02-abuse(1)


 ガサガサ鳴るビニール音から逃げる。縺れる足を必死に動かして、逃げる。でも、逃げた先は、


「ザーンネン、行き止まりー」


 笑う男に、身が震える。少年は考えた。どうしてこんな時間にこんな道を通ってしまったのか、と。


「おい、後悔すること間違ってんぞ」


 髪を掴まれ、顔を持ち上げられる。そして、後ろの壁に打ちつけられた。高い、悲鳴が上がった。


「うるせぇな、静かにしろよ。見つかったらどうする」


 男が、どこからか出した布切れを少年の口の中に突っ込んだ。


「お前が後悔するのは、他人ひとに忍び込んで金を盗み、住人を殺したことだ」


 目を鋭く細める。少年からは呻き声が聞こえる。ガタガタ震え、涙と汗でぐちゃぐちゃになった少年を見て、男が少し笑った。


「ちゃんと後悔しろよ。正しく、な」


 男がナイフを振り下ろした――








「何回目よ」


「三回目です」


 真面目な顔で答えた戸端とばに、もう、ダメじゃんとため息を吐く笛地ふえじ。それを見た栖田すたが名案だと言うように手を叩く。笛地は嫌そうな表情を隠さず、なに、と返す。


「送り迎えしてあげなよ。笛地の担当だし。心配じゃない」


「まあ、命に関してはここにいる誰よりも安全だけどねぇ」


 いいなーこれ、と言いながら灰色の作業服の袖を引っ張る。


「いや、悪いんで」


「あ、じゃあ雇ってよ」


 雇う? と聞き返してから、少し思い出してみている。財布を返しに行った先で、見返りならと押し付けていたビラ。あれは確か……口の中で呟いたあと、今度は口を開いた。


「何でも屋、でしたっけ」


「そうそう。中々まともな仕事は見つからないんだよ」


 わざとらしく溜め息を吐いて、頬杖をつく。行儀悪い、と栖田すたに頭を叩かれた。それを見て苦笑する戸端とばがふいに扉の方を振り向いた。


「どうした?」


「いや、人の気配がして」


 気配? と笛地ふえじが聞き返した瞬間、扉が音を立てて開く。やっぱ古いからダメか、と言っている栖田を無視して考える。


(この距離で人の気配なんて、普通感じ取れるだろうか……?)


 首を傾げる笛地の横をするりと通り過ぎて戸端にとびかかったのは、角道すどうだ。ニコニコしながら人懐っこい顔で首に巻き付いている。


「角道、戸端くんの首絞めないでね」


 ぎゅっと絞まっていた腕が少し緩む。途端、戸端が咳込んだ。どうやら、栖田の制止は手遅れだったらしかった。


「……死ぬかと」


「ごめんなさあい。まあ、僕の得意分野なんでね」


「絞めるのは虐待したヤツだけでしょ。戸端くんを絞めないでよ」


 そんな会話をしているうちに、笛地がウトウトし始める。最近毎晩のようにパトロールしていたから、という言い訳と、遊びに来ないで寝ていればよかった、という後悔に挟まれながら眠気に誘われる。どうしたって抗えない欲求に、考えていたことがかき消されていく……そして、そのまま落ちる――


「あー限界きたか」


「あんまり寝てないって聞きましたけど……」


「パトロールがねえ、効果出てなくて」


「そうなんですか」


 パトロールすると決めてから、今日に至るまでの約一週間で毎日パトロールをしていたのにも関わらず、『悪ガキ殺し』は少なくとも四件起こっていた。悲鳴の一つでも、と考えた者も多かったが、結局は無法地帯なのだ。悲鳴なんて此処ここ彼処かしこで聞こえるし、他の事件やトラブルが絶えず生まれてしまう。それが、この街の夜だった。おそらく犯人はこれをも利用しているのだろう。

 カウンターに突っ伏してすっかり眠りこけてしまった笛地に、栖田がどこからか出してきたブランケットを掛ける。子供のようにブランケットを握って包まる姿を見て、その場が一瞬和んだ。


「戸端くんにも付き合ってもらおうかと思ったんだけど、朝早いよね?」


「はい……それに、多分僕じゃ力不足だと……」


「いやそこは、目があった方がってだけだし、戸端とばくんの命はある程度保証されてるし。でも、ただでさえ眠そうなのに頼むべきじゃないよねぇ」


「確かに、いつ見ても眠そうではありますねぇ」


 角道すどうが頷いて同意すれば、そうだよねぇとガッカリ肩を落とした。どうしても人手が欲しいらしい。栖田すたは誰が見ても分かるくらいに焦っていた。


「絶対見つけ出して、見つけ次第、落とす」


「おと……?」


「気絶させるんですよ。栖田さんは殺人担当だから」


 首絞めたり、鳩尾殴ったり……と指折り数え始めた角道に、戸端は思わず身震いした。


「あの、この間から思ってたんですけど、担当って?」


「あれ、そっからですか?」


 驚いた声に、そうだったねぇと呑気な声を重ねた栖田が説明を始める。

 かつて、自分や自分の大切な人が被害に遭った者たちが、その時と同じまたは似た罪状の犯人を絶対に許すことなく痛みを返す。

 その方法は人それぞれ違うが、一つだけルールがある。人を殺さないこと。皆をまとめているのが栖田で、彼は殺人担当――過去に妻と子供を殺されていた――なのだ。だから彼はそのルールだけは譲らない。彼を見ているから周りも殺人で解決しようとはならない。

 だからこそ、『悪ガキ殺し』が許せないのだろう。罪を犯したからといって、殺すことで罰を与えようとすることも、その対象が子供だということも。


「そう、だったんですか」


 絞り出すようにそう言った戸端の顔色が悪い。脂汗が吹き出し、震えてもいる。右手で左腕のあたりを掴む。

 そして、下を向いたまますみませんと呟いて店を飛び出して行った。


「何です、今の」


「うーん。やっぱり、戸端くんなんか知ってるかも。誰かをかばってんのかな」


 取り残された二人が黙ってしまえば、笛地ふえじの寝息だけがその部屋に響いた。

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