第4話 黄金の羅針盤を手に
リーヴとバルドルは森を抜けた。二人の視界は先ほどまでの深緑から一転、まばゆい白へと変わる。森を背にした海岸は、視界いっぱいに白砂が広がり、あとは広大な海と波音だけがある、まるでこの世界の果てのようでもあった。
「あれ? 来るときは結構かかったのに、帰りはあっという間だった」
「この森の木には迷いのルーンが刻んであるからな。むしろ、俺たちのところまで来られたのが不思議なくらいさ」
「そうだったんだ……あっ、居た居た!」
その時、リーヴの眼に一人の女の姿が映る。浜辺に座り、じっと水平線の向こうを眺めているバイキング――アルビダだ。リーヴたちが近づくと、アルビダはゆっくりと振り向いた。
「やっと来たね、リーヴ――って、あんたは、バルドル!」
アルビダはリーヴの隣に居る人物の姿を見て、飛び跳ねるように立ち上がり、目を見開いた。
「顔を合わせるのは初めてだったか? ご存じのとおりバルドルだ、よろしく」
「ああ、あんたの顔をじっくり見たのは、あんたが死んだ後だったからね……。そうかい、つまり昨日矢を飛ばしてきたのは弟のヘズだね? 兄弟揃って戻ってくるとは、幸せなことじゃないか」
大方の事情を察したアルビダが微笑む。
「ところで、アルビダは人が居る方に行ってきたんだよね? どうだった?」
「それが、言葉が全く通じなくてさ……居づらくなって帰ってきたってわけ」
「やはりそうか。実は俺も、まだ彼らの言葉の全ては理解できていないんだ」
そう言って、バルドルは腕組みをした。
「どうやら今までとは全く違って、しかも高度な言語体系を持っているらしい。本当はもっと会話ができればいいんだが……俺たちが神族だと知られたらまずいからな」
人間たちがラグナロクや神族、それ以前に、まずこの世界のことをどのように解釈しているか。その『立ち位置』の認識を誤れば、自身の存在や行いが思いもよらない影響を及ぼすかもしれない。バルドルはそれを危惧しているのだ。リーヴは彼の話を聞きながら、気づけば彼と同じように腕組みをしていた。
「言葉が違うの? 人は一度、言葉を忘れちゃったってこと? ラグナロクと関係してるのかな?」
「そうだろうな。ラグナロクは終わりと始まりの合図だ。俺たち以外のものは全て、別の存在だと考えるべきだろう」
「あたしも同感だね。むしろセイズやらルーンやら、あたしらの常識がまだ通用してるのが不気味なくらいだよ」
バルドルの話に同意するように、アルビダは神妙な顔で頷いた。
「残念だが、今はまだ人間とは関わらないようにしたほうがいいだろう。この世界が父上の生死を確定させるまでは、世界は終わりでも始まりでもない」
「つまり、あんたが言いたいのは、球根を逆に植えちまうような――そんなことが起きちゃいけないってことだね?」
「おお、
バルドルとアルビダの会話を聞いていたリーヴが、目を点にする。
「えっ、私、何ひとつ分からなかったんだけど……」
「ははっ、巨人族は俺たちとは考え方が違うからな。つまりこういうことさ――」
フレイアやリーヴ、バルドルなど、セイズの神髄を理解している者は皆、オーディンが生きているのが現実であると認識している。だが、オーディンのセイズにより、世界は『オーディンは死んだ』と信じ込んでいる。つまりこの世界が認識する現実と、セイズ術者――世界の代行者の認識する現実に矛盾が生じていることで、今の世界は曖昧で不安定な状態にある。と、バルドルは説明した。
「あっ、つまり、変なことをすると、世界が本当に『始まった』時におかしくなっちゃう、ってこと……かな?」
「ああ。そういう理解でいいさ」
「そっか。じゃあ情報収集はできないんだね」
「そうなるな。だが幸いなことに、こっちには最高の羅針盤がある」
そう言って、バルドルは左腕を見せた。黄金の腕輪ドラウプニルが、彼の手首で輝いている。ドラウプニルは絶えず、ある方向に向かって引き付けられるように揺れ動いている。
「ほお、ドラウプニルかい。ラグナロクの前はそいつのせいで騒ぎが絶えなかったねえ。――確かあいつも、血眼になって探してたっけ」
アルビダが遠い目をする。ざざっ。海岸に押し寄せる波の音が、その記憶をかきたてるようだった。
「ま、その話はいいか。行き先が決まってるなら、さっさと行こうじゃないか。あたしが居ればどんな海でも安全に渡れるよ」
「君が言うと説得力が違うな。ぜひそうしよう」
「オーディンかフレイアか、どっちと会えるのか楽しみだね!」
こうして、一同は期待を胸に乗船した。
「まさか、自分の棺に生きて乗ることになるなんてな……」
バルドルはドラウプニルの示す方向を確認し、リーヴは高鳴る期待に胸を膨らませた。やがて、船は白砂の海岸を離れ、広大な海の上を滑るように動き出した。空はどこまでも晴れ渡り、海は穏やかに波打っている。船はドラウプニルの導きに従い、未知の場所へと向かって進んでいく。
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