73.天性の方向音痴と幸運
「道に迷った」
「ちょっと! 任せてって言うから任せたのに!」
天性の方向音痴は、ルドベキアの血筋である。夫の呟きに、リナリアは溜め息をついた。普段は頼りになる人なのよ、方向さえ見失わなければ……。
心の中で呟くものの、彼が方向音痴なのは知っていた。あまりに自信満々なので、一度行った場所で記憶していると油断したのだ。後悔してももう遅い。
森の中はやや暗くなり、もうすぐ完全に日が落ちるだろう。徐々に肌寒さも増しており、魔物が自由に行き交う森での夜営は危険だった。
「安心しろ、襲ってくる獣は俺が……」
「それは当然よ」
元々あなたの役目じゃない。ぴしゃりと言われ、ルドベキアがしょんぼり肩を落とす。魔術師のリナリアは近接戦闘に向かなかった。遠距離からの援護や、結界のような間接的な魔法に特化している。剣や拳で戦う夫が魔物と戦うのは、決定事項だった。
森の中で結界を張って休むしかなさそうね。ぐるりと周囲を見回し、奇妙な歪みに気付いた。
「何かしら、これ」
手を伸ばした途端、ずるりと吸い込まれた。転がるように倒れるリナリアが手を伸ばすが、背を向けて荷物を直すルドベキアは見ていない。
声を掛ける間もなく、リナリアは歪みに消えた。何も知らないルドベキアが振り返り、いなくなった妻を探して困惑する。
「休む場所を見つけ……リナリア? どこだ? おーい!」
まさか方向音痴だから置いていかれたのか? そうでなければ、俺が迷子に?! ちょっと後ろ向いただけだぞ! 混乱したルドベキアは走り出し躓き、リナリアと同じ歪みに吸い込まれた。
ぐらぐらと全身が揺れて気持ち悪い。足元も柔らかく、身体が形の無いものに飲まれるような不快感があった。
「……どこ、ここ」
リナリアが茫然と呟く。大きな城の前に落ちていた。荷物も夫も置いてきてしまったので、手にあるのは杖と非常食や言霊の入ったバッグのみだ。
さっきまで、後ろに夫がいた。私が飲み込まれた時、あの人ったら荷物を弄ってて背を向けていたわね。きっと気付いていないわ。方向音痴より大きな失態だが、あの人は私の護衛で着いてきたのに。
そんな男が好きで惚れたのだから、これは自業自得ね。溜め息をついたリナリアの前に、鱗が生えた男が槍の穂先を突きつけた。
「お前、どこからきた」
「……リクニスよ」
言葉を話す男は鱗や羽があり、牙も人間より鋭い。ならば、ここは魔族が住む領域だろう。そして目の前に巨大な城があるなら、魔王城で間違いない。何を間違ったのか、強制的に飛ばされたのだ。
「魔王城、よね?」
「そうだ」
「だったら魔王様に面会を希望するわ。リクニスの巫女からの言霊を預かってるの。それとうちの娘がお邪魔してないかしら」
「……まさか」
どちらに対して反応したのか。鱗人は青ざめた。リクニスの血族は魔族と人間の混血だ。魔力を持ち魔術を操る人間という括りで、魔族に伝わっていた。魔王討伐に尽力したことはなく、互いに不干渉を貫いている。そんな一族の巫女から伝言を預かったなら、無碍には出来なかった。
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