事故物件 肆
佐野幹博のアパートの室内は陰鬱な穢れに満ちてた。
何者をも寄せつけさせないその感じは、まるで性根の腐った部屋と言うべきなのだろうか。
幹博の友人である白根達也をアパートに着くと、部屋の中へ招き入れてくれた。
幹博のその顔はやつれきっており、まるで死人のような顔色であった。
「佐野、大丈夫かよ⁉ 顔色が真っ青だぞ」「ああ、大丈夫。心配はいらない。ただの寝不足なんだ」
達也がどうしたのかと訊ねると、眠れない日々が続いていて寝不足なのだということであった。
深夜のさまざまな騒音に悩まされていて、苦情の電話を管理会社へ入れたのだが、このアパートの隣の部屋も真上の部屋も空室だと伝えられたのだと幹博は言った。
「マジかよ⁉ 空室でなんでそんなに騒音がするんだ⁉ この部屋マジヤバイんじゃねーの⁉」
「何だよそれ。 まるでこの部屋が事故物件みたいないいぐさだな」
「管理会社は何だって言ってんだよ」
その後も深夜の騒音は続いたので、管理会社が近いうちに空室を確認しに来てくれるのだという。
騒音は深夜の二時過ぎから決まった時間で繰り返されているのだというのだ。
壁の黒い染みもだんだんと大きくなり、人の形にも見えなくもない。
見るからに薄気味悪さしか感じないこの壁紙も、何度か管理会社に言って壁紙を張り替えてもらったのだが、数日後には今と同じように黒い染みが浮き出てきてしまうのだ。
「それにしてもこの壁の染みはエグいな。まるで人間の男みたいなデカさこ染みだ」
「何度も管理会社には貼り替えてもらったんだけど、直ぐにこんなふうに染みが表れるんだ」
白根達也は佐野幹博の部屋の中をスマホで写真を撮り始めた。
一通り部屋の中を撮影し終わると今度は一枚いちまい念入りに画像を確認した。
どの写真にも紅い帯状の光線が写り込んでいた。
写真全体が真っ赤になっていたのが、黒い壁の染みを撮影した写真であった。
「何故こんな手の込んだことをするんだ!?」
幹博は苛立った口調で言った。
「はあ⁉ 俺は何にもしてねーし」
しかし、白根達也はこの写真に何も手を加えていないし、スマホで撮影した写真を今、始めて確認しているのである。
「幹博の部屋を写したこの写真は、俺のスマホのカメラが壊れているからじゃない。他の写真は何ともない物もあるしな」
「じゃあ、この紅い帯状のものは何なんだよ!」
「はっきりとは分からないけど、幹博がよく”怨念”や”悪霊”とかは写真に真っ赤な光みたいなものが写り込むっていっていたじゃないか?」
「俺の部屋に”怨念”や”悪霊”が居るっていうのか? もういい! 白根は帰ってくれ!」
幹博は突然、人が変わった様に怒り出した。
白根達也は半ば追い出されるように、幹博のアパートを出た。
「どいつもこいつも皆で俺のことをバカにしやがって!」
幹博は独り言のように怒りを部屋の中でぶちまけていた。
幹博は悪態をつき続けている。
何故、こんなに腹立たしいのか自分でも原因が分からなかった。
怒りの衝動を抑えることができず、雑誌を床に叩きつけたり、ゴミ箱を蹴り上げたりした。
全て、深夜の騒音のせいなのだ。
自分は何も悪くない。
あの騒音がなければ、白根達也ともこんなふうに接したりしなくても済んだのだ。
どうしても、怒りを抑えることができないのは騒音で寝れない日々が続いているからだ。
誰かが、俺に嫌がらせしているに違いない。
俺を困らせるために、毎晩あの忌まわしい騒音を立てているのだ。
俺がこのアパートに引っ越してきたことが気に食わない奴が、俺に嫌がらせしているはずなんだ。
もしかしたら、管理会社もぐるなのかもしれない。
本当は隣の部屋も上の階の部屋にも住人が居て、俺には空室だと言っているのかもしれない。
皆で俺を陥れようとしているに違いない。
間違いない。
絶対にそうなんだ。
白根も俺を怖がらせるために、スマホの写真を加工して心霊写真に仕立てたのかもしれない。
いままで、友達だと信じていたのに。
俺を裏切りやがって、俺を怖がらせてこのアパートから引越しさせようとしているに違いない。
何で、皆で俺を苛めるんだ。
俺は何も悪いことしていないのに。
憎い!
皆、死ねばいい!
こんな仕打ちを受けるようなことをしていない。
もう、誰も信用できない。
自分以外を信用するからいけないんだ。
信用するから裏切られたりして、悲しくなったりつらくなったりするんだ。
なら、誰も信じなければいいんだ。
そうすれば、裏切られてつらい思いをすることがないのだから。
そうだ!
そうなんだ!
何でもっと早く気が付かなかったんだろう!
あいつらは皆、悪の遣いなんだ。
俺を駄目にしようとしているんだ。
そういうことか!
そういうことだったんだ!
幹博は自分の考えにふけっていた。
重く憂鬱な頭が冴え渡るような感覚だった。
ようやく難問を解いたときの感覚に似た達成感のようなものが込み上げていた。
爽快な気分を感じながら、幹博は部屋のカーテンを閉めた。
自分を監視している連中が外にいるからなのだ。
声も発しないようにしようと思った。
誰かが盗聴していて、自分の会話を記録しているに違いないのだ。
もう、誰にも己の隙を見せたりはしないとそう心に強く誓った。
自分を守ってくれるのは所詮、自分自身でしかないのだから。
幹博はベッドの上に横になり、黒い壁の染みを飽きることなく見詰めていた。
用心深い猜疑心の塊のような視線は、いつまでも黒い人の形に向けられていた。
「お前のことも当然、信用していないからな!」
幹博は人の形に見える壁の黒い染みに向かって、心の中でそっと呟いたのだった。
#ホラー小説
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