喜びも悲しみも

『速く! もっと速く!!』

 金色の竜、ただそれだけを目指し、他の竜には目もくれずひたすら突き進むアイリたち。

 その道を遮るように、幾度となく竜が入れ代わり立ち代わり襲いかかってきたが、彼らは片手で馬の手綱を引き、そして片手で持った剣や槍で竜の攻撃をものともせず跳ね返しながら、かといって深追いすることなく疾走していく。

 彼らを乗せた馬たちも要領を得たもので、手綱や足で操らなくてもその主人の思った方へと動いてくれる。

 馬の足はとても速く、そして奇をてらった動きは竜たちを翻弄ほんろうし、炎を吐く隙を与えず、地上に降りて攻撃してくるかと思えば諦めてまた舞い上がり、思うような攻撃をさせないでいる。その数が多いことが、かえって竜たちにとって災いしているようだ。

 ただ、厄介なことがあった。それは竜の発する強烈なニオイ、そして薄暗い空からは唾液や体液などが大量に降り注ぎ、そこには排泄物も混じっているようで、この汚物とひどい悪臭に息をするだけでも吐き気をもよおすありさまだった。

「それにしてもひでぇにおいだなぁ…うぇっ」

 アイリたちはこの状況に辟易へきえきしていたが、思わず口に出したレイモンは、息を吸った瞬間にさらに悪臭を吸い込み嘔吐しそうになった。アイリも胃液が逆流してきそうになるのを必死にこらえていた。

『早く金色の竜のところへ…!』

 焦る気持ちをよそに、竜の群れは途切れることなく襲いかかり、アイリたちもまた走り続けたが、この時、アイリは自分の鎧の下、胸に下げた緑竜石が淡く輝きを持ち始めたことに気が付くことはなかった。


「見えた!」

 もつれ合うように混乱の極みに差し掛かろうとしていた竜の群れの中に、あの金色の竜の姿があった。それは鈍い金色の輝きを放ち、ほかの竜たちよりほんの少し高い場所からこちらを嘲笑あざわらうように見下ろしていた。

 それを見た瞬間、アイリの心臓はどくんとひとつ大きく高鳴り、鼓動はひときわ速く打ち、熱い血液が一瞬で体中を駆け巡った。

「来る!」

 金色の竜がひと声鳴いた。

 アイリたちは耳をふさいだが、もう遅かった。その声は鼓膜をつんざく勢いで頭の中に入り込み、脳髄のうずいを震わせ何度も反響するようだった。

「頭が割れる…!」

 その声を引き金にして、塊になっていた竜たちは突如として慌てたように飛び去り、アイリたちの上空だけぽっかりと穴が空いたように青空が広がった。

 アイリが見上げると、網膜をき尽くすように太陽がギラギラと輝き、その光の中に入った金色の竜が地上めがけて舞い降りてきた。

 翼を広げ、次第に大きくなる真っ黒なシルエット。

 やがて太陽の光を覆い隠すまでに大きくなったその毒々しい影に、小さな赤い染みが広がったかと思うと、それは炎となりアイリたちに向かって吐き出された。

「逃げろ!!」

 誰かが叫んだが、しかし逃げ切れないと悟ったアイリは両手で剣を握りしめ、上空から迫りくる炎に向かい合った。

 灼熱の炎を受け止めた剣はその勢いを横へ流し、弱まった炎は虚しく地面を焦がしただけだったが、それを見越していたかのように続けざまに炎の奥から竜が襲いかかってきた。

『この剣で迎え討ってやる…!』

 アイリがそう思った時、バイオレットが急にいななきながら立ち上がると、アイリを地面に振り落とした。

 そして次の瞬間、金色の竜の鋭い足の爪がバイオレットを串刺しにして、その体は軽々と宙に舞い上がった。馬は形容しがたい悲鳴ともつかない声を上げ痙攣を起こしていた。

 横腹に突き刺さった鋭利な刃物のような爪を伝って血液が滴り落ち、そして体から爪が抜かれると同時に空いた穴からはおびただしい量の血が吹き出し、その真っ赤な液体はアイリにも降り掛かった。

 それは一瞬の出来事だった。

 アイリには何が起こったのか理解できていなかったが、これは彼女が金色の竜に意識を奪われているとき、竜の群れの中の1匹がアイリに向かって襲いかかり、それに気づいたバイオレットが主人を守ろうとしてとったとっさの行動なのだった。

 呆然とするアイリに向かって、攻撃をする機会を失った竜がふたたび襲いかかってきたが、ルイの渾身のひと振りでその首はどさりと重い音を立てて地面に落ちた。

 その間にバイオレットを死に追いやった金色の竜はすでに空高く舞い上がっていた。

「アイリ、大丈夫か!」

 ルイが声をかけたが、その声はアイリの耳には届いていないようだった。

「バイオレット!!」

 アイリは竜の群れなど目に入らないかのように、血に染まった兜に手をかけ地面へ放り投げると、その美しい金色の長い髪をなびかせながら、無防備なまま愛馬のもとへ駆け寄った。そしてひざまずき、その顔を愛しくなでた。

「バイオレット! ねぇ、バイオレット! こんなところで寝ちゃだめよ。ほら目を開けて。早く起きてよ……」

 アイリの頭の中でいろいろな思い出が走馬灯となって去来した。初めての出会い、どこまでも走った緑の草原、ともに死地をくぐり抜けてきたわたしの半分…。喜びも悲しみもいつもバイオレットと一緒だった。彼女の涙は愛馬の顔を濡らしたが、ただそれだけで、何の奇跡も起こりはしなかった。

 四方を取り囲む竜の群れの中から襲いかかってくるものがあり、アイリのもとに駆け寄ったルイ、ダレス、レイモンは彼女を背に守りながらその攻撃をしのいでいる。

「アイリさん、立ち上がって!」

 ダレスが言うが、声は届いていないようだった。

「こんな傷、あなたならたいしたことないでしょ…。ひどいわ……。ねぇ、こんなことってある…?」

 アイリは嗚咽おえつし、その声はかすれて言葉にならなかった。

「アイリ、ここにいちゃ危険だ! オレの馬に乗れ!」

 レイモンが声をかけたが、やはりその声は届かないようだった。

「アイリ早く! また金色の竜やつが来るぞ!」

「アイリさん、もう限界だ…!」

 レイモンがアイリを無理矢理にでも馬へ乗せようとしたその時、アイリはすっくと立ち上がり、剣を地面に突き刺すと、何を思ったのか上半身を覆っている鎧を脱ぎ始めたのだった。

「アイリ、何をしてるんだ…!」

「こんなもの着てたって、仕方ないわ」

「仕方ないって、お前どういうことだよ…!」

 鎧を脱いだアイリの体からは光があふれるようで、胸元の緑竜石が強い光を放っていた。

「こんなの重いだけで戦うのに邪魔になるだけよ。竜の攻撃を受けたらどっちみち無傷じゃいられないのに、こんなもの気休めにすぎないのに、それに頼ろうとして心に隙ができたわたしがばかだった。バイオレットはわたしのせいで…」

 上半身だけではなく、腕や足を覆っていた鎧も次々に外し、バイオレットを殺されたやり場のない怒りと悲しみを噛みしめるように地面へ投げ捨てていくアイリ。額当てや胸当てなど体の大事な場所を守るものをわずかに身に着けているだけの姿となり、あとは布をまとい、あるいは肌身をさらした。

 そして後ろ手に長い金髪を紐でひとつに結わえると、片手で地面に刺した剣を引き抜き、その剣先を上空を舞う金色の竜に向けた。

「許さない…」

 アイリは激昂を押さえつけるように静かに言ったが、その手は怒りで小刻みに震えていた。心の中で静かに燃え始めていた炎は、すぐさま体中を駆け巡る血潮を伝わって全身に点火した。

 金色の竜もまたアイリを目標に定め、顔を下に向けたままいつでも襲いかからんばかりに上空で大きく羽ばたいている。

 空気は張りつめ、ぴりぴりと電気が走った。ただならぬ雰囲気が満ち、取り囲む竜たちの動きは止まり静まり返っていた。


 この緊張を破ったのは3人の男たちだった。

「わっはっは! アイリ、見直したぞ! あいつらを見ろ、おびえて手も足も出せないでいる! 愉快! 愉快!」

 堰を切ったようにルイが大声で笑うと、その声はあたりに木霊こだました。

「さすが、われわれの団長ですね!」

 ダレスもおかしそうに言った。

「アイリ、そいつは任せたぞ! あとの雑魚ざこどもはオレたちに任せろ!」

 レイモンもにやりと笑いながら言った。

 3人はアイリを中心にした円を大きくするように離れていき、竜たちに向き合った。

 この様子がかんさわったかのように、金色の竜はひと声鳴くと、翼を小さく折りたたみ、アイリを目掛けて弾丸のように一直線に落ちてきた。

「いつでも来い!」

 アイリが剣を握る手に力を込めると、その剣も淡い光を発した。

 金色の竜はアイリの目と鼻の先まで迫り、そこで大きく翼を広げ急減速すると、アイリにだけではなくあたり構わず炎を吐き散らし、炎の海が一面に広がった。

 焼けただれて地面に転がった竜がうめきうごめく中、男たちはそこからなんとか抜け出したが、アイリを燃やしてひときわオレンジ色を強くした炎は、螺旋らせんを描いて天高く舞い上がっていた。

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