salvation

@U2mTVCgR

1

"絶対に間違えない"なんてモノはこの世界において存在しない。


人間はもちろんのこと、測量、計算。機械にだって間違えることぐらいはあるだろう。


もしかしたら神にだって間違いはあるのかもしれない。







全知全能、なんて御大層なレトリックは傍から見れば単に隣の芝生が青く見えるだけの話で、実際にその下で働いてみると、なるほど神と言われるだけあって優れているのは確かなのかもしれないが、まあ、半知半能ぐらいが妥当な線ではないか、と思ってしまう。


予期していなかったミス、もとい予期していたかもしれないが、何らかの事情でほったらかしにされていたミスというものは、たとえ神の下であっても往々にして存在するものであり、大抵の場合、救済という名の隠蔽工作を施されることになっている。


そんな「救済」が神自らの手で行われることなどそうそう無く、私達の様な「神の代行者」たる天使にその責務が押し付けられるのは、天界の常である。


そしてこのような押し付けられた仕事というものは、面倒な癖して手間だけはかかり、それでいて達成感なんてものは微塵も得られない―――要するにただ単純につまらない、そんな仕事、のはずだった。






「こんにちは。私の声が聞こえますか?」

 私にとってはもう何百回目となるはずの呼びかけ、だが、今目の前で浮遊している霊魂はこんな状況に陥ることを想像さえしていなかっただろう。

 何しろ生前親しんだ「体」なんてものはもはや無いのだから。


「………………ここは…」


目の前の霊魂―――手のひらほどの大きさをしたの魂のカタマリ―――は自分が喋れることを再確認するようにゆっくりと発語する。


「天界です。」


 投げかけられた質問にできるだけ簡潔な表現で答える。この類の質問は別に誰かに答えを求めているのではなく、ほぼ無意識の内に発せられる独り言のようなものであり、いちいち答える必要はない、などという事は重々分かってはいるのだが、投げかけられた質問に対しては、反射的に答えを返してしまう。天使たるもの、なんて自負は抜きにしても、答えられる質問にはできるだけ答えるべきだろう。目の前の霊魂からこれ以上の質問が無さそうなことを確認しつつ、今度はこちらから既定の質問を投げかけてゆく。


「まず、あなたは自分の名前を思い出すことができますか?」


 恐らくこの霊魂は、今、自分がどのような立場に置かれているか、それすらもさっぱりわからないであろう。未知の状況、状態に置かれた時に、霊魂の気分を落着かせるために、…そして単純な身分確認も兼ねて、これらの質問は一連の流れの初めに必ず行なわれる。もっとも、この天界において名前やら身分やらといったものはほとんど価値を持たないのだが。



 暫しの沈黙の後、目の前の霊魂は自分の名前を口にした。


「ヒロシ…田辺 ヒロシ。」


「では、貴方の誕生日は?」


「…9月23日。」


「年齢は?」


「26…27歳かな、たしか。」


「性別は?」


「…男」


 へえ、と心の中でつぶやく。目の前の魂は、イレギュラーな状況を目にして多少うろたえている様にも見えるが、全体的には落ち着いているように見える。

 こんな簡単な質問に答えられないほうがどうかしている...などと思うかもしれないが、それならば一度頭の中で想像してほしい。目が覚めたら体は存在せず、地面は今にもすっぽ抜けそうな雲、その上目の前には大型猛禽類ほどの大きさがある白色の羽を背中に背負い、浮遊する環形蛍光管を頭の上に侍らせる人型の何か。そんな状況で目の前の天使らしき何かから身分証明を求められて真面目に年齢を答える人物というものは案外、というか当然、少数派である。その点、今回の質問にとりあえずはきちんと答えてみる、という態度は天使にとって、理想的で、ありがたい態度と言えるだろう。


 「この指は何本に見えますか?」


 「…3本」


 「ではこちらの指は?」


 「…4本」


 「両手の指の本数は?」


 「…7本」


 視覚、よし。論理的思考、よし。聴覚も正常に機能しているだろう。


 「気分が悪い、どこかが痛むといったことはありませんか?」


 「特には…ありません。」

 質問の答えは事前の情報と合致しているし、特出すべき異常もない。差し当たって何か確認しておきたいことは聞き終わった。...さて、これからどのように話を進めてゆくべきだろうか?

 本当は時間をかけてゆっくりと状況を教えたいし、教えるべきなのだろう。だが、この小さな仕事に掛けることのできる時間は決して多いとは言えないのは事実。こちらからの質問にはきちんと答えることが出来ていた、という点を鑑みるに、この(元)人間は飲み込みが早い方であるようだ。ならば、この面倒な仕事に速攻でカタを付けるための、手っ取り早い方法を使わせてもらうことにしよう。気分を落ち着かせるために一呼吸置き、そして、


「では、田辺ヒロシさん。貴方の覚えている最後の記憶は?」










 目の前の霊魂―――生前はヒロシという名前を持っていた―――の動きが止まった。恐らくその質問は、彼にとって予想外の質問であろう。


「………………………………………」


 人間というものは、強いショックや嫌な記憶といった類のものは基本的にすぐ忘れ、思い出させないようにしてしまうらしい。この質問をした時、質問をされた霊魂はほぼ例外なくこのような反応をするし―――場合によってはそのまま何も喋らなくなってしまうことすらある。そうなった場合、多少強引な手段を用いてでも正気を取り戻させなければならず、案の定というか、人によっては大変面倒な作業になりがちなのだがだが……幸いにも、目の前の彼にそんなことをする必要はなさそうだ。忘れてしまった記憶をなんとか手繰り寄せるように、話し始める。


「僕は…車に乗っていた………」


静寂。



「……………そして…………………」


また静寂。


 急かしたいのは山々だが、急かしたところでかえって逆効果になるぐらいのことは想像がつく。残念ながら、これは本人に思い出させるのが一番早いのだ。こちらから伝えた「事実」は、大抵―――相手にとって都合が悪かった場合は特に、「真実」として受け入れてはもらえない。こちらから事実を言っても、嘘をつくなだのちゃんとした証拠を出せだのという反応が大半であり、そうなったら最後、当分はこちらを信用してはもらえない。そんなことになったら時間と手間が余計にかかり非効率的だし、単純に考えても面倒な事この上ない。こちらから手助けをしない、という手段は一見非効率的に見えるが、一応理にはかなっている、というわけだ。

 そんなことを考えていると、言うべき言葉が定まったのか、それとも受け入れがたい事実を受け入れる準備が出来たのか、目の前の霊魂は口を開く。


「…目の前に暴走する車が見えて…こっちに向かって突っ込んできた…」


 そして、


「…死んだのか、オレ。」


 ええ、と相槌を返す。


「貴方は交通事故により、亡くなりました。」



 人間の、死んだことを自覚したときの反応は様々だ。ただ茫然とする者、泣き出す者。嘘だ、嘘だ、とこちらの話をろくに聞こうともせずうわ言を唱え続ける者。怒り出すものは案外少ない―――今更自分の力ではどうしようもないのが分かるからだろう。

 果たして、目の前のこの男(だったもの)の反応と言えば、非常に落ち着いたものだ。少なくともこちらから見ている限りでは、動揺とかそういったものをこの男からは読み取るのは難しい。この男の年齢は...27才だったはずだ。年齢の割にはずいぶん落ち着いている。別に死ぬことが予知できたわけではないのだろうし、これは単に痛みが伴わない即死だったため死の実感が湧かない、といったところだろうか。


 「では、確認になりますが、貴方は自分が死んだことを認識し、そして自分が死んだ時の状況を思い出すことが出来ましたね?」


 ああ、とかはい、とか。帰ってきた返事は彩度の低いものだったが、一応自分が死んだことは理解したようだ。

 「自身の死の認識」、よし。これで、話を次の段階まで持っていける、のだがさすがに少し時間を置いたほうが良いかもしれない。明らかに普段より速いペースで話が進んでいるし、状況を整理する時間も必要だろう。話を早く進めるに越したことはないのだが、こんなにスムーズに進むとそれはそれで気味が悪い。天使が根拠のない直感とやらを信じるのはおかしな話だが、直感は突き詰めれば過去の体験を積み重ねた経験則であるのだから、天使だって参考にするときぐらいはある。


 「時間が必要でしょうか?」


 目の前の霊魂が、こちらを明確に認識した気配。そのままこちらをじっと見つめる。気になるのは天使の羽か、それとも頭にあるこの輪っかか。どちらもここに来た元人間に天使だという事を手っ取り早く認識させるためだけの飾りでしかないので特に意味はないのだが、どうもここに来た霊魂は、やたらとこのかさばるだけの装飾品をやたらと面白がる傾向にある。


 質問なら答えられる範囲で答えますが、と申し訳程度の補足。人間を落ち着かせるには沈黙より、断片的にでも何か話し続けた方が効果的なようである。だが、この言葉が反対の作用を引き起こししまったのか、はたまた沈黙を嫌った結果によるものか、しばらくしてから投げられた質問は不可思議なものだった。


 「あんたがオレを殺したのか?」


 「…いいえ。」


 分からない、とは答えられないので断定的にいいえ、と答えておく。風が吹けば桶屋が儲かるのような理論で天使が仕事をすると田辺ヒロシと死ぬ、という理論が成り立つのなら話は別だが、今のところこちらに思い当たる節はまったく無い。そもそも、何故救済する側の天使が殺人を犯す、という発想が出てくるのだろうか…


 「相手は…?」


 相手?


 「…あの車の運転手は無事なのか?」


 どうも、聞きたいことと言うのは自分が巻き込まれた事故の詳細らしい。自分が死んでいるのに他人の心配とはずいぶんとお人よしだが、この質問に対しては明確な回答を用意できそうだ。


 「無事という単語が死んでいない、ということを意味しているものだとすれば、あの車の運転手は『無事』です。怪我はしていますが、命にかかわるものではありませんし、負った傷は軽症の部類に入るものです。この事故で命を落としたのは今のところ、あなただけです。」


 そうか、と淡白な返事。けれども言葉の節にはどことなく喜んでいるような態度が見える。


 妙だ。

 直感的、と言うよりかは過去の経験に照らし合わせてどこか奇妙というか、異常というか。何かは分からないが、重要な何かを見落としている気がする。

 脳内でこの男のプロフィールとやらをさらってみる。都会でもなく、かといって田舎とも違う地方都市で生まれ、育ち、中堅大学を卒業後、とある企業の営業部門に就職。勤め先が変わった1年前から電車での通勤を辞め、ローンで買った軽自動車を使って通勤を始める。別に仕事がとても出来る、という訳でもないが、別にこれと言って問題を起こす訳でもない。極々ありふれた20代の一般社会人。特におかしな点はないはずだが、どこか引っかかる。


 考えていてもしょうがない。こちらは自分の仕事をするだけだ。この違和感を一旦置いておくことにして、本題を話し始める。


 「あなたは死んでしまいました。が、不慮の事故で死んでしまったあなたには神からの『救済』が施されます。」


 この「不慮の事故」というものが曲者であり、この単語が意味するものとは「こいつ死ぬべきじゃないのに死んじゃった」というだけであり、交通事故が原因だから、という訳ではない。水没死とか中毒死とか、何なら病死でも「不慮の事故」としてここに連れてこられることがある。というより、実際のところなぜ「不慮の事故」なのか、もっと言えばこれが本当に「不慮の事故」かどうかということすら天使には分からない。天使はただ、上から救済を施せ、と言われて救済を施しているだけであり、誰に救済を施すかなどということはこちらの与り知るところではないのだ。


 「…『救済』とは?」


 「あなたの好きな願いを一つ、叶えます。ただし、条件付きですが。」


 「条件…」




 「まず、この願いであなたが地上に戻ることはできません。地上での何かしらの活動が必要な場合、私が代わりに行います。」


 こんな条件を出す理由は明白で、この天界のことを口外されたらまずいからである。こういうことが公になったら後処理がどれだけ煩雑になるか見当もつかないし、今後の「救済」が非常にやりづらくなる。


 「さらに、この願いであなた以外の特定人物への過度な干渉、および不自然な干渉はできません。」


 同上。過去にはこの願いで恨みのある人を殺そうとしたり、逆に家族に何らかの幸運――現代の例としては宝くじの当選のような事象が挙げられるだろうか――を懇願したりした人がいるが、こんなことが起こったらそれこそ死んだ後に何かしらが起こっていることが分かってしまう。以前はもう少し緩い条件だったが、このご時世だ。どんな情報も一瞬で伝達してしまう以上、前よりも願いを叶えられる範囲は狭くなっている。


 この2つの条件は本来、もっと簡潔な「天界と天使のことが公にならない程度に」というものだが、これでは曖昧過ぎて分からない人が多かったため、噛み砕いたこの文言を使うことになっている。


 「最後に、この願いが天界の他の仕事を妨害するものではないことです。」


 端的に言えば、「時間をあまりとらせるな」ということだ。「自分とずっと一緒にいてくれ」などという願いをかなえる羽目になったら、それこそ天使も商売上がったり。それでなくてもやるべきコトは多いのだ。


 「以上三つの条件を満たす願い、一つを叶えます。叶えたい願いが決まったら、どうぞ。」


 「………」


 目の前の霊魂が黙り込む。無理もない。突然好きな願いを叶えていいと言われて、すぐに答えられる人物なんてめったにいないし、その願いに条件が付いていたらなおさらだ。その上付いてくる条件も条件だ。死んでいるからありきたりな金、不老不死といった願いは無意味だし、それを他人に譲ることもできない。こうなると願いはかなり個人個人で異なる類の願いが返ってくるのだが、この願いは大抵天使が代わりに叶えることになる。願いを霊魂が考えている時間も含めてこれが本当に手間と時間のかかる作業になり、この仕事が面倒なことこの上ない理由はそこにある。なるべく叶えるのに簡単な願いだとこちらとしても楽なのだが。


 「…いらない。」


 「はい?」


 返事が返ってくるのが早すぎる。まだ一分もたっていないはずだ。そして、今何と?


 「…願いは、ナシだ。そんなもの、いらない。」


 「つまり、叶えたい願いがない、ということですか。」


 「……そう。」


 とびきり面倒なパターンを引き当ててしまった。内心頭を抱える。何故かというと、救済は必ず為されなければならないからだ。全知全能という肩書を半分建前でも神が持っている以上、救済が為されないことなどあってはならない、というのがそもそもの大前提にあり、それゆえ過程がどうあれ願いを叶えられない(=救済が為されない)ということはあってはならないのだ。この場合何らかの形で叶えられる願いを言ってもらわなくてはならないのだが、そもそも願いがない人物から願いを出してもらうこと自体が非常に難しい。事情を説明しても納得してもらえるはずはなく、かといって無理やり要求しても出てくるものでもなく…


 「というより、もう叶った、かな。」


 「…?」


 ますます訳が分からない。こちらの発している疑問符に気づいたか、気づかなかったか、そのまま目の前の霊魂は話し始めた。


 「オレ、死にたかったんだ。いつごろからか、ずっとそう思ってた。」




 「気づいたときには、全部手遅れだった。いや、そう思い込みたかっただけかもしれない。気づいたら、毎日毎日の生活が自分は無能だ、役立たずだと刷り込まれるだけの時間に代わっていた。消えたかった、いなくなりたかった。でも、そんなことは世間が許してくれなかった。おまえにどれだけの時間と手間をかけたと思っているんだ、だから役に立つ人間になれって。直接的には言わない。でも言葉、態度の節々に見えるんだ。お前は恵まれている、だからそれにふさわしい人間になれって。」


 堰を切ったように、話し続ける。


 「…大事にする必要なんてない、期待なんてするだけ無駄だ。でも、その一言を言い出すことはもっと難しかった。いつしかオレの願いは死ぬことになった。『正しい』死に方をしたかった。期待を裏切らずに死にたかった。…そんな奇跡、願っても起きるはずなかった。…でも、そんな奇跡は起きた。」


 だからこれが、叶えたい願いだったんだ。そんな独白を聞きながら、先ほど抱いていた違和感にやっと気づく。死んだ時ことが分かった時に動揺しなかったのは、自分の命に価値を見いだせていなかったから。追突してきた運転手の無事を真っ先に尋ねたのは、自分の死よりも、他人に迷惑をかけていないかどうかのほうが重要だったから、何なら、自分のラッキーに他人を巻き込んでいなかったかの方がが心配だったのだろう。やっとこの元人間の不可思議な言動について分かったのだが、あいにくと肝心の問題は片付いていない。

 こういう場合はどうすればいいのだ。死ぬこと自体が救済であるケースは前例がないし、今まで考えたことすら無かった。願いが偶然にでも叶ってしまった以上、これで救済がなされたと判断していいのだろうか?そんなわけはない、「救済」というのはなし崩し的に叶っていいものではないだろう。そうなったら、世の中の幸運はすべて救済ということになってしまう。ここは何としてもこの元人間に願いを叶えてもらえなければ…


 「それに…」


 この元人間の話はまだ終わっていなかったようだ。


 「オレの願いを叶えても、結局何も変わらないんだよ。意味がない。オレ自身にはもうこれ以上の幸せは思いつかないし、それに、だれかを幸せにしても、その他全員を幸せにできるとは限らない。むしろ誰かが幸せになったら、それによって誰かの幸せは相対的に低くなってしまうだろう?…毎日を死にたくなりながら過ごしていたオレより、もっと幸福に過ごしている『不幸な人々』なんてごまんといるだろうしな。」


 ...この話を聞いている感じ、この元人間から願いを引き出すのは少々難しそうだ。それでも、「救済」は必ず行われなければならない。救われないことがあってはならないのだ。


 「それでも、何かありませんか?どんな小さな願いでも結構ですから…」


 目の前に浮かぶ霊魂は数十秒間考えたのち、ゆっくりと願いを口にした―――













 とある貧困国、この村には水道はなく、連日の干ばつで村の井戸はすっかり干上がってしまった。生活するためには毎日、大きな水源まで水を汲みにいかなくてはならない。この片道3時間の道のりを村の全員で毎日往復。子供を置いていくわけにもいかないので6歳ともなれば小さなポリタンクを大人に混じり引きずって歩く。代り映えのしない茶色の景色。と、


 「見て!花だ!きれいー!」


 道路のわきに鮮やかな赤い花が一輪。さっきまでは無かったはずだが、と見つけた子供はもちろん、大人たちも花をのぞき込む。


 「ねえ、これ持って帰っていいでしょー!ねえ!」


 両親だろうか、必死にねだる子供を止めるわけにもいかず、しぶしぶ地面から花を一輪引き抜いて、子供に渡す。


 「わーい!」


 手元の花に見とれてか、いつにもまして遅くなった子供の足をせかしながら、まだ半分以上ある帰り道を歩いていく集団。…それを後ろから見守る天使。



 本当にこんなものでよかったのだろうか。どんな小さな願いでも結構、といったのはそうだが、本当にちっぽけな願いだ。あの花は三日もすれば枯れてしまうだろう。花自体も、きれいに咲いてはいたが、そう珍しい花ではない。


 ともかく、為すべき「救済」は終わった。依頼が終わった今、ここにいる理由はない。荒れ地に背を向け帰途に就く。


 救われないことがあってはならない。思えばずいぶん傲慢な理論だ。天使が本当の救済を願うのならば、たとえなし崩し的にでも、叶った「願い」は祝福するべきだろうに。


 あの霊魂は、今どこにいるだろうか。一旦天使の手を離れた霊魂がどこに行ったかは残念ながら天使ですらわからない。彼に為された救済は正しいものだったのだろうか。この結果は彼が本当に望んでいたものだろうか。今となってはもう分からないが…彼にとっての本当の救済は、望んでいた救済は、彼自身が口に出すことはなかったものの、それは生まれてこないことだったのではないだろうか。

 全知全能の神が、生まれてこないことを望むモノを作るはずがない。…生まれたものは、すべて、祝福されなければならない、はず。そうでなくては、ならない。



 次の仕事の手順について考えているはずの頭には、何故だかあの霊魂の発した言葉だけがこだましていた。(終)

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