してくださいマジで」

 なんだって女子は俺に高いもんを奢らせたがるんだ?どう見ても素寒貧じゃないか。俺は心の隅っこでラーメンと言い出してくれないだろうかと淡い期待を抱きつつ相原に赦しを乞う。てかららぽーとに超高級湯豆腐食えるところないだろたぶん。ふっと顔を綻ばせてから相原は言葉を続ける。

「嘘だよ嘘。そうだなぁ……ラーメン食べたい」

「は?なんだって?」

「だからラーメンだって」

「イ、 イタリアンとかじゃなくていいのか」

 イタリアン行ったら確実に破産することは棚に上げておきつつ俺は恐る恐る質問してみる。だって花の女子高生だぜ?間違いなく日本国内カースト堂々の最上位層だぜ?ラーメンなんていう庶民料理を御所望なさるなんて…。ところでじょしこうせいって女子『高』生なのか女子『校』生なのかわかんないよね。

「いや女子高生だってラーメンくらい食べるし…それになんか松島くんラーメン食べたそうな顔してるし」

「ちょバカお前しょんな顔してないし?」

 図星を突かれて噛んでしまった。やっぱり表情を引き締める練習をするべきか。

「それに、女の子は基本的に一人ではラーメン屋入る勇気ないから、遊びに行くときにラーメン屋誘ったりすると案外点数高かったりするよ?」

「そ、そうなのか……」

 女子ってのは難しいんだな…。頭の隅っこに留めておこう。まぁ出かける予定はないんですけど。だいたい誰の何の点数だよそれ。


「「ふぅ〜」」

早めに行けば混まないと踏んだラーメン屋もそれでもやっぱり多少並んでいて、待つこと一〇分少々。席につくなり二人して疲れを吐き出すように大きく息をした。

「人、多いねぇ……」

「あぁ、そうだなぁ……」

「なんか松島くん疲れてない?やっぱり引きこもり予備軍?」

「ちげえよ、どこかの誰かが俺のことおちょくり続けやがったからだよ……」

「だって顔真っ赤にして目を逸らしてる松島くんおもしろくて……ぷっ」

話している最中に堪えきれず吹き出す疲れの原因を作った容疑者は、悪びれる様子もなく果敢に攻勢をしかけてくる。

「しかも松島くんは何度も私の下着姿みてるはずだしね〜 」

「はあ?何言ってー」

相原に指摘されてそのことを不意に思い出し、口籠る羽目になったので、話題の転換を図る。

「そ、それは不可抗力といいますか不特定多数にたまたま入っただけといいますかええ、はい、そういばあのアカウントまだ動かしてるのか?」

「え?うんまぁたまにね。ほれ」

イエス。ミッションコンプリート。俺の決死の作戦をよそに、相原は『ゆめこ』のアカウントを表示して見せてくる。一番上には、俺の袖とそれを掴む相原の指の写真が『彼氏にエスコートされながらデートなう♡』と表示されていた。

「ちょ、おま、何して」

「大丈夫大丈夫。どこかはわからないように背景ぼかしてあるし……あ」

「なんだ」

「梨沙ちゃんって……このアカウント……見れるのかなって……」

「もう少し気づくのが早ければなぁ……」

そう、個人情報が漏れるのはどうでもいい。正直言ってその辺の男子高校生Aだし、それ以上は何を絞っても出てくるものはない。問題はそこではなくて……。

悩み果てる俺の元に、示し合わせたかのように電子音が鳴ってメールの通知が来る。ちらっと見てみると、『ばか』とだけ書かれていた。

「うぉう、やらかしたなぁ……ってあれ?」

スマホをポケットに戻そうとする手前、今しがた音がしたのはどうやら俺だけではないということに気づいた。ふと今手に持っている相原のスマホを見ると、ツイッターのダイレクトメールに通知を知らせるアイコンがついている。

「ほれ相原、なんか通知きてるぞ」

「えぇ……?なんだろ」

相原は俺の手渡したスマホを幾度かタップすると、さっと顔が青ざめた。

「っ……」

「変な写真でも送られてきたか?」

「そ、そうじゃないから大丈夫!全然大丈夫だから……」

 女性経験と呼べるものがほとんどない俺でもわかるくらい明らかに相原は動揺していた。わかりやすすぎるだろお前……。

「いやどうみても大丈夫じゃないだろ……」

「ぅ……」

「ヘイ豚骨ラーメン二丁お待ち!」

 問い詰める俺をラーメンが遮った。なんかこう言うとラーメンがすごいイケメンに感じるし俺が悪者に聞こえるから不思議だ。どっちもメンだし似たようなものだ。この機を逃さずに、相原は追及の手から逃れようとする。

「さ、さぁ食べよう!」

「いやお前な……」

「いつか……いつか話すから、さ」

 そう相原は寂しげに言った。いつもの威勢はそこになくて、風雨を凌ぐ小動物が小さく縮こまって、少し震えているような感じすらした。そこまでされてしまえば、俺も糾弾の手を緩めざるを得ず、黙り込んでしまう。相原が言いたくないのなら、それを俺に強要することはできない。そもそも相手の嫌がることなんてやりたくもない。

俺にできることは気にしていないことを伝えることだけなんだと思った。だから、あえて大袈裟にずるずると麺を啜って、明るく相原に話しかける。

「いただきますっと。ん、相原、これ結構美味いぞ」

「え?え?あっうん」

 相原も若干面食らいつつおずおずとちゅるちゅる麺を吸い始める。

「……‼︎」

 徐々に相原の食べる速度が上がってゆく。俺と同じくらい…いや食べ終えたのがほぼ同時だから終盤はこいつの方が早いな多分。ラーメンを食べ終えるて箸を置くと、何やら言いにくそうにもじもじしている。

「ま、松島くんあのさ……」

なんだろ、食べて満足したから話す気になったのかな。

「替え玉頼んでいい?」

 ……こいつ。俺の淡い期待を返せ。

 とは言うものの買い物に付き合う代償として夕飯を差し出したのだから相原の頼みは無碍にできない。今日くらいはご馳走してやろう。自分の全財産をぱっと思い出す。ここのラーメンがいっぱい八〇〇円しないくらいで、替え玉は一〇〇円ちょいだから……。

「だ、大丈夫だ。好きにしろ」

 うなずくことにした。相原に二玉まではおかわりされても破産しない算段だ。どうか相原が大食いじゃありませんように!と心の中で夢乃大明神を拝んでおいた。

「なんかすごい失礼なこと考えてる気がする……まいっか。ところでさ」

「次はなんだよ何が望みだ」

「て、店員さんに話しかけられなくて……」

「なんでそういう絶妙なタイミングで社会不適合ぶりを露見させるんだ……」

 ちなみに、こいつは結局替え玉を二回して無事に俺の財布をすっからかんにした。 


 それから大体一時間が経つかというころ。俺と相原は津田沼駅から腹ごなしに徒歩で家に向かった。嘘ですごめん。帰りのバス代を考慮してませんでした。一人で歩いて帰っても良かったのだが、相原がついてくるというので一緒に歩くことになった。どちらにせよ俺がバス代を持っていれば歩くことにはならなかったはずなので、とりあえず詫びを入れておこう。

「なんか悪いな、付き合わせちゃって」

「別にいいよ。だいたい替え玉頼まなければバスで帰れてたしね……。それに軽く散歩しておきたかったし」

「ほんとだよな、どこにそんな麺が入ったんだ……?」

「女の子だって食べるときには食べるの。覚えといた方がいいよ」

「そういうレベルかねえ……?」

 他愛のない話をしながら道を歩く。六時を過ぎた五月の空は暗く、日中にため込んだ熱が徐々に放出されて、少しずつ涼しくなってゆく日没の頃は長袖でいると本当に心地良い。西の隅の方だけがほんのり茜色に染まっている空に、一筋の飛行機雲が切れることなく伸びていた。

「なあ相原、契約の進捗はどうなってる?」

「は?契約」

「あの……ほら、相原に友達を作ってやる〜みたいな?」

 あの時のことを思い出すと恥ずかしくなってきて自然と声が小さくなっていく。

「あ〜そういえばそんな話もあったね」

思い出したように相原が呟く。こいつ忘れてやがったのか、なら言わなきゃよかったな。

「そうだね……今のところは順調なんじゃない?梨紗ちゃんとそれに優衣たんと仲良くなれてるし。しばらくは……」

 そこまで言うと、途端に相原の表情が曇る。先刻まで俺の眺めていた飛行機雲の先端を追うように目をすがめて、やがて口を開いた。

「うん、しばらくはこのままでいたい、かな」

 そう言い切ってから相原は笑いながらこっちを振り向いた。見るものが一瞬息を飲んでしまうような、美しいという言葉が似合う彫像じみた笑顔だった。

「だからこれからもしばらくよろしく頼むよ?松島くん」

「仕方ねえなあ」

 俺ら高校生なんて、きっと未熟なガキンチョに過ぎないんだろう。だから女の子にとびきりの笑顔でお願いされたあかつきには天地がひっくり返っても叶えてあげたいと思っちゃうよね。なにが言いたいかって?そんないい笑顔されちゃったら断るもんも断れないだろうがよってことだよ。これからもよろしくお願いされましょう。どうか内心を悟られませんように。そう思いながら顔を相原からそむける。表情とか見られたくないからな。

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