第20話 不純な目で
「それにしても、よく似合っているよ。わたしの予想以上だ」
子槻が柔らかく目を細めて見つめてくる。春子は思わず子槻の腕から手を離して、体ごとそむけていた。
「み、見ないでください!」
ドレスという洋装の問題点はもうひとつあって、背中と肩と胸元がやたらとひらいているのだ。心もとなくて落ち着かないし、何より恥ずかしい。髪もきっちり結い上げられてしまったので、隠せるものもない。
「それは難しい注文だな。だがたしかにわたしも君をほかの参加者に見せたくない。どこから春子に見とれてやって来る不届き者がいるか分からない」
「そういうお世辞は結構です!」
さらに恥ずかしさを上塗りされてしまい、首から頬が熱くなる。おそらく子槻はお世辞ではなく、本気で言っているので手に負えないのだ。
「お世辞などではない。わたしは本気で」
「分かりました、分かりましたからもう結構です!」
案の定、不満そうに口をとがらせた子槻から春子が自分の精神を守っていると、こちらへ近付いてくる人影が目に入った。紺の軍装に短く刈りこんだ頭をした青年で、軽く手を上げてくる。
「久しいな子槻」
目の前までやって来た青年に、子槻は表情を明るくした。
「ああ久しいな玲(れい)。いつぶりだろうか」
「正月以来じゃあないか? まあそんなにひんぱんに会う間柄でもないしな。生き別れの兄弟じゃああるまいし」
軽やかに笑った青年は、春子へ視線を止めてくる。子槻が気付いて、青年へ手を向けた。
「春子、こちらは友人の綾部玲だ。中学校時代の悪友だよ」
「おい、悪友とは聞き捨てならないな」
「櫻井春子と申します。はじめまして」
腰を折ってから、西洋式は片足を後ろに引いてひざを折るのだった、と思い出した。慌ててやり直そうと顔を上げると、玲は納得したように手を打った。
「ああ、君がくだんのお嫁さんか」
「く、くだんの?」
「いつも子槻が言っていた春子さんだろう。ようやく会えて嬉しいよ」
(ここでも言いふらされている!)
春子が子槻にけげんな目を向けると、子槻はにこやかに首をかしげてみせる。まったく悪びれていない。
「さすが子槻がずっと想い続けていた人だな。とても愛らしい。まさに春の野に咲く花のように可憐だ」
「そうだろう。春子はとても可憐でとても愛らしいのだ」
「と、とんでもないことです!」
さらりと微笑みと共に殺し文句を放ってくる玲に、春子は思いきり首を振る。追随した子槻はまた本気なのかもしれないが。お金持ちの男性は歯の浮くようなせりふを言うのが当たり前なのだろうか。
「ドレスもとてもよく似合っているね。愛らしいのに何だか色気がある」
驚いてとっさに両肩を抱くと、子槻が一転して鋭い目を玲に向けた。
「玲。春子はわたしの妻だ。嫌らしい目で見るな。春子、玲は硬派そうに見えて、実はとんでもない軟派男なのだ。気を付けたまえ」
「子槻も人のことは言えないだろう? さっきから春子さんの首筋をちらちら見ているくせに」
春子は思わず首筋を押さえて子槻から飛びのく。
「な、何を! わ、わたしはけけ決してそんなことは」
「じっと見つめている俺より、ちらちらと見ている君のほうがずっと嫌らしくてたちが悪いと思うね」
「わたしは春子をそそそんな不純な目で見てなどいない!」
「ああああの! 綾部さまは軍人でいらっしゃるのですか?」
これ以上、話の渦中にいるのが耐えられなくて、春子は無理やり遮っていた。子槻が気まずそうに顔をそらし、玲が微笑みかけてくる。
「俺は軍人でなくて士官候補生だよ。軍人と名乗れば張り倒されてしまう」
「そ、そうなのですか。失礼しました」
春子は軍装に明るくないので、それらしい格好をしている人は皆軍人なのだと思っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます