第21話 自分を誇ってよい

「玲は今日の主催、綾部光蔵陸軍中将夫人の子息なのだ」

 気まずそうな顔をしていた子槻が、うかがうように春子を見てくる。

 西洋式の夜会は夫人が主催するものなのだそうだ。場所は平民の春子でも知っている緑悠館。各国の要人をもてなすため、そして大東和帝国が近代国家であると示すために造られた、洋風建築の館だ。そう子槻から聞いていたから、玲の姓を聞いたときから主催の血縁者なのだろうとは思っていた。

「息子といっても三男だ。まったくたいしたことはないよ。期待もされていないしね。本当は髪も伸ばしたいんだが、親の七光でも許されなくてね。何のための七光なのか。こんな田舎坊主みたいな髪形じゃあご婦人に振り向いてもらえないだろう?」

「玲」

 軽く笑った玲に、子槻が真剣な表情で言葉を重ねる。

「自分で自分をおとしめるものではないよ。君の悪い癖だ。君はもっと自分を誇ってよい」

 玲は面食らったように子槻を見つめて、またたいて、吹き出した。

「かなわんな。相変わらず。では俺は君からその自信の半分くらいもらうとしよう」

「半分といわずもっと持っていくとよい」「いらないよ」と押し問答しているふたりを見て、きっと中学校時代からこのような感じだったのだろうと、春子は口元が緩んでいた。

「さて、そろそろ俺はおいとまするとしよう。子槻、春子さんから目を離さないようにな」

 玲が言葉の最後、真面目な顔になり声を落とす。雰囲気を感じ取った子槻が眉をひそめる。

「言われなくても離さないが、何かあるのか?」

「例の夜会荒らしが紛れているかもしれない。警察も呼んであるので大丈夫だとは思うが」

 夜会荒らし、とは春子も新聞で見たことがある。最初に子槻を差し金だと間違えた、西洋かぶれを断罪するという団体の犯行だ。放火や無差別な人斬りで夜会を潰しにくるのだという。

「警察がいるから安全なのではなかったのか? だから春子を連れて来たのに」

「大丈夫だとは思うが、念のためだ」

 にわかに顔を曇らせた子槻が、春子を見下ろしてくる。

「春子、帰ろうか。君を危険にさらすわけには」

「え、あの、まだまったく香水を宣伝できていませんし、さすがにそれは」

「春子に何かあってからでは遅いのだ」

「ええと、わたしはせっかく来たので、宣伝したく存じます」

 そうしないと、苦しいコルセットと恥ずかしい洋装に耐えた意味がなくなってしまう。

 子槻は危険を回避するために春子の意見をしりぞけるか、春子の意見を尊重して危険を許容するか、泣き出しそうな顔で葛藤しているのがよく分かった。多分どちらもつらいのだろう。

「宣伝、したく存じます」

 春子がだめ押しで子槻を見上げると、子槻は苦悶の表情で目を伏せて、「分かった」とか細い声をもらした。


 綾部中将夫妻へあいさつを終えたのち、子槻はつぎつぎと参加者へ話しかけていった。そのたび春子は紹介され、あいさつをし、子槻のチョッキのポケットから小さな香水瓶を出してもらって、桜の香水の説明をした。

 紳士だけのときもあれば、春子と同じ年頃の貴族令嬢とその家族に説明するときもあった。子槻は話しかけられることも多く、春子は子槻の人脈の広さに感心してしまった。

「ああ、水谷男爵夫人」

 貴族令嬢への説明を終えて春子が息をついていたとき、子槻が人影を認めて歩き出す。西洋式で春子は子槻の腕に手をかけたままなので、一緒についていく。

「あら子槻さん。ごきげんよう」

 深緑のバッスルドレスにたたんだ扇子を持った中年の婦人が、柔和な面持ちで佇んでいた。

「お変わりなく何よりです。ああいえ、今日は一段とお美しいですね」

「相変わらずお世辞のお上手なこと」

 おかしそうに微笑んだ婦人に、やはりお金持ちの男性はお世辞を言うのが常なのかもしれない、と春子は思った。子槻の場合は本心なのかもしれないが。

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