02-abuse(3)


 キャンキャン鳴く犬、そして卑しく笑う男。それをじっと見つめていたのは無武むぶだった。

 男は、犬に暴力を振るっていた。殴る蹴る、そして、


「お前、サイテーだな」


 冷たい声に振り返れば、男は無武の目力に怯んだ。無武は無表情で男を見ている。虐待を受けていた犬は、身体を引きずるようにして無武の足元に寄っていく。犬にも、自分を助けてくれる人間の見分けがつくのだろう。

 男が、自分はソレの飼い主だと言い張り、陳腐な言葉を並べ始めた。その様子にすら反応しない無武むぶは犬を抱き上げて近くに置いていた籠に入らせた。犬は少しの間落ち着きのない様子で匂いを嗅いでいたが、気が済むと安心したように足を伸ばし寛ぎ始めた。

 犬の様子を優しい表情で確認した無武は、男に向き直ると再び表情を消した。


「お前なんて生きてる価値ないよ。まあ、栖田すたが怒るから殺さないけど」


 そんなことを呟きながら男に近寄ると、素早く背後に回り男を引き倒す。そして、馬乗りになると腕を極め、肩を外した。

 男の絶叫が辺りに響く。無武は気が済んだように、男から離れようとした。そこで気づく。


(この男、もう一匹動物を飼っている……)


 無武は動物好きが過ぎるせいか、野生的過ぎるせいか、細かい毛であってもそれが同じ動物のものなのか見分けがついてしまうのだ。


(両肩外されるなんて、可哀そうに)


 感情の全く籠っていない呟きを胸の内で吐き出してから、男を放って犬の入った籠を拾い上げた。犬は気を失っているのか、寝ているのか分からなかったが、確かに息をしていることに安心した。


「先生に診せに行かないと」


 その声色は、驚くほど優しかった。







「じゃあ、やっぱり」


「うん、被害者だったよ。『悪ガキ殺し』の」


 笛地ふえじは、業者をあたった帰りにそのまま例のバーに来ていた。そう、と呟くように零した栖田すたにカクテルを注文し、水を渡された。


「今日も、行くから」


「効果ないけど?」


「なくても、やる」


 朝早くに戸端とばを送り、その後人探しの依頼を受け、戸端を今度は家に送り届けたあと、業者に会ってここに来ているので、寝不足なのだろう。昨日の夜もきっちりパトロールをこなしていた。


「じゃあ、ちょっと今から寝させて」


「そうね、上のソファ使っていいから寝なよ」


「どーも」


 規則正しいリズムで階段を上る音がする。その音がちょうど止んだ時、二階の部屋のドアが開く音に合わせて、ゆっくりバーの扉が開いた。


「無武、珍しいね」


「ダメだった?」


「ダメじゃないけど」


 ゆったりとしたスピードで椅子に座り脚を組む。それを栖田すたものんびりした気持ちで見ていた。


戸端とばくん、今日見かけたんだけど」


「……まさか、興味持ってる?」


「あは、笛地ふえじと同じ顔してる」


 栖田も、今朝笛地が考えたことと同じようなことを考えたのだろう。無武むぶの目をじっと見つめ、何かを語ってくれるのを待つ。


「何待ち?」


「え、なんか情報あるのかと思った」


「情報はこれからだよ」


 牛乳、と注文しながら手を出す。それに適当に返事をして冷蔵庫から牛乳瓶を取り出した。牛乳瓶とグラスを並べて無武の前に置く。無武はグラスをあっさり無視して瓶から直接飲んだ。

 一気に飲み干すと、左手人差し指を立ててもう一本、と強請る。それに呆れたように溜息を吐きながらも、冷蔵庫からもう一本取り出し、並べて置く。


「明日上手くここに連れて来られないかな」


「笛地に頼めばいいんじゃない?」


「じゃあ頼んどいて」


 自分で頼みなよ、そう言いながら無武が椅子から立ち上がるのを眺める。

無武は、再び一気に牛乳を飲み干して、音を立てて瓶を置いた。そして、何故か手首を回し始める。


「え、なに」


「今日のパトロール、パス。ぼくの方でやることがあるから」


「やること?」


「動物虐待。現場を押さえたいから、じゃあね」


 手をひらひら振りながらバーを出ていく。マイペースだなぁ、と呟きながら二本の瓶を流しに置く。小さな口に水道水を流し入れ、溢れさせる。


「この街は、きっといつまでも平和にはなれないんだろうね」


 レバーが下ろされた後、水滴が水面を打つ音がした。









「お疲れさま」


 その声に、どうもと答えた戸端とばの雰囲気が、いつもと違うように感じた笛地ふえじは顔を寄せた。


「な、なんですか」


「いや、なんか声が」


「変でした?」


 確かにいつもより話し方がハキハキしている。しかし、それを気にとめる素振りを見せることなく戸端をバーに誘う。勿論、無武むぶに頼まれたからだ。


「今日は……すみません。すごく眠くて仕事中もウトウトしてしまって。帰って早めに寝たいんです」


「そっか。確かに眠そうだよね」


 そんなことを言った笛地の方が大きな欠伸をする。それを見た戸端が話を振ったことで、話題はパトロールに移った。相変わらずパトロールの成果はなく、今日も遺体が見つかったらしい。笛地らは、そういう情報を市警と業者両方から集めているらしかった。

 あっという間に家の前に着くと、笛地が軽く手を挙げ、戸端が小さく会釈してあっさり別れる。


「なんか、すげぇ嫌な予感すんだよな」


 だから、そのあと鍵を回しながら呟いた戸端のそんな言葉は、笛地には届かなかった。


 いつもなら長い時間背中を見守る目が、今日は無いことに気づいて笛地が振り向く。戸端の社宅の扉を見て、眉をひそめた。

 おかしい、気がした。笛地の戸端への疑いがどんどん加速する。今日の戸端は変だった。確かにそう感じたのだ。でも、曖昧な笑顔で誤魔化された。いや、大体その誤魔化し方が、らしくない気がする。

 出会って間もない相手に、らしいとからしくないとかおかしいとは思いつつも、それでも思ってしまったのだ。笛地は、唇を少し噛んで塀を蹴った。


「荒れてるじゃん、一人?」


 声と共に、肩に体重が降ってくる。またか、と思いながら軽く腕を叩き離れさせる。無武は呑気に何を考えているのか分からない顔で笑う。そんな表情に日常を感じてしまうのが、笛地は嫌だった。


「ごめん、失敗した」


「そんな気がした。イライラしてたから」


「うん、そうだね」


 確かにイライラしていた。人の家の塀にすらあたってしまうくらいに。ずっと引っ掛かっている事があるのにそれが明確にならないことに、ものすごく苛立っていた。笛地はそれを簡単に認めた。


「もしかして、なんか分かった?」


「いや……分かんないことばっかりだ」


「じゃあ、あれだ。変わったことがあった?」


 楽しそうに目を細めて顔を覗き込んでくる無武むぶに、思わず顔を引けば更に寄ってきた。相変わらずの勘の良さと、謎のポイントに引っかかる好奇心に苦笑するしかなかった。


「話し方、違う気がした。口調も声の出し方も」


「へぇ」


 無武はより一層興味を持ったようだった。それに対し、笛地ふえじは頭の中をぐるぐる回して考えていた。もし、戸端とばが犯人なら、自分はそんなやつを助けてしまったのか。自分はそんなやつに騙されてしまったのか。そんなやつに……いや、でも彼は右利きで犯人は左利き。たまに気配に敏感になることはあるが、りに何度も遭うような奴だ、それでは鈍すぎる。それでも、彼は怪しすぎる。笛地に答えは出せなかった。


「相変わらずだねぇ、笛地」


 笑って手を掴む。そして思いっきり手を引いて走り出す。なに、と短く問えば気分転換、と楽しそうに返ってくる。時折見せるこの子供っぽさに救われることがあるのも、事実だった。

 楽しそうにバーに行き、その後パトロールをこなしたこの夜、二人の子供が犠牲になった。

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