ep.4
「まるでこの国は、あの塔から監視されているようだ。」
人々は皆、口を揃えてそんなことを言う。
この国の中心に、まるで人々を見下ろすかのように聳える立派な塔は、堂々たる佇まいで存在している。
陽光を浴び黄金に輝くその姿は、まるで芸術作品かのような荘厳たる風貌である。
しかしなんと言っても特徴的なのは、その高さだ。雲を突き破るほどの高さを誇り、陽射しを受けた塔は、遠い町まで色濃く影を落とす。幾つも設えられたアーチ状の窓は、巧みな線を描きながら上へ上へと規則的に並び、その壮観な高さを物語る。外壁には精緻な模様が施され、緻密に計算されたその圧倒的な外観は地上に軒を連ねる他の建物とは一線を画していた。
だがその内部の詳細は一切明らかにされておらず、また何処にいてもその姿を確認できるため、人々の間では「美しくも薄気味悪い建物」と密かに囁かれているのだ。
人間の技術だけではとても想像ができないこの塔を、誰がいつ、どのようにして建てたのか。国中には様々な憶測が存在するが、どれも信憑性に欠けるものばかりだ。長年の間、熱心な者達の間では多くの議論が重ねられてきたようではあるが、その甲斐も虚しく今も謎だけが残り、人々はいつまで経っても塔を見上げることしか出来ないでいる。
この国は、塔を中心とした円状に発展し、広がりを見せている。
塔の周りを取り囲む海を除いて、塔周辺の地上は人々が暮らす街が並び、より中心から離れるほどに緑が多くなっていく。国の領域は、上からの定めにより「第1地区」から「第16地区」という名称でエリアごとに区分されており、中でも「第1地区」から「第5地区」は中心部から最も近く、大きな発展を遂げている。
その外側に分布する「第6地区」から「第13地区」は、全体で見れば比較的発展しているものの、場所により発展の偏りも大きく、街や緑、それから小さな商売で賑わっている。また人々が最も多く暮らすエリアとしても知られている。
「第14地区」、「第15地区」は、そのさらに外側を囲むように東西に存在する。未だ未開拓の地が多く、山々や緑が多い上に、栄えた場所も特段ないため人口も少なく、所々小さな街や住居が見えるのみである。
そしてノアらが暮らす「第16地区」は、国の最も外側に位置し、その大半を山々が占めている。広い面積を誇るものの、立地が悪く不便な上、労働力となる若者は皆街へと流れていくため発展の手立てもなく、中心地の人々の中には「16地区に人は住んでいない」と認識している者も多い。
このように、国の領域は「第1地区」から「第16地区」という、なんとも無機質で面白みに欠けた名称で区分されてはいるが、地域ごとに別の名も存在している。
ノアが暮らす村は「カトルト村」と呼ばれ、認知度こそ低いものの、そこに住む人たちは皆穏やかで平和な暮らしを手にしており、ほぼ自給自足の生活を送っていた。故に住民達の暮らしは殆どが助け合いで成り立ち、主に山の資源や畑で収穫した野菜、畜産物などを物々交換していくスタイルが深く根付いている。
そのため金銭が発生する場面はといえば、資源や物資の売買のため麓の町に繰り出す時くらいである。馬に乗っても往復で一週間ほどかけて行くので、年齢層が高いこの村の住民は滅多に赴くことはない。
ノアらの生活はというと、山で伐採した木々を加工した木材や薪、それからあの広大な庭から摘んだ花々を主な収入源としており、それらを町に出向いて換金したり、住民との物々交換のやりとりなどによって生活が成り立っている。
特にこの村では若い労働力が少ないため、木材や薪などの資源は住民達に大変喜ばれるのだ。また庭に咲く花々はどれも状態が良く、町ではかなりの値で売ることができる。
当初エリゼは庭の花々を観賞用として育てていたのだが、ノアと暮らすようになり食費が嵩み、家計が苦しくなっていた時期に、駄目元で町に出向いて花を売ってみたところ意外にも評判が良く、それからというもののエリゼはさらに庭の作業に力を入れるようになっていった。
しかしそのおかげで懐が潤ったかと言えばそういう訳ではなく、エリゼは決まって帰りの道中でガーデニング用品や肥料、新しい品種の種を購入していくため、せっかくの売上も3分の1ほどがそれらによって消えてしまうのである。
毎度長時間買い物に付き合わされるノアは、エリゼのうきうきとした背中を見守りつつ、増えていく庭の手入れの負担へと思い耽るのであった。
そして今日は、ノアがこの家で迎える15回目の誕生日。毎年誕生日の夜にはエリゼが腕によりをかけた数多くの料理が振る舞われ、ノアはこの日を何週間も前から心待ちにしていた。
現在の時刻は、昼下がりの午後。この時間帯はいつも伐採や薪割り、住民の家の修理など、重労働な作業に取り掛かっている。先ほどから辺り一帯を響かせているのは、斧で丸太を割る音だ。
「残りあとどのくらい?」
額から大粒の汗を垂らしたノアは、片方の腕で汗を拭いながら、近くに腰掛けているウィリアムに語りかけた。この時期になると皆が暖炉を使い始めるため薪の需要が高まり、薪割りが欠かせない。
「あと五十はあれば足りるだろう」
「っしゃ、すぐ終わらせるから今日は手合わせ多めな」
「あぁ」
ウィリアムとのやり取りで一気に気合いを取り戻したノアは、その後も休憩を取ることなく順調に手を進め、ついに最後の一本となった。すぐ傍には、均等に割られたいくつもの薪が高々と積み重なり、その労働力を物語っている。最後の最後まで手を抜かぬよう教えられているノアは、力を込めて斧を振り降ろした。
バシンッ、っという音が、澄み切った空に響いた。
「……終わったーー!」
そう言った途端、集中力が切れたのか、ノアは切り株に刺さったままの斧から手を離すと、大の字になって仰向けに地面に倒れ込んだ。呼吸が少し乱れ、その胸は早く酸素を取り込もうと上下している。四肢を投げ出したままの体勢で、ノアは未だ腰掛けているウィリアムに語り掛けた。
「はぁ…はっ……おじさん、俺、最近結構体力ついてきてると思うんだけど、どう。前の俺だったらもっと早くにヘロヘロになってたじゃん。」
ノアは目線を合わせるため少し頭を動かすが、ウィリアムは先程からぼーっと一点を見つめていて、いくらこちらが合わせようにも一向に目が合わない。仕方ないのでもう一度、「おーい」と問いかけてみる。
「あ?…あぁ、よう聞いとらんかった。」
「もうしょうがねぇなあ……体力ついてきたの分かるかって聞いてんの。」
「見てないから知らん、そんなもん。」
「おい!なんだよもう………!
……まあいつもの事だから驚かねぇけどさ…!
そもそも体力つけろっておじさんが言ってきたから最近トレーニング始めたんだぞ。明日こそはちゃんと見ててくれよ!」
あぁ分かった。とウィリアムは返答したが、あれは明日もだなとノアは心の中で呟く。ウィリアムのマイペースな言動は、今に始まった事ではない。何か言ったところで改心するわけでもないので、気持ちを切り替えるように、たなびく雲を目で追いながら、火照る身体にひんやりと冷たく心地良い空気を染み渡らせた。
しばしの休憩をとると、ノアは腹筋を使って勢い良く立ち上がった。その様子を見て、ウィリアムも同じく重い腰を上げると、ノアに向かって傷跡が刻まれた木刀を投げ渡す。先程まで息が上がっていたとは思えない、生き生きとした表情をしているノアは、これから行う手合わせへの期待に胸を躍らせていた。
作業がひと段落した後は、こうして二人で毎日のように、余った木材から作った手作りの木刀で勝負するのだ。ノアはこれまでに一度もウィリアムに勝てた経験がないのだが、最近になってようやく優位に立てそうな状況が続いている。また今日は誕生日ということもあり、いつも以上に気合いが入っていた。
右手に木刀を手にしたウィリアムが深く深呼吸をしたのち、ノアに近づいていく。先程まで流れていたゆったりとした空気から一変し、重く緊張感のある空気がたちまち漂う。
周りが山々で囲まれた立地だからなのか、はたまたウィリアムが纏う雰囲気に押されているためなのか、小鳥が高く鳴く音や、風で揺れる葉同士が擦れる音、ウィリアムが地面を踏み締める音がノアの耳へと鮮明に届く。
ウィリアムの少し引き摺ったように動く足の音が段々と強くなり、ノアとウィリアムとの距離が木刀一つ分の長さまで縮まった、次の瞬間。
ウィリアムが力強く踏み込み、勢い良くノアの方へと木刀を振りかざした。
バシッッッと辺り一帯に響き渡る音と共に、ノアはウィリアムの一撃を受け止めると、木刀を持つ両手を念を込めるかのように一層力強く握り締める。激しい一撃音に、近くの木々から見守っていた小鳥が一斉に飛び立つ。
ウィリアムは捻りをうまく使い、交わるノアの木刀を押し逸らすと、少し出来た一瞬の隙を突く。
これまでに何度も仕掛けられ、今や型として熟知しているウィリアムのやり方に、ノアは一度素早く木刀を引いてから向きを変え、ウィリアムの木刀をかわす。十年以上交わしてきたウィリアムとの手合わせは、ノアの身体の爪の先まで染み付き、次に来る動きに合わせて、身体は操られたように動く。
既に開始から、木刀同士がもう何百と交わされるほどの時間が経過している。二人の争闘は目にも留まらぬ速さで繰り広げられ、その集中力は未だ途切れる様子がない。熱気が増したノアの頬を熱い汗が伝う。
ノアが優勢になった場面は多少なりともあったものの、大半はウィリアムからの攻めに必死で食らいつくことに精一杯で、常に自分から仕掛けるタイミングを窺っているような状態だった。
しかしこれまでの経験と比べると、優勢になった回数は今日が一番多く、湧き出る自信と緊張感を必死に抑えながら慎重に相手の様子を見極めていた。
熱い息が乱れていることにも気付いていないほどに、ウィリアムの動きから一度も目を逸らさず集中し続ける。
もう体力も残り少なくなってきており、次で決めなければ今日も負けが決定する、とノアはどこか平静な頭で感じ取る。
ウィリアムの仕掛けた技が振りかざされる。いつもであれば、ウィリアムの一手は全て受け止めてきた。
しかしノアは、この一刀に全てを賭けようと覚悟を決め、焦る気持ちを唾と共に飲み込んだのち、渾身の力を振り絞ってウィリアムの技を最大限力を込めて押し返した。
ウィリアムの矛先が、天を仰ぐ。
予想していた動きと違うノアの動きに、ウィリアムは一瞬動きが遅れる。その瞬間を見逃さないノアは、すかさず重心を下に下げ、次の攻めの体勢に入る。
ノアの目に映るウィリアムの動きが、いつもよりも遅れたスピードで、はっきりと見えてくる。十年以上続けてきてまだ一度も勝てていない勝負が、今日、変わるかもしれない。ノアは、次に来る振りよりも速く、何よりも必ず突き抜くことだけに集中し、思いきり、これまでの悔しさを込めた力強さで切先を向ける。
瞬間、ノアの目に、ウィリアムを貫く道すじが映った。今日は勝てる────そう確信した、次の瞬間。
切先がウィリアムの胸を突く光景が映っているはずのノアの目線は、青空へと移り変わっていた。
ノアの身体が宙へと舞う。
何が起こったのか分からないノアは、地面に着地しても一瞬固まったまま動けずにいると、少し遅れて足に鈍い痛みがやって来た。
「……………………いっっっっってぇ!!!なんだよ今の………!ちゃんと見てたのに、急に消えたんだけど…?!」
ノアが足をさすりながら、下から訴えかける。
「まあ……なんだ、お前の動きがあまりに遅いもんだから、思い知らせてやっただけだ。」
ウィリアムは乱した息を整えながら、地面に転がるノアを見下ろしている。
「余裕そうに言ってってけど、おじさんだっていつも以上に疲れてんじゃんか。いつもは汗もかかない癖に!」
「全っ然、全っく、疲れてなどおらん。今日は寝不足だからそのせいだ。
しかしまあ、あれだな。あれですぐ転んでるようじゃあ何年掛かっても俺を倒せねえぞ。」
「あんな体勢で足に一撃食らったら誰だって倒れるわ!!
もぉお……まじか…………全然見えなかったし……つーか今日くらい勝たしてくれたって良いだろ……!」
仰向けに倒れたままのノアは、日射しの眩しさから、気だるげに片腕で目を隠す。額にびっしょりとかいた汗は、天高くからの光を受けて輝いている。
「手加減は互いに無しといつも言っとるだろう。」
「それはそうだけどさぁ…………、
………………あ"ぁ"ー!!くそ!!悔しい…!!!あの時だけは俺のが絶対速かったのに!!」
ノアはもう立ち上がる体力すら切れているようで、体を地面に委ね、何もかもを諦めの体勢に入っている。ウィリアムも額から大量の汗を流しながら、どっしりと腰を降ろした。
「はぁ……その年齢であそこまで動けるってやっぱおじさんすげえよ…大人気ねぇけどな。」
「…他人にとやかく言う前に、お前はもっと筋肉をつけろ。そんなひょろひょろした身体だと勝てるもんも勝てんぞ。」
「はいはい、どーせ俺は体力も筋力も無いですよ。つーか筋トレってまじで俺に向いてないんだよなー。キツいししんどいし面倒だし。
…にしてもまじで、今日のは俺があと少し早ければ絶対俺が勝ってた。」
負けん気が強いのはお互い様なようで、ノアは悔しさを滲ませながら主張している。
「ハッ、笑わせおって。そんなこと言っとるからいつまで経ってもお前は強くなれんのだ。いいか、筋肉っていうのはな、負荷をかければかけるほど出来上がっていくものなんだ。その強い刺激と苦痛の長い時間を乗り越えたものだけに与えられる勲章が、筋肉だ。お前はもっと気合い入れてトレーニングに励め…!」
「あーもう、分かった、分かったから…!
筋肉の話はもういいって…!」
ノアの主張も虚しく、ウィリアムは話を止める気配がない。本題の勝負の話から、今日もまたウィリアムの筋肉話へと逸脱してしまっため、ノアは耳へと流れてくる情報を軽く聞き流すことに徹する。
ウィリアムの筋肉への並々ならぬ熱い想いは、こうなるともう止まらないのだ。
ウィリアムは興味の無いことには全く関心を示さないが、自分の好きなことには一直線になる性格で、トレーニングに関してはそれはもう熱心に取り組んでいる。そのため少しでも筋肉の話題を振ってしまうとすぐにその素晴らしさをこうして説いてくるのだ。
次は絶対に勝つ。メラメラと湧き上がる闘争心を胸に、ノアは明日の対策を脳内で練っていく。
夕食の時間になるまで、まだ少し暮れが足りない。
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