手紙

 人の話し声と重苦しい鐘の音で目が覚めた。

「ああ、もう朝なんだ…」

 またあの金色の竜の夢を見ているような気がした。

 それは夢というよりもアイリ自身が経験した記憶のように、今でもまだ鮮明に思い出すことができる。

 昨日、城に帰って休息をとっている間、フローレスたちにその内容をかいつまんで話した。話をするのもためらわれるような突拍子もない夢物語だったが、思いのほか彼らの興味をひいたようで、終始真剣に聞いていた。それもこれも、やはり緑竜石の緑の光で金色の竜が逃げ、全員が一命をとりとめたと言わざるを得ない不思議な体験をしたからなのかもしれない。

 その後、アイリはひとり部屋に戻ってきて、早々にベッドに横になったところまでは憶えているが、そのままいつの間にか寝てしまったようだった。

 外はまだ日が昇ったばかりで、部屋の中の空気は夜気の冷たさを残したままだが、朝の散歩をしている人たちの陽気なあいさつの声が、今日は少し耳ざわりではあったが、ガラス窓を伝って部屋にぬくもりをもたらしてくれるようだった。

「おはよう、いい天気だな!」

「おう、まったくだ!」

「あとでうちへ寄っていけよ!」

「そうさせてもらうよ!」

 ベッドの上でまどろんでいたアイリは、目をこすりながら体を起こすと、ひとつ大きく伸びをした。

 ふと机に目をやると、束になって置かれた手紙の上に、小さな窓から差し込んだやわらかい光が落ちていた。

「そういえば、昨日は手紙すら読まずに寝ちゃったんだっけ…」

 アイリは手紙の束を手に取り、ベッドに広げながらひとつずつ差出人を確かめた。その中にはレイトスやサラの名前があった。

 サラは定期的に手紙を送ってくれる。何度かここへ遊びにも来てくれた。手紙には庭の花が咲いたとか、新しい服を縫ったとか、苦手な料理に挑戦してみたとか、毎回そんなことが書かれている。けれど、本当に書きたいのは幼なじみのカイのことだというのはお見通しだった。彼はかねてから考えていた交易の仕事を始めてみたいと、村のリーダーであるセリナたちへ掛け合ったそうだ。責任を持ってやれるなら問題ないということで許可をもらい、その手始めに王都とは違う方角にある海沿いの街に視察に行き、それにサラも付いて行ったのだという。アイリは一緒に馬車に乗って王都へとやってきた時のふたりのやり取りを思い出して、苦笑いをしてしまった。ついつい言いすぎてしまうサラとおっとりとしたカイ。ふたりの仲は…まあ相変わらずのようだった。

 それにしても、サラの手紙を読んでいると、アイリは普段の生活を忘れてほっとできる。まるで海の見える丘の上、ほがらかな太陽に包まれ、クッキーを片手にたいせつな人たちと笑いながら話をしているような思いになれる。……それにしても思い浮かんだのがなぜ海の見える丘なんだろう、そしていったい誰といるのだろうと無意識に引っかかりをおぼえたが、港町の展望塔でサラとふたりで一緒に海を見た記憶が浮かんできては先ほどの違和感を押し流し、ああそういえばそうだったと思い直して、忙しくて書きかけのままだった返事の続きを書こうと思った。

 一方で、レイトスからの手紙はとても珍しかった。これまでに2通もらったかどうか、いや一度きりだったかもしれない。

 その全体的に薄茶色く汚れた封筒、そこに書かれたインクのにじんだ宛名とアイリの名前を目にすると、金色の竜に襲われ炎に包まれた村の惨劇を急に思い出し、心臓の鼓動が速くなるのを感じた。心なしか左手首の傷あとがうずくような気もした。もう何年も経っているけれど決して忘れることなどできるはずがない。その復讐のためにアイリはここにこうしているのだ。

 緊張しながら封を切り、手紙を広げると、無骨な文字が紙面を黒く埋め尽くすように書かれていた。その文字を見ていると、彼女を育ててくれたレイトスの優しいまなざしを思い出し、急激に緊張がやわらぐのがわかった。

『アイリ、元気でやっているか?』と始まる手紙を読み進めていく。

 村の再建はずいぶんと進み、小さな集落ができたそうだ。あの辺りは気候も温暖で農業をするにはいい土地のようなので、移り住もうという人達もそれなりにいるのだろう。アイリもこの王都の街なかで、村への移住者を募集する貼紙を見た記憶がある。レイトスとペレスも今は村に住み、移住してくる人たちの受け入れの手続きや手伝いで忙しいという。あののんびりしたペレスが忙しそうに働いている姿を想像すると思わず笑ってしまったが、手紙の続きには意外なことが書かれていた。

 村の再建はだいたい道筋ができ、仕事も忙しくはあるがマニュアルに沿って決まりきったことをこなすだけとなり、少し時間にも余裕ができてきたので、竜の大岩の場所にあったという神社を建て直すつもりだという。本来どんな神社が建っていたのか分からないのに変わりはないが、王都の役人や職人たちと村の再建を進めているうちに、ちょうど似たような神社の資料の存在が明らかになり、レイトス本人も驚くほどとんとん拍子に話が進んだそうだ。資金の目処も付いているという。

 アイリはレイトスがそんなことを考えていたとは想像もしていなかったが、ただ単に気が付かなかっただけで、ずっとそのことは頭にあったのかもしれない。『確かあれは…』とアイリは思い出した。いつかレイトスから聞いた竜の秘密を知りたいという思い。神社を建て直すことが彼にとっての答えのひとつなのだろう。そして、たとえ実現しないようなことでも、竜の秘密を知るためになら彼はきっとこれからもいろいろな可能性を信じて思い続けていくのに違いない。アイリは、彼はやっぱり不器用な、それでいて信頼できる人なんだとあらためて感じるとともに、自分の父親の無二の親友であったことがとても誇らしくなった。

 そういえば、アイリが王都に残ると知った時はレイトスは大反対したそうだが、いつまでも子供というわけでもないし、父親のヨシュアもきっとそうしただろうと、最終的にはアイリを信頼してくれ、やりたいようにやらせてくれることになった。そんな内容の手紙をペレスからもらったのだが、実際にはずいぶんとたいへんだったらしい。ペレスは頑固おやじと書いていたっけ。レイトスからもらった手紙というのは、ひょっとしたらペレスのその話を読んでもらったものだと勘違いしただけで、実際には今回が初めてだったのかもしれない。

 手紙をもらったかどうかはともかく、アイリは久しぶりに懐かしい気持ちになり、レイトスに昨日の金色の竜の話をしたらどういう反応をするのだろうと想像しながら、手紙をたたんで封筒にしまおうとすると、扉をコツコツとノックする音が聞こえた。こんな時間に人が訪ねてくるなんて珍しい。

「はい、誰ですか?」

 扉の向こうからくぐもった声が聞こえてきた。

「わたしです。ダレスです」

「ダレスさん? おはようございます。ちょっと待って」

 しまいかけの手紙を机に置き、上着を羽織り扉を開けると、心なしか神妙な顔をしたダレスが立っていた。

「おはようございます、アイリ。体の調子はどうですか?」

「ええ、もう何ともないけど、こんな時間にどうし……」

 アイリの言葉を待たずダレスは慌てた様子で言った。

「よかった。緊急事態です。一緒に城まで来てください」

「緊急事態って?」

「……王が、刺されました。一命はとりとめたものの、傷は深く、容態はあまりかんばしくないようです」

「えっ…? 王さまが刺されたって、どういうこと? いったい誰に?」

 突然のことにアイリはまったく理解が追いつかなかった。

「ザハドです…。早朝から王を交えた数人で簡単な話し合いを行っていた時に、ザハドが何の前触れもなく突然王をナイフで刺したようです。しかも殺すつもりで。今、彼を拘束して、尋問を行っているところです」

「ザハドさんが? それ、ほんとうなんですか?」

「はい、レイモンが一緒にいたので間違いありません。けれどわたしもいまだに信じられないし、それにいったい何が起こったのかまったくわけがわかりません」

「そんな、あのザハドさんが…信じられない……。でもどうしてわたしもお城へ行かないといけないの? 人がたくさんいてもかえって邪魔になるし、こういう時はフローレスさんたちだけで対処するものだと思っていたけど…ひょっとしてフローレスさんたちにも何かあったの…?!」

「いえ、王子はたまたま別の部屋にいたので何ともありません。今は王子がザハドの尋問をしています。ザハドの要望が何なのかよくわかりませんが、とにかくアイリを呼んでほしいと言っているんです。アイリがいないと話をしない、と」

「わたしがいないと話をしない? ……よくわからないけど、とにかくすぐに行きます」

「お願いします。馬を外に繋いであるので、なるべく早く。わたしは先に城へ帰ります」

 アイリは急いで身支度を整え外に出た。そこにはいつもと変わらぬ様子の愛馬の姿があった。

「おはようバイオレット」

 アイリはやさしい言葉をかけながら顔をなで、ついで背中にまたがり城へと走った。

 ところ狭しと並んだ建物の隙間から朝日が差し込み、家々の玄関口に置かれた赤や黄色の草花の、朝露の大きなしずくが輝いていた。

 朝の通りを歩く人たちは駆けてくる馬の音に振り向くが、そこに乗っているのがアイリだと気付いたときにはもう遠くに行ってしまい、言葉をかけることすらできずに、ただ驚いたようにその後ろ姿を見送るだけだった。

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