妖精の話をしよう(2)

 私がその『妖精』を見たのは、五年前の春。

 とある夜会でのことだった。


 春は社交シーズンで、普段は地方にいる貴族たちも王都にこぞって集まってくる。

 王都ではひっきりなしにサロンやパーティーが開かれて、休む暇もないほどだ。

 特に、父の跡を継いだばかりの若造であればなおさら。下手に付き合いを断ることなどできるはずもなく、行きたくもない会合にも顔を出さないわけにはいかなかった。


 あの夜会は、そんな義務の一つだった。

 ただ義理を果たすための、退屈な夜会。家名に惹かれ、父を亡くした私に取り入ろうと集まる人間たちをあしらうだけの時間。

 たぶん、疲れていたのだと思う。

 投げかけられる取り繕った言葉にも、影で囁かれる噂にも、伝え聞く自分の評判にも疲れて、息苦しくて、少し外の空気を吸おうと中庭に出た。


 そうして、人気を避けるように、中庭の奥深く、影の深い場所へと踏み入れたときだった。


 月の明るい晩だった。

 夜会の光は遠くとも、生垣の輪郭がぼんやりと浮かぶような夜。

 聞こえたのは、噴水の流れる音と、囁くような人の声。人から逃れるために外に出たのに、人に会ってはたまらない。出くわさないようにしようと、声の方向を確認した私は、一つの影を見た。


 噴水の奥に揺れる、月明かりに照らされた細い影。

 女性にしても細身のその影は、生垣の花と噴水の水、月明かりという状況も相まって、ひどく幻想的だった。


 ――…………妖精?


 咄嗟にそう思ってしまったのは、やはり疲れていたからだろう。

 父の急逝。若くして継いだ公爵位。ルヴェリアの家名。王家の期待。代々宰相を輩出してきたという重責。

 まだ二十にも満たない若造と見下す老人たち。青二才に教えてやろうと、上から目線で話しかけてくる年長者たち。世間知らずと嘲笑い、金をむしろうとふざけた商談を持ちかける詐欺師たち。今なら懐に入り込めると媚びを売る同年代の貴族の子弟たちに、公爵夫人の座を狙う令嬢たち。そのせいで、理不尽にやっかみを向ける有象無象。

 年長だからと敬意を示せば付け上がり、最低限の礼儀として愛想よくすれば勘違い。儂はこの男の父代わりだの、俺はこいつの親友だの、あのルヴェリア家もこの商談に乗り気だの、私があなたの想い人だの。

 勝手に関係を作られて、勝手に名前を使われるのを看過できず、態度を変えれば今度は冷血扱いだ。誰にも心を開かず、いつも冷たく他人をあしらい、想いを寄せる令嬢たちにも見向きもしない。凍てつく氷のような男だなどと言われ、恐れ、避けられ、その方がまだマシだとすっかり諦めていた私は――――。


「――――この」


 このとき、この瞬間。

 噴水の向こうに立つ妖精が、生垣の奥からもう一つの影を引っ張り出した、瞬間。


「変態幼女趣味の浮気者が――――――!!!!!!」


 そんな叫び声とともに、現れた影を思い切り投げ飛ばし、地面に叩きつけたのを見たそのときに、心に張り詰めていた氷を溶かされ――もとい、叩き割られたのだと思う。


「十二歳の相手を好きになったから婚約を白紙にしてくれ、なんてよくも言えたわね! あなた、今年で二十二歳でしょうが!!」


 妖精は手を払うようにぱちんと叩くと、伏して動かなくなったもう一つの影を見下ろした。

 それでもまだ気は済まないようで、フンと妖精らしからぬ鼻息とともに、誰にともなく怒りを吐き続ける。


「あなたとの結婚なんて、こっちから願い下げだわ! だいたい勝手に手紙だけで破談にして、そのまま逃げ切りなんて許すわけないでしょう。どうせこの夜会に来ているだろうと思ったから、無理して参加して正解だったわ。そうでなければ、いつまでも逃げ回っていたでしょうし――――」


 その言葉が不意に止まったのは、彼女がやれやれと首を振ったときだ。

 彼女の視線が左右に揺れ、噴水の側に向いた途端、ぴたりとその体が凍り付く。


 一瞬、なにが起きたかわからなかったが、目が合ったことで理解した。

 こちらから彼女が見えているのであれば、あちら側から私が見えているのも道理。妖精は私に気付くと、姿を曖昧にしていた噴水の向こうから歩み出る。


 月光の下、曖昧な影は輪郭を持つ。

 改めて見れば、それはごく普通の少女だった。王都で流行のドレスに身を包んだ、妖精ならざるありふれた令嬢は、まずは裾を摘まんで優雅に一礼する。


「ここで見たことは、どうかご内密にお願いします――――」

「…………」


 すぐに返事をしなかったのは、拒絶ではなく言葉が出なかったからだ。

 妖精かと思えば婚約者と思しき相手を投げ飛ばし、どんな屈強な人間かと思えば平凡な少女。しかし第一声は口止めだ。私としては、未だ化かされているような心地だった。

 だが、彼女は拒絶と捉えたらしい。

 黙る私に半歩近づくと、同じ言葉をもう一度繰り返した。


「どうか、ご内密に、お願いします! ね!!」

「あ、ああ」


 思わぬ剣幕にこくこくと頷けば、彼女は満足したように目礼だけして、名乗りもせずに去って行く。

 あとに残された私は、一人呆然と、彼女の消えていった生垣の先を眺めるほかになかった。


 なるほど、昨今の妖精は、思いのほか力強いらしい――――などと、場違いなことを考えながら。

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