43.人の良い狼の群れに囲まれる羊

 具合の悪そうな聖女クナウティアをベッドに寝かせ、浄化の魔法で服の上から綺麗にする。青ざめた彼女より、魔王達の顔色の方が悪かった。


 意識のない少女を前に、誰もが悪いことをしたような後味の悪さを感じる。このまま死なれたらどうしよう……脳裏を過った不吉な考えを否定するため、翼のある蛇が口を開いた。


「人間はここまで脆弱なのか?」


 ちょっと空を運んだだけで、殴ったり蹴ったり、噛んだりしていないのに。困惑した声に、グリフォンが返した。


「ですが、城に攻めてきた時はもっと……こう、強かったですけど」


「強いのは勇者だけじゃないのか?」


「「確かに」」


 代々戦った記憶を有する魔族達は、顔を見合わせて同意した。異世界から召喚する勇者とやらは強い。賢者も聖女も添え物かと思うほど、圧倒的な強さを誇った。


「……だとしたら」


 魔王シオンが開いた口を噤む。もしかしたら、今回の聖女誘拐にさほど意味がないのでは? 気付いてはいけない真実に、到達した瞬間であった。


 そう、聖女が選ばれると勇者の召喚が可能となる。女神による祝福だか何だかを魔法陣に与えて、異世界から勇者を喚んでいた。


 顔を見合わせた魔族の誰もが、作戦は根本から失敗していたのでは? と疑惑に喉を鳴らす。ごくりと唾を飲んだ彼らは、主君である魔王の判断を待った。期待と困惑を受けたシオンは、迷いながらひとつの答えを出す。


「聖女を返す、か?」


「陛下、聖女がいなければ勇者が喚べない可能性があります。彼女は、まだここに留めおくべきです」


 勇者がいなければ、魔族が圧倒的に強い。さらに人質がいれば、人間との戦いが有利になる。そう告げる側近に、他の魔族が尊敬の眼差しを向けた。さすがは国を動かす宰相である。卑怯という文字は、魔族の辞書に存在しなかった。


「ときに、聖女は本当に16歳なのか?」


 単純な疑問を口にしたシオンに、周囲の魔族は絶句した。いくら興味がないとはいえ、まったく敵を知らないと公言した魔王へ、宰相ネリネは淡々と説明する。


「聖女とは、16歳になった純潔の乙女から選ばれます。女神の加護を使い、勇者を召喚した後は彼を支え、魔王陛下を討ち倒すまで純潔は守り抜くようです」


 空中から取り出した報告書らしき資料をめくり、さらに話を続けた。


「陛下が倒された後の話は、私も直接は知りませんが……賢者か勇者の妻になることが多いようです。聖女の役目が終わるからでしょう。彼女らの血族が新たな聖女となるわけではなく、1代限りと思われます」


 魔物からの聞き取り調査の報告を交えた説明に、魔族の面々は顔を見合わせた。いつも魔王の封印と同時期に眠りにつくため、彼らも後日談は知らなかったのだ。


「だとすると……この子は」


 まだ乙女である。純潔を散らしたら、女神の加護が消えるのではないか。浮かんだ仮定を、ネリネは溜め息で誤魔化すように打ち消した。そうだとしても、16歳の若い……見た目は12歳前後の少女を手籠にするほど堕ちたつもりはない。


 やはり人の良さが光る魔族達は、頭の中に浮かんだネリネと大差ないアイディアを、必死で打ち消していた。あどけない寝顔を見せる聖女は、狼の群れの中で眠る羊であった。

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