妖精の話をしよう(4)
それが、どうしてこうなってしまったのだろう。
「………………」
「………………」
咄嗟に馬車を止め、走る妖精を追いかけた私は現在、当の本人と並んで座っていた。
場所は劇場前広場。ほとんど人通りのない、茂みに隠れた木造の廃ベンチ。ほどよく朽ちたベンチに少々の距離を置き、互いに無言のまま座り続けることしばらく。
居心地の悪い沈黙の中で、私はすっかり暗くなった空を仰いだ。
――私はいったいなにをやっているんだ……。
いや、行動自体は常識的なものだった、はずだ。
日も暮れようというときに、人通りの少ない方へと向かう令嬢を見咎めた。相手は一目で貴族令嬢とわかる格好で、供の一人も連れていない。
王都は治安がいいとはいえ、それでも夜の暗がりではなにが起きるかわからない。付き合いはほぼないが、まったく見知らぬ相手でもない令嬢を、そのまま見過ごすというのは紳士のすることではないだろう。
多少の好奇心も手伝って、声をかけたまでは良い。らしくない行動だとは思いつつ、それでもまだ理解できる範疇だ。
だが、こうして二人きりで並んで座っているのはどういうことだ。
それもわざわざ人気のない場所を選び、護衛も遠ざけた自分自身がわからない。
惑わされているとしか思えなかった。
――しかも、別に泣いてもいなかった。
むしろ不機嫌だった。慌てて追いかけたというのに、私が見たのは怒りの形相の彼女という。
妖精の涙は夕日の見せた幻。不機嫌に歪んだ表情が、泣き顔に見えていただけ。
まったく、滑稽なことである。
――本当に、なにをやっているんだか。
相手は婚約が破談になったばかりの令嬢。下手に勘違いされても厄介だ。
厄介だと思っていたからこそ、氷などと呼ばれても冷たくあしらっていたというのに、なぜ自分から面倒を引き寄せる真似をしたのか。
思わずため息が出る。ため息ついでに、少し頭も冷えてくる。
女性を一人残すわけにはいかないが、ついてやるのは私でなくてもいいはずだ。
誰か護衛を残して、帰ろう。妖精への好奇心も満たされた。幸いにして、まだ互いに名前も名乗っていない。ということは、ここで別れれば縁も途切れる。
もう、これで十分だ。これきりにして、今後は関わらないようにしよう。
そう思いながら、腰を浮かせたときだった。
「――――ありがとうございます、閣下」
先ほどからずっと黙っていた令嬢が、不意に低い声を発した。
まったく感謝の気持ちの見えない、実に義務的な礼だ。
「一応、感謝は述べておくべきかと思いまして。気を使ってくださったんですよね?」
「………………まあ」
余計なお世話だ、という感情のにじみ出る言葉に、私は曖昧に頷きを返す。
実際、余計なことではあったのだろう。彼女はたぶん、一人になりたかったのだ。
それを無理やり、私が引き留めた。
こんな時間に一人になれる場所なんて、王都でもそうそうない。人通りのない場所はごろつきもたむろしやすく、身なりのいい令嬢など格好の餌食だ。
だから、日暮れでも近くに人の気配があり、あまり人目にも付かないこの劇場前広場の影を選んだ。
劇場は夜も開かれていて、警備の兵も多い。上流階級の多く出入りする場所はごろつきたちもあまり近寄らず、他に比べればまだ安全と言えるだろう――。
と、そこまで考えてから、眉をひそめる。
今、彼女は私のことをなんと呼んだ?
「…………私のことを、ご存知で?」
「それはまあ、有名な方ですし」
令嬢は当然のように言う。
私の問いの方こそ、奇妙だとでも言うように。
「それに、以前にもお会いしましたよね。先日の夜会の時に」
なるほど、どうやら彼女は最初から私のことを知っていたらしい。
知っていてあの態度だったのか。初対面の公爵を相手に。
「とにかく、お気遣いありがとうございます。わざわざこんな場所にまでつれてきてくださって」
いっそ感心する私をよそに、令嬢は形式ばった礼を続ける。
感謝を述べているのに口調が淡々としているのは、早く話を切り上げたいからなのだろう。どこまでも追い払うような彼女の態度を見る限り、どうやら『下手な勘違い』などする余地もなさそうだ。
内心、少し安心する。どうも今日の私は調子がおかしかった。この不調があとに尾を引かないのだけは幸運だろう。
「劇場の……広場ですよね、ここ。ここからなら、私の屋敷までも歩いて帰れます。近くにこんな場所があるなんて知りませんでした」
「ああ。ここはほとんど誰も知らない穴場なんだ。王都は人が多く、一人になれるような場所はあまりないが」
それでも、たまに一人になりたいときはある。
疲れて息もできないとき、ぼんやりと空を見たいときもある。
そういうときに、私はよくこういった場所を訪れる。屋敷を離れ、供も連れず、ただ一人で空を見上げる――。
「私の秘密の場所なんだ、ここは。今のところ、誰にも見つかってはいない」
なんでそんな場所に、見ず知らずの令嬢を連れてきたのだろう。
やっぱりなんだか、今日はおかしい。
「…………秘密の場所」
彼女は小さく呟くと、改めて周囲を見回した。
すでに日は落ち、あたりは暗い。だけど劇場の光が明るく、完全な闇にも染まらない。
初夏の夜風が、彼女の髪をさらっていった。
「私も、母に聞いたことがあります。王都の秘密の場所、いくつか」
「母?」
「亡くなっているんですけどね。母は王都で生まれ育ったので、よく教えてくれました。裏路地の近道とか、怪しすぎて面白い店だとか、やたら虫の湧く穴だとか、王都を一望できる丘だとか」
それはまた……この子にしてこの母ありというべきか。
伯爵夫人も貴族の生まれだったはずだが、結婚前はいったいどんなお転婆な令嬢だったのだろうか。虫の湧く穴とは。
「いずれ王都に行くときは、案内をすると約束してくれました。でも」
でも。
そこで彼女は押し黙る。
義務のような表情が一瞬揺らぎ、瞬きの間に再び戻る。
取り澄ました表情には感情がなく、それこそ氷のようだった。
「無駄話をしてしまいました、閣下。お時間を取らせて申し訳ありません」
「………………」
優雅に一礼する姿は、どこか幻のようだった。
輪郭をぼかす宵闇。劇場の明かりに落ちる影。いつかの夜を思わせる。
「ここからなら、私一人で帰れます。どうぞご心配なさらず、閣下もお戻りください」
浮かぶ微笑みは、完璧な淑女のものだ。
完璧すぎて、嘘くさいくらいに。
「…………いや」
たぶん、この暗がりが悪かったのだ。
令嬢を妖精と見間違えさせる、闇と薄明かりが。
「よければ、もう少し話を聞かせてくれないだろうか」
私を惑わせる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます