第33話  誰でもない男

サイドバックは目立ちにくい。


攻めれば「アシスト未遂」、守れば「当然の役割」――

その評価は常にどこか空虚で、彼自身もまた長らく“誰にもなれない男”だった。


内川慎吾、27歳。

中学までFW、高校でWG、そして大学でSBへと押し込まれ、いつも「適正」という言葉から外れてきた。


だが――

ヨハンはそんな彼を「最も解像度の高い守備者」と評した。


それは技術的に卓越しているというよりも、「戦術を遂行する力」に特化した職人型プレイヤーであるということだった。



〜レガレス練習場〜


その日、練習場にはいつになく重い空気があった。


理由は明白。

次の相手は、リーグ4位につけるエスパダ・カンテリーリャ。


スペイン代表を5人擁し、今季から指揮を執るマチェイ・シフカ(ポーランド人監督)の下、鋼のブロックからカウンターに出る完成度の高い4-3-3を武器に無敗街道を突き進んでいた。


「中村、リューラ。次は中盤で“持たせてやる”展開にはならない」


ヨハンはボードを叩きながら言う。


「エスパダは、CBから両SBへ繋いだボールを、必ず前に“叩かせる”システムを使う。SBに届いた瞬間、FWとSHが一気に包み込む。そこに罠がある」


中村は腕を組み、頷いた。


「つまり、こっちのSBの判断が重要になる。そこを狙ってくる」


「そうだ」

ヨハンが内川の方を見る。


「内川、お前の判断が1秒遅れれば、即、失点に繋がる。それをやってのける力が、お前にはあると信じている」


内川は、小さく会釈した。

口にはしないが、彼は分かっている。

「信頼」は、時として“責任の鎖”にもなることを。




〜試合当日〜


スターティングメンバーは変わらず。

またもヴィセンテがベンチ入りし、中村とリューラの共存が再び採用されたこと。


【エスパダ・セビージャ】

• 4-3-3

• SHとSBのサイド連携から、CFに楔を入れてのワンタッチ崩し

• 守備はゾーン2での2段階プレス


この完成されたチームに、どう挑むか。


キックオフ直後から、まるで訓練されたような圧迫が始まる。


セビージャのSHとFWが一斉に内川側を襲いかかる。


「来ると思ってた」


内川は落ち着いてボールを逆サイドに送ろうとする――だが、すでにそのラインも消されていた。


咄嗟の判断。


彼はトラップと同時にボールをワンタッチでタッチライン際のニコラスへと浮かす。


まるで逃げるようなロングボール。

だが、それがチームの心拍を整える最初の脱出路だった。


ヨハンは、ベンチで静かに微笑んだ。


「逃げることも、“選択”だ」




前半22分。



セビージャの波状攻撃から、CBアキレスが一瞬のスリップ。

そこを突かれてエースFWが突入し、バンデンバーグとの1対1。


決まったか――


…と、観客が息を呑んだ瞬間。


内川が、自陣40メートルの距離を全力で戻ってスライディング。


シュートの瞬間、足先で触れた。


ゴールラインをギリギリで越えずに流れるボール。


バンデンバーグがかき出し、命拾い。


観客がどよめく中、実況が叫んだ。


『これは…レガレスの右SB・内川の魂のクリア! いや、守備者の鑑だ!』


リューラは内川に走り寄り、肩をポンと叩いた。


「お前のプレーは、ちゃんと見てるやつがいるよ」


内川は一見するとクールなプレイヤーだ。

ほとんど表情に出さない。

しかし彼は誰よりも熱いものを秘めていて

毎日のルーティンを怠ることはなかった。

誰よりも基礎の練習を今でもしっかりしているのは、チーム内で内川であった。

変わっていくチームの中で

彼は彼なりに対応をしていかなければと

誰よりもリューラのプレーを見ていた。




〜後半〜



中村とリューラの共存が冴え渡る。


特に“受け手”としてのカルロスの献身性と、ジョナタンのフィルターが効いており、

リューラがボールを落とし、中村が中間ポジションから抜け出す“流れ”が再構築されつつあった。


60分。

その流れの中でカルロスが倒され、FK獲得。


キッカーは中村。


だが、壁の陰に誰かが動く。


…ヴィセンテだった。


「中村さん、ちょっと1回、練習のあれやりません?」


ほんの数分前彼は中村に話しかけたのであった。

中村は微笑んだ。


「面白い。特等席で見届けろよ。」


いつも通り丁寧にボールを置き、GKを眺める。そして軽めの助走を取りいつものフォームから放たれる。


GKは反応しようとする。

"この距離きっと直接だ。

位置的にはきっとニアに巻いてくる。"


そう駆け引きして構える。


だが飛んで来ない。

"どこだ??"


Goooooooaaaaallll!!


なんと壁がジャンプした足元を通してきたのだ。


ゴールに突き刺さったボール見て真っ先にヴィセンテは中村に飛びつきに行くのであった。



1-0。



〜後半〜


ここまで守備に追われていた内川。

だが中盤で奪ったのを見て

外ではなく内へと入っていく。


それを見てリョーラは

「なるほどな。」

と言って呼応するように外へと開く。


そしてリョーラへボールが渡り、

中の内川とワンツー。

相手を置き去りにして

そのままグラウンダーのクロス。


中には走り込んだヴィセンテ。


教科書のような合わせるだけのゴールで

2-0。


「よく俺のしたいことがわかったな?」


内川へリョーラが尋ねる。


「毎回後ろから見てるんでね。

窮屈そうだったから、足遅いし。」


笑いながら彼は自分のポジションは戻っていくのであった。


そして、試合終盤。


エスパダは“必勝パターン”であるトリプルボランチからのパワープレイへと移行。


だが、そこに立ちはだかったのは内川だった。


中へ、外へ、クロスへの身体投げ出し、

そして90+3分、最後のクロスを胸で処理し、そのまま大きく前に蹴り出した。


ピーーーッ!


試合終了。


2-0、レガレス勝利。


観客席最上段。


マリオ・カサールは、その光景をじっと見下ろしていた。


「なるほど。戦術的な勝利ではない。

…“誰でもない”男が、“必要とされる存在”になった。

だからこのチームは美しいんだ」

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