第40話 始めた理由

「そういや、お前を助けた理由もちゃんと説明してなかったな」


 若菜が顔を上げる。対照的に、三澄は項垂れるように視線を落とした。


「俺はさ、お前を助けることで、俺にだって何かができるって思いたかったんだ」

「……どういうことですか?」

「子どもってさ、ホント、何もできないんだよ。どんだけ勉強ができても、部活でちょっといい成績残しても、精々クラスメイトにチヤホヤされて気持ちいいってだけでさ。

 でも、そんなこと、子どもだった俺は全く分かってなくて。このまま頑張ってれば、いつか代わりになれるって思ってた」


 するすると言葉が出てくる。胸がすく思いで、止まらない。それはもはや説明ではなく懺悔に近い。少なくとも、人に聞かせる類のものではなかった。


「甘かったよ。俺が代わりになれるまで待ってくれるもんだと無意識に――」

「ちょ、ちょっと待ってください。えっと、代わりって……?」

「あ、いや、悪い。肝心なことを抜かしてたな」


 大きく深呼吸して、頭をリセットする。


「俺、父さんと母さんの代わりになることが夢だったんだ。二人と同じ職に就いて、二人の苦しみを肩代わりしたかった。……そうすれば、もっと早くウチに帰ってきてくれるからって。

 まぁ結局、俺には何にもできなかったわけだけど。俺が大人になる前に、二人は死んじまったからな。でもさ、ホントは何かしらできることがあったんだって、思いたいじゃんか。運がなかったってだけで、俺のこれまでの努力は間違いじゃなかったってさ。

 だから、吸血種との融和を目指して、でも結局できなかった二人の代わりに、俺がお前を助けようと思ったんだ。全員を救うことはできなくても、一人くらいなら俺にもできるはず、できないといけないって。

 つまりは、まぁ、利用したわけだ。目の前に丁度助けてほしそうな奴がいたから、適当に紛らして、自分の欲を満たそうとした」


 気付けば露悪的な言葉選びになっていた。信頼を得たいのに、これではむしろ人格そのものに疑いを抱かれかねない。

 だが、善人を騙るわけにもいかなかった。三澄に、嘘を貫き通せるような胆力はない。長い付き合いを望むなら、真実は真実のまま伝えられなければならない。


「私が死ぬのを止めたのも、その一環だったわけですね」


 そう言う若菜の表情は、どこか憑き物が落ちたようだった。


「いや、それは多分、違う」

「え?」

「お前を死なせたくなかったのは、ただ、死んでほしくなかった……、失いたくなかっただけだよ。お前との生活、結構気に入ってたから」

「気に、入ってた?」

「ああ。お前は窮屈なだけだったかもしれないけど、俺は悪くないなって、これからもっと楽しくなるのかなって、思ってた」


 三澄が穏やかに言うと、懐疑的だった若菜の顔が不快げに歪んだ。


「……見損ないました。本当のことを話してくれるって言ったのに」


 あまりの豹変っぷりに面食らう。


「や、嘘じゃないって。この状況で嘘なんか言うかよ」

「でも、いつも明らかに無理してたじゃないですか。私にずっと気を遣って。窮屈していたのはあなたの方でしょ?」

「窮屈、というかやり辛さはそりゃああったよ。お互い初対面なんだ、そこら辺は割り切るしかない。でも、そんだけだ。お前だから特別そうなわけじゃない。誰とだって、それこそ見知った奴とだって、共同生活なんか始めたらぎこちなくなる部分は出るもんだ。

 俺はそういうのもひっくるめて、悪くなかったって言ってんだよ」

「窮屈してたのに、悪くない? 矛盾してるじゃないですか。……苦し紛れの嘘なんかない方がいい。こんなお為ごかしを聞かされるくらいなら、無理矢理にでも死んでおくんだった――!」


 若菜が怒りに打ち震えている。届かない。どれだけ本音を語ろうと、三澄と若菜の間にある決定的な溝が、全てを飲み込んでいく。


「お前、人から嫌われるのが当たり前って思ってないか」

「……何か違いますか」


 きっ、と睨みつけてくる若菜は、まるで自分の言が正しいと確信しているかのよう。

 あまりに酷く、痛々しい勘違いだ。


「お前、自分のことが嫌いだからって、他人にまでそれを押し付けてんじゃねぇぞ」


 テーブルに身を乗り出すようにして、更に続ける。


「自分で自分を嫌う分には、いっくらでも嫌えばいいわ。だけどな、お前が他人の何を分かるってんだ? どーせ、そうやっていっつも人から逃げて来たんだろーが。……ナメんのも大概にしとけよ」


 そう言い捨て、舌打ちして若菜から視線を外した。


「お前のことが嫌いだったら、俺だってこんな色々やってねーっての」


 届かない思いを、床へ零す。

 本当は怒るつもりなどなかった。完璧な人間でもない限り、その吐き出した怒りは、全て自分に返ってくる。三澄も多分に漏れず自己嫌悪に苛まれるのは、分かり切っていた。


「お前こそ、ホントは俺のことが嫌いとかじゃねーだろうな」


 ちら、と視線だけ上げてボヤくと、若菜の様子が一変していた。


「そんなことは――ない、です。あなたはいい人です」


 不思議なこともあるものだ。ともすれば、このテーブルさえひっくり返しそうだった若菜が、完全に消沈してしまっている。


「え――と? 私の顔をじっと見てどうかしましたか?」

「いや、腹でも減ったのかと思って」

「はい? 腹?」

「感情出すと、エネルギー使うからな。やっぱそのサンドウィッチ、食っといたら?」


 三澄が食べかけのサンドウィッチを一瞥すると、若菜もそれにつられて、一瞬視線を落とした。


「それ、私にもっと怒れって言ってるんですか?」

「や、煽ったつもりはないけど……。ま、でも、溜め込まれるよりかはマシか」


 若干困惑したような若菜に、三澄が軽い調子で思いついた言葉をそのまま返した。それが更に彼女の頭を混乱させたのか、しきりに口を開けたり閉じたり……。


「何か言いたいことあるんならいくらでも言っていいし、聞きたいことがあるなら、お前が納得する答えが何かは知らんけど、気の済むまで聞いてくれていいぞ? 何もしないうちから出ていこうとさえしなきゃ、それで」


 三澄がそう発言を促すと、数秒の逡巡があって、窺うような視線が三澄に向く。


「じゃあ、一つだけいいですか」

「一つ? まあいいけど」


 どこまでいっても控えめな若菜は、拭いきれない葛藤を滲ませながら、


「どうしてあなたは、私に優しくしてくれるんですか?」


 非常に答えにくい質問をしてくれた。


「あー、それは……あれか? 人がどうして人に優しくするのか、みたいな」

「そんな哲学みたいな話はしてません」


 誤魔化しは認めないと、若菜の目が訴えかけてくる。

 頭が冷静になってきているせいで、少々恥じらいがある。が、ここで引くわけにはいかない。


「まーなに、さっきも言ったけど、若菜との生活、悪くなかったから。だったら、円満な関係を築きたいじゃんか」

「懐柔しようとしていたと?」

「それは人聞き悪くね? 間違ってはないけどさ」


 わざと表現を捻じ曲げているだろうことは、三澄にも分かっている。一度嘘だと責め立てた手前、素直に受け取りづらいんだろう。……違うかもしれないが、そういうことにしておく。


「あとは……、まあ、この家、やっぱ一人で住むには広すぎるからな」

「――っ。……それはズルくないですか」

 感銘を受けたように息を呑んだ若菜が、次の瞬間には非難めいた目を向けてきた。とは言えそれは弱々しく、両親を失くし傷心中の人間へ、追い打ちをかけることには抵抗があるのだろう。結局、彼女も彼女で優しいのだ。


「私でいいんですか」

「良くなかったら、こんな引き留めてないだろ」


 三澄の左手はその証である。三澄に迷う余地はない。


「実際、若菜がいてくれて助かってる部分がたくさんあるからな。メシとか」


 念のため、そう付け加える。実利面での有用さを示す分には、彼女も反論のしようがないだろう。

 

 と、ここで、若菜の長考があった。

 改めて、三澄も反芻してみる。

 この一週間余り、三澄は若菜の信頼を得るべく尽力してきた。信頼はあらゆる人間関係の基礎だ。若菜の言動の節々から、ある程度の実りはあったように思う。

 だが、それ以上は?

 収監されないという言うまでもないこと以外、三澄は若菜に対して、この家に住み続けることへのメリットを提示出来ていない。三澄に利があるばかりで、彼女の背を押すには、一手に二手も足りないだろう。

 滲んできた手汗をシャツで拭いながら、三澄は思考を巡らす。

 だが無情にも、その時は来た。

ようやく顔を上げた若菜は、ナイフを自らに突き付けていた時とは違う、強い目をしていた。


「分かりました。要らなくなったら、捨ててください」


 拍子抜けするほど、あっさりとした答えだった。力が抜ける。後半部分は完全に蛇足だが……。今日の所は嘆息と共に流すことにする。


「そん時が来たら考えるよ」

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