第18話 からかい上手の網香先輩
定時に仕事を終えて、琢磨は駅前にある映画館へ足を運んでいた。
昼休みに網香先輩と連絡を取り合い、社内の人に見られるのを避けるため、現地集合ということになった。
既に琢磨は映画館の館内スペースに到着して、網香先輩を待っている。
仕事中に、谷野がやたらと網香先輩と何を話していたのか気になっていた様子だったが、聞かれそうなタイミングで仕事を振り、上手くあしらった。
しばらく柱に設置された椅子に座って待っていると、エントランスに網香先輩が現れた。琢磨は席を立ち、網香先輩の元へと向かって行く。
「お疲れ様です。先輩」
「杉本君お疲れ様。ごめんなさい待たせちゃって」
「いえいえ、先輩が忙しいのは知っているので平気ですよ」
本当なら、網香先輩の仕事を一緒に手伝いたいところなのだけれど、プロジェクトリーダーを断ってしまった手前手伝いづらい。
網香先輩を助けるために残ったつもりが、かえって先輩の負担が増えてしまっている現状に失望する琢磨。
そんなことを心の中で思っている琢磨を尻目に、網香先輩はうきうきと楽しそうな様子だ。
「いやぁー仕事終わりに映画館とか久しぶりだなぁ!」
「それで、どうして急に俺なんかを誘って映画なんかに?」
「それはまあ、後輩への粋な計らい的な?」
人差し指を立てて、わざとらしくウインクして見せる網香先輩。
彼女のそういう適当に場を盛り上げようとするところも、琢磨にとっては魅力の一つ。
欲を言えば、琢磨に対して好意を持ってくれていれば最高なのだが――。
「見る映画はこっちに来てから決めるって事でしたけど、目星はついてますか?」
「うん、この映画にしようかなって思っているんだけど、どうかな?」
網香先輩が手元に持っていたのは映画のチラシ。
そこには先週あたりから上映が始まった日本でも根強い人気のある邦画の続編版のイラスト画像がプリントされていた。
琢磨もこのシリーズは見た事があるので、続編でも十分楽しめそうだ。
「いいですよ、これにしましょう。吹き替え版と字幕版、どちらで見ますか?」
「できれば吹き替え版でお願いしたいわ。字幕だと文字ばっかりに目が言っちゃって映画の内容が頭に入ってこないの」
網香先輩らしいな。
字幕映画で文字ばかりを追ってしまい、展開についていけなくなってしまいあたふたする先輩の姿が目に浮かぶ。
「わかりました。それじゃあ、チケット買いに行きましょう」
こうして、チケットカウンターへと向かう二人。
20分後に上映が始まる吹き替え版のチケットを二枚購入して、入場口でチケットを切ってもらい、シアター7番へと向かう。
シアターに入り、指定の座席に隣り合わせで座る。
「そう言えば、網香先輩は何か食べましたか? 良かったら何か買ってきますけど」
「それなんだけど、琢磨君今日夜遅くなっても平気? 映画の感想回も兼ねて、どこか食べにでも行こうかと思っているのだけれど」
「俺は特に問題はないですけど……網香先輩は平気なんですか?」
「えぇ、問題ないわ。実はとっておきのお店があるのよ!」
網香先輩は、どこかワクワクと秘密基地を教えるような子供じみた声で前のめりになって目を輝かせる。
誰かに教えたくて仕方ないというのが身に染みて伝わってくる。
もしかしたら、本命はそちらで、映画はただの話の刺身程度なのかもしれない。
「わかりました。それじゃあ、網香先輩とっておきの場所にお供いたしますよ」
「ふふっ、楽しみにしておいて頂戴」
自信ありげな表情を浮かべる網香先輩。
上映時間までのしばしの時間があったので、琢磨は先ほどの質問をもう一度訪ねた。
「それで、今日はどういった風の吹き回しですか? 急に俺を映画に誘って」
「そりゃもちろん。杉本君をもっと知るためよ」
当たり前のように言って見せる網香先輩。
受け取り方によっては勘違いしてもおかしくないような台詞。
「知るためって、別に俺のプライベートに興味ないでしょ先輩」
「そんなことないわ。前にも言ったけれど、私は杉本君のプライベートに結構興味あるわよ?」
妖艶な笑みを浮かべて見つめてくる網香先輩。
その艶めかしい視線は、琢磨の心をざわつかせる。
「またそういうこと言って、本当は興味ないくせに」
「あら、心外だわ。私もう少し杉本君とは距離縮められていたと思っていたのに。私の勘違いだったのかしら?」
「えっ?」
琢磨は驚きに満ちた表情で網香先輩を見つめてしまう。
網香先輩は少し悲しい表情を浮かべ、潤んだ瞳で琢磨を見据える。
勝手に心臓の鼓動が高まり、生唾をごくりと飲み込んでしまう。
その時、耐えきれないといったように網香先輩がぷっと噴き出した。
「あははっ、やっぱり杉本君の反応はいつ見ても面白いわ!」
また網香先輩に一本取られてしまった。
琢磨の淡い期待は塵となって消えていく。
「はぁ……全く、俺をおもちゃにして遊ぶのはやめてくださいよ」
「ごめんなさい。でも、杉本君の反応は何度見ても楽しいから、ついね」
「もういいです!」
「あぁ、ごめんってば! でも、杉本君のそういう反応も含めて、社外でのことを知りたいっていうのは本当よ?」
「もう信じません」
「あら、残念」
少しショックを受けたような声を出してしょんぼりとする網香先輩。
流石にいじけ過ぎただろうか?
ちらりと様子を窺うと、網香先輩は再びけろっとした様子で立ち直り、天井を見上げた。
「にしても、この劇場少し暑いわね。少し冷房を入れて欲しいわ」
網香先輩はスーツを半分ほど脱ぎ、ブラウス姿を掴み、ぱたぱたと仰ぎだす。
琢磨の視線は、その胸元に視線が釘づけになってしまう。
薄暗いので、下着までは見えないけれども、そのブラウス越しに主張する胸元は琢磨には刺激が強すぎる。
琢磨の視線が胸元から離れなくなってしまっていると、ふと網香先輩の仰ぐ手が止まった。
視線を上げれば、にやりとからかうような目で網香先輩がこちらを見つめている。
「ふふっ、やっぱり杉本君も、男の子ね」
からかうように笑って、ウインクをする網香先輩。
「また嵌めましたね!?」
「あはははっ、ごめんってば! だって杉本君の反応が初心で面白くて!」
肩を揺らしてくすくすと笑う網香先輩。
全くこの人は、どれほどからかったら気が済むんだと、軽く呆れる琢磨。
そうこうしているうちに、映画の上演時間になり、シアターの照明が消されて辺りが薄暗い空間に包まれる。
直後、開演のブザーが鳴り、スクリーンに映像が映し出され、本編前の他作品映画紹介が始まった。
十分ほど番宣を見せられてから、さらに照明が落とされて、ようやく本編が開始する。
本編が始まり、琢磨は一人自分の世界へと耽り思考を巡らせていた。
こうして映画館に映画を見に来るのはいつぶりだろうか?
記憶を辿ると、学生時代とある人物と一緒に映画を一緒に見に来たことを思い出す。
あの時はまだ、琢磨も夢を追いかけていた。
だからそこ、映画を見ることは勉強だと思っていたので、こうしてただ単純に映画を楽しむのは久しぶりかもしれない。
夢を諦めて以降、しばらく映画を見るのは避けていたけれど、今は抵抗なく映画の内容を楽しめている。
いつの間にか、琢磨は追いかけていた夢に踏ん切りをつけることができていたらしい。
チラリと視線を横へ向ければ、画面をうっとりとするような表情でスクリーンを見つめる網香先輩の横顔が見えた。
琢磨が隣にいることなど忘れてしまっているように、映画の中へと惹きこまれている。
もしも、スクリーンの向こう側に自分がいたならば、網香先輩もこんな表情で自分を見つめてくれていたのだろうか?
思わず、そんな無意味なことを考えてしまう。
すぐに思考を遮るように首を横に数回振り、目の前の映画に集中しなおす。
久しぶりに何も気負いせずに見ることのできる映画だ。
網香先輩が気にしていないのならば、琢磨も今は周りを気にすることなく、思う存分映画を楽しもうと思った。
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